愚鈍な幼馴染さんへ教えて差し上げましょうか

 瑞樹は断りもなく、当然のように俺の隣へ腰かけた。俺はすかさずLINEを開く。『志村瑞樹がいた。いまいっしょにいる。来てくれ』そうメッセージを入れても既読が付かない。


「スマホを気にしているみたいですね」

「放っておけ」

「ふふ、初対面なのにスマホばかり。現代人の宿痾しゅくあと揶揄されるのも頷けますね、あなたみたいな人を見ると」


 初対面。志村瑞樹は確かにそう言った。確かにその顔付きは相応の年数分幼く見える。とはいえ割と早い段階から顔が完成するタイプだったのか、それは間違い探しのような領域の話に思えた。


 つまりこの志村瑞樹は、2023年の志村瑞樹だ。


 記憶の限り志村たちは沖縄在住じゃなかった。


 そして俺たちと同じホテルに宿泊しているということは──他校との交流というプログラムが脳裏をかすめる。そういえば俺は、志村瑞樹の出身校を聞いたことはなかった。


「これは直観に近いのですが、あなた、私の名前をご存じでは?」

「さあ。田中さんとか?」

「志村瑞樹がいた。いまいっしょにいる。来てくれ……ふふ、変換を忘れるほど焦ってらっしゃいますねぇ……。やっぱり私の予想通りです」


 俺は──前の俺は、この鋭い洞察がどうにも苦手だった。


 そこでいつかの茶道部の人が通りかかる。彼女は俺を見つめると、慎ましやかとは対極の大声で伝えてきた。


「あ、おーい羽場ぁー。嫁から告り方わかんないから教えてって言われたよー! 男見せろよー!」

「まかせろー」


 適当に返事をして返す。既読が付かないのは自爆しているからのようだった。

 バタフライエフェクトで新たな男の可能性が誕生したなどではなくて、胸を撫で下ろす。


「恋人がいるんですね」

「ああ。残念だったな。他の運命をあたってくれ」

「ええ、とても残念です。お近づきになれたらいいと思っていたのですが」


 瑞樹はむすっとした顔をする。拗ねたように見えて、一かけらも動じていない際の顔だ。


 わかってしまう自分で、俺の境界線が曖昧になってしいそうだ。しずくの顔を思い浮かべた。


「なんで。君の命でも救ったことあったか?」

「さあ?」瑞樹は女優のように肩を竦める。「ですが私は水が高いところから低いところへ流れるように、東から昇って西へ沈んでいくように、私はあなたに強い興味を抱いているんですよ。運命の出逢いかしら」

「……頭大丈夫か?」


 ただでさえエキセントリックな女だったが、学生時代になるともはや怪人だ。美貌を有していながらも相手がいないのも頷ける。


 半分軽蔑も混じった俺の問いかけに、しかし瑞樹は堂々と答えた。


「大丈夫なわけないじゃないですか。兄を名乗る凡才や、両親を名乗る凡愚ですら私に手を焼いています。意思疎通の叶わない存在だと思われているんでしょうね」

「自覚ありなのかよ」

「自覚がなければ私ただのおかしい人じゃないですか」


 瑞樹は上品に笑いながら、矛盾しているようで筋の通っていることを言った。


「しかしながら、なぜ目的を有していながらも大衆に迎合せねばならないのですか?」

「……は?」

「確かに私の言動は奇矯に映るでしょう。ご想像の通り友人もいませんが、ふふふ」


「誇ることじゃねぇだろ。じゃあ普通にすりゃいいじゃん。普通にして、友達作って、彼氏でも彼女でも作って、ほどほどに勉強して、ほどほどに陰キャして、ほどほどに陽キャして、そうやって生きていきゃいいじゃん」

「それじゃあ面白くないでしょう。私はこうしたくてこうしているのです。私に頂門の一針を突かれ、言い返せず感情論へ逃げる人の屈辱に塗れた顔……! 私はそれが見たい」


 やりたいことをやる。他人から後ろ指差されようが知らぬ存ぜぬ。

 まるで誰かさんと似たようなパーソナリティだった。


 そして忌々しいことに、そんな彼女の在り方に腰の据わりがいいような安心感を抱いている自分がいる。まかり間違っても浮気などしないし、押し倒されたら蹴り飛ばしてでも逃げおおせる所存だ。


 とにかく、しずくの仮説が正しければなるべく志村瑞樹との接触を持たないようにしよう。俺は行動の方針を固める。


「厨二病やりたくてやってるんなら何も言わないわ。じゃあ俺は行くぞ。付きまとうなよ。警察呼ぶからな」


 瑞樹も瑞樹で昼夜を問わずメッセージを送ってくるほど、ストーカー気質なところがあった。攻撃よりも口撃を好む故に直接的な手段に打って出るとは思えないが、警戒するに越したことはない。


「ですが、私が運命的に羽場柊と深い関わり合いにあるのは疑うべくもないでしょうね」

「はいはい。言って、いや、待て」


 茶道部とのやり取りで俺の苗字が羽場であることはわかる。だが柊という名前まで教えた覚えがない。


 スマホの画面を覗かれたが、写真撮影のメモは解像度が荒く、一瞬で名前を読み取れるとは到底思えない。また表示されていた部分のチャットに「柊君」という文言は搭乗していない。


 本来の時間軸にない存在。羽場柊を奪わせないために。

 前のしずくからの指令が海馬の底から這い出てくる。


「戻ってきましたね」

「……」

「あら、ふふ、怖い顔。ただでさえ愛想の悪そうな顔をしていらっしゃるのに、それではまるで暴対法に虐げられている方々のようですよ?」

「なんで俺の名前を知っている」

「ですから、運命レベルのフィーリングと申し上げましたが? 記憶が数分しか維持できない病の方? 私はルートとでも自称した方がいいですか?」


 この見下すような笑みが何を意味しているのか、俺は知っている。


「からかわないでくれ」

「そういう反応も、やはり見覚えがあるのですよね。私の癖まで熟知している。そして私は柊さんと初対面にも関わらず、的確にそんな人物へ不審な接触を果たせた。どうです? これは傍証になりませんか?」

「……頭の病院を勧められそうな話だ」


「ああ行きましたよ?」瑞樹はあっけらかんと答えた。


「プライム・アーク医療センター。心療内科担当の高砂あきお先生。彼から壊滅的なまでに捻くれているだけで、何ら精神的な異常はないと……ふふ、壊滅的に捻くれているのならそれは人格の問題だと思うんですけどね」


「……」


「あら? どうしました、電車に乗り遅れてしまったような間抜け面をなさって」


 プライム・アーク医療センターは前の俺が通院していた病院であり、高砂あきおはそこに勤務している精神科医……前の俺に言わせれば『先生』だ。


 俺は前のしずくが放った「志村瑞樹を示唆する言動」を何かしらの関連性に因るものと定めておきながら、いま実体をもって存在している志村瑞樹との共通点を無視するのか?


「……いや、もう、いい。異能力があろうが、今さら驚かない」


 そもそもタイムリープの時点で条理など崩壊している上、前のしずくから時間を越えた接触がなされたのだ。


 しかも現物まで手元にある。俺は今の今まで常識的な目線から判断しようとしていた姿勢を恥じるべきだ。


 それに思い返せば、前の俺の時点で志村瑞樹は今現在と同じように言い寄ってきた。瑞樹の言葉に立脚して考えるのであれば、あの時もこの瞬間と同じような直観が働いたと推測できる。


「お前は何が見えているんだ」


 瑞樹はほんのわずか逡巡する。

 それは言うか否かを迷っているより、自分の感覚的なものを言語へあてはめる作業時間のようだった。


「世界の重なり合わせ……量子力学で言うところの、量子の重ね合わせの状態でしょうか。私は、その重なり方を直観的に察知できるのです」

「重なり合わせ?」

「ええ。例えばA世界とB世界が存在します。これは重なり合って存在している状態になりますね」


 瑞樹は上品なハンディバックからメモ帳を取り出すと、そこに二つの円型を描いた。よくある、円の一部が重なり合っている図解だ。


 そしてペン先はその部分を示した。


「ここには何があると思いますか?」

「そりゃ、AとBとで共通している部分だろ」

「具体性が足りませんねぇ。学者の才能はないようです」


 頬を吊り上げるようにして笑う性悪女。前の俺はこいつに惚れかかっていたって? 本当は仕事が嫌で嫌でかなり追い込まれていたんじゃないのか。


 瑞樹は解答を寄越さない。自分で考えさせるタイプの教師であるようだ。


「……例えば、2001年の9月11日に、米国のワールドトレードセンターへハイジャックされた旅客機が突っ込む、2011年の3月11日に東北で大震災が発生し、原子力発電所の暴発によって仙台の一角が放射能汚染される……みたいな、歴史に影響を与えるような出来事か」


「ああ、それもそうですね。あまり出来事が異なると見えづらくなるので。一面的には正解です」


 一面的には外れと言うことだ。落胆したように(でも常に笑顔だ)肩を竦めた瑞樹は、補足を開始した。


「想像していただいて心苦しいのですが、そういう大規模なものではありません。そう、例えば羽場柊と志村瑞樹はA世界でもB世界でも結ばれる運命にあります。それがC、D、E、F……と、パターンが増えていくにつれ、その濃度は増していきます」

「気持ち悪いこと言わないでくれ」

「ふふ、失礼な人。ふふ、ふふっ。ですがそういうことです。重なり合う世界の多くで共通する出来事……私は、それを直感することができます」


 それなら常に膨大な情報が流れ込んできていることになる。だが瑞樹の正気が損なわれているようには見えない。

 俺の憂慮をそれとなく察したのか、瑞樹は更に図解に書き足した。存外親切なのかと思いそうになる前の俺の要素が嫌だった。


「この説明ではA世界B世界だけでしたが、これをZZZ世界くらいまで拡張しましょうか。そうすると共通している出来事は狭まり、かなり限定的になります。それは人の人格だとか、性格だとか……そういうことが多くなってきますね」


 人間の性格を構築するのは先天的なものもあるが、多くは環境要因に依存する。

 俺はしずくを前にして、どんな環境でも人は歪まずにいられるだなんて口が裂けても言えない。


 だが性格が変わるほどの生育環境の急変が相次げば、それはバタフライエフェクトによって歴史の流れそのものが変化してしまう。そうすると瑞樹は『直感』することができない。


 故に見えるものは、人間にまつわる情報が大半を占めていると瑞樹は語った。

 重なり合う可能性での共通項を、瑞樹はフィーリングという語彙で表現していたのだ。


「え、じゃあ、前世からのフィーリングってのは……」


 瑞樹は、ほんのわずか頬を赤らめて、でも笑みを悪辣なものに変えた。


「しゅーくん!」


そこで舌足らずの声が響いた。

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