幼馴染と情報共有する

 3


 しずくは持っている情報全てを共有してくれた。


『奴』──俺にビデオレターを送って来た前のしずくから、LINEの干渉を受けていたこと。


 前のしずくの所業が、巡り巡って前の俺を自死まで追いやっているということ。


 そして、スーパーディープフェイクなるZipファイルを授かっていること、だった。


 しずくのスマホ撮影を見せてもらった限り、そのファイルの更新日は確かに、前の俺が志村と他愛ない話をした日と合致する。


 日付が羽場柊死亡の少し前なのは、たぶんその後規制なりなんなりが執行されたからなのだろう。つまり法の規制をかいくぐったアングラな品ということだ。


「じゃああの動画も……」


 俺は事の顛末をある程度理解できた。


 あの瞬間の俺にそれを伝えることができないのが、ただただ口惜しかった。


 しずくはそれ以外のことは伝えられていないようだ。

 それらは徹底して、羽場柊と白崎しずくが結ばれるために必要な情報だ。

 そこからは妄執が伝わってきた。

 テスト勉強の日にしずくが口にしていた物騒な言葉の数々も、しずくの性格を考慮すれば納得できた。


 そして──


「ごめんなさい」

「なんでしずくが謝るんだ」


 しずくは俯いたままだったが、ややあってから静かに頷いた。


「ただ、あの」

「ん?」

「……しゅーくんの正体」

「言っていたな。キャンプした時」


 俺の正体を知っている。それは取りも直さず、今目の前にいる羽場柊が純然たるものでないことを知っているということだ。それはいい。問題なのは、俺はしずくの好きだった羽場柊を歪めてしまったのではないか、そういう危惧だ。


 だがしずくはそれを杞憂と一蹴した。


「しゅーくんはあの時のこと覚えていてくれるから。わたしのとってのしゅーくんは、それだから」

「……うん」


 凍えていた白崎しずくを探し出し、助けが来るまで抱き締めていた夜のこと。

 しずくにとっての俺はそれであり、俺を俺たらしめるアイデンティティはそこを源流にしたもの。はにかみながらそう言った。


 俺はそれを忘れてはいない。


 だがしずくはすぐに目つきを鋭くした。


「あのね。わたし思うんだ。これは考察でしかないんだろうけど……言っていい?」

「ああ」


 羽田空港から発った飛行機の中。


 周囲は懐かしい賑やかさで満たされている。

 中島さんがクラスのオタクと推しキャラについての論議をしていたり、後は修学旅行中に誰が告白するだの、誰と誰が物陰へ消えていくかの予想だの、そういうしょうもないけど生きる上で大切な話題の数々。


 しずくはそういう数々を遮断するように俺だけを見上げながら、言葉を探すように切り出した。


「わたしは、33歳の羽場柊が、悲劇的な死を迎えた……らしいということは、知ってた。しゅーくんが急に落ち着き出した10月の末辺りに、人格がコピーアンドペーストされたんだなって」

「コピーアンドペースト?」


「うん」しずくはキャビンアテンダントから渡されたリンゴジュースを飲んだ。「本来、高校二年生元々のしゅーくんの人格フォルダがあったと仮定して、その上に情報が書き足されたって風に考えてるんだ」


「それは、俺が言った内容と何も変わらないんじゃないか?」

「考えてみて? 人格フォルダの中には、しゅーくんのパーソナルのファイルが色々と揃っている。当然、33歳のしゅーくんの情報を移植した際に、上書きされたものもあると思う」


「……」

「でもね、だとしたら、しゅーくんがわたしに好きって言ってくれたのおかしくないかな?」

「は? いや、俺はしずくのこと大好きだぞ。抱き締めたいぞ」

「あぅ、や、真顔で言わないでよ……」


 相変わらず照れ屋なのは変わらない。この調子で修学旅行中に成し遂げられるのかという懐疑的な目線もあったが、しずくを信じるべきだと構えている俺もいた。


「しゅーくんは、『奴』に……別のわたしに、酷いことをたくさんされて、どんどん壊れていった、んだよね」

「……だと思う」


 俺は既にしずくとその辺りの経緯を共有していた。これからしずくと交際していくのであれば、避けては通れない話題だからだ。


「それでね、しゅーくんはそもそも、志村瑞樹っていうクソ女と婚姻関係まで発展しかかってたわけ、あああ、ダメダメ抑えてわたし。わたしのなのにつばつけようとするとかさっさと死んじゃえよクソが、クソが、クソが、クソが……」


 しずくは生地が裂けかねないほどスクイーズを握り潰していた。


 歯の根が噛み合わず、幼さを残していると思い込んでいた瞳の奥にはドロドロとした粘っこいものが沈着している。俺の幼馴染はもはや本性を隠そうとはしない。嬉しい反面怖かった。喫茶店の時に察知した俺の直感は正しかった。


「しずく。ここお外だからね。大丈夫だからね。ね、ね」

「はっ!」


 でも別にストーカーだろうが病んでようが、しずくであれば構わないと考える俺も同類だろう。だからどうでもいいやと思っていた。


「ご、ごめんね。ついカッとなって。わたし、病院行った方がいいかな……」

「しずく頭おかしいからチラチラとメンヘラ特有の私おかしいのかなムーブしてないでさっさと行け」

「命令系!? にべもないよぉ! にべもないよぉ! うぇぇぇん……」

「付き添ってやるから」


 ただやっぱり治るんなら治って欲しいなと思った。治らないならそれはそれでいいけど。


 しずくは咳ばらいを挟んで正気に戻る。


「ごめんね。33歳の方の羽場柊さんは」言い方で工夫していくようだ。「志村瑞樹さんと恋愛関係に発展しかかっていた。そして瑞樹さんに新しい相手が出来てハシゴを外されたことが、羽場柊さん崩壊の決定打となった……」


「俺の記憶が正しければ、あいつはそういう風に崩れていったはずだ……あ、そうか」

「うん。羽場柊さんは志村瑞樹さんに少なからず好意を抱いていたはず。その時は、もう前のわたしのことを振っ切っていたんだよ」


 前提がおかしいとしずくは他人事のように語った。


 前の俺は高砂先生との面談と、お袋と親父との支え、そして着実に成長を実感できる動画編集とAIコントロールの技術によって、既に落ち着いてしずくのことを語れるようになっていたと記憶している。


「だとしたら、羽場柊さんの精神状態を加味するのならば、わたしとの復縁じゃなくて、志村瑞樹さんとの復縁を目指すはず……そうじゃない?」

「……それもそうだな」

「だから、多分だけど……」しずくは少し赤面した。「この時点の、しゅーくん、たぶん、わたしのこと好きだった、んだと思う」


 自転車にも飽きてやることがなくなったら、ぼちぼちしずくと付き合えばいいや。そう考えていた俺は、傲岸不遜ながら白崎しずくを恋愛の候補として捉えていたことになる。


 過去とは美化されがちなものだ。俺の中に二つの恋愛感情のファイルが存在していたとして、白崎しずくとの記憶は大きかった。なんせ寝取られたと騙されて引きこもりになるほどだ。自覚こそなかったが、しずくに負けず劣らず重たい感情を向けていたのではないかと思う。


 それから長い時間ではないもののしずくと行動を共にするようになって、また自我が高校二年生のものであったことも相まって、志村瑞樹への感情の優先度は低くなっていった。よりパソコンらしい言い方をすれば、エピソード記憶のファイルに埋もれて見えづらくなった。


 ゆえに俺の中にあったしずくへの感情は指数関数的に膨れ上がった……そう解釈する。


 白崎しずくの動機は、かつて俺が想像した通りなのかもしれない。もう救えない羽場柊の代わりに、スワンプマンを幸せにする。それは自慰行為に似た独善的な行いだったが、もう白崎しずくにはそれしか手立てがなかった。死人は何も許せないのだから、仕方ない。


 俺はこの事実を前のしずくに知らせてやりたいと思った。


 前のしずく?


「いや、待てよ?」


「え、なにが?」

「前のしずくからの干渉があったとして、それでいまの今での事態が引き起こされたとしたら……」


『しずく「大嫌いな人に似てる。人のこと豚呼ばわりして、偉そうに……。何様のつもりなんだか」』


「時系列が噛み合っていないぞ」


 前のしずくは志村瑞樹を知っていた。


 だがそれは白崎しずくの本性を加味すれば納得のいく話だ。

 スーパーディープフェイクで捏造動画を作成した後も、俺のことを追跡し続けていた。本人にとっては不名誉だが、たぶんしずくはそれをする。


 だが羽場柊と志村瑞樹が知り合ったのは、どう見積もっても大学を卒業した後。じゃあどうして、しずくは23年11月の段階で志村瑞樹を示唆するような発言ができる?


 もうここまで来ると偶然では済まされない。


 何か重大な見落としをしているのではないか。


「っていうかしずく。前に言ってたよな。キャンプ道具買いに行ったとき、俺が奪われたって。あれどういうニュアンスで教えられたんだ?」


「え、えーっと……」


 しずくは口では説明したくないのか、懐からメモ用紙とボールペンを取り出した。飛行機の揺れに気を付けながら、さらさらと奇麗な字で書き綴る。



『はやいうちに勇気を出して行動した方がいい。それが分岐線を生み出す。そうしないと羽場柊は奪われる』



「分岐線ってのは、世界線みたいなものか……?」

「う、うん。あの、auショップの次の日ね。昨日の日付で、一方的にそんな内容が送られてきた」


 しずくは万一にもあり得ないが、俺が奪われるという可能性を想像してしまい不安になったようだ。

 俺はそう遠くない未来にこの娘と付き合う運命にある。少し気は早いけど、手を握った。安心させてやりたかった。


 さっきのやり取り。スーパーディープフェイクも、そこで受け取ったという。


 しずくってこんな積極的だったか? かつて俺が抱いた疑問。


 それは中島さんから後押しをされたのもあったが、なるほど、未来のしずくから奪われるという情報を教えられて焦っていたのもあったのだろう。初日では慌てふためく様子こそあったものの、俺が抱き締めてもしずくは気絶するほどではなかった。


 それをあの日を境に急にそそっかしくなったものだから、それは多分だけど相当な焦りがしずくの中に渦巻いていたからだ。


 だが前のしずくがそう指示するためには、少なくとも『一度羽場柊を奪われた経験』がないと潮流が生まれないことになる。


 だが歴史の流れは俺が知っている通りだ。


 飛行機が少し揺れたので、俺はしずくをそれとなく支えてやる。しずくは気恥ずかしそうだったが、それでも俺の支えをされるがまま受け入れてくれた。長い前髪がクロスして、何だか変な感じになっていた。


 それは偶発的に記憶を掘り起こす。


「……量子の重ね合わせ」


「二重、なんとかのやつだよね」しずくはテストが終わった途端あらかた忘れていた。

「俺の知っている歴史と、前のしずくの辿った歴史が、並行して存在している……?」


 いやでも、それは量子みたいな極めて小さいミクロの世界に限定された話だ。世界、ましてや歴史そのものが重なり合っているなんてことがあり得るのか。


 ──観測者の有無で、性質が変化する。


「いやぁでもさぁ、大勢の人がそう思ってるんならそれが真実になるじゃん。世界ってそういうものだし」

「えー、田代わけわかんねぇってお前マジで」


「そうじゃん? だから俺思うんだよね。内容の正誤に関わらず、そう考える人が多い内容こそ真実にすり替わるんだって。じゃあ誰かが意図的にそれを操作できるならさ、世界や歴史はそいつの思うまま作り変えることができるってことなんじゃねぇの?

 今でこそ眉唾扱いのムー大陸。けどそれを実際の歴史だって信じる人が多くいれば、それはもう過去にあったっていう認識になるわけじゃん。邪馬台国もパンゲア大陸も似たようなものでさ」


「それ悪じゃない? つーか洗脳じゃね?」

「都合よく考えないと。正しいだけじゃ何も救えないんだぜ」

「うっわなにコイツ、くっさ」


 青臭い世間への批判が届く。

 お袋の主張は割とお寒いものだったのかもしれない。


 でもなぁ、自分がスワンプマンで嫌われるかもしれないってびくびくだったんだよなぁ。俺はあの言葉に滅茶苦茶救われたんだよなぁ。


 田代の発言を皮切りに、ひろゆき気取りの議論もどきが始まっていた。

 クラスは俺たちを放っておいて盛り上がっているらしい。


 俺もしずくも正直ちょっと浮いている存在だったので、無理くり混ぜようとしてこないのは助かった。


 だけどその論調に似た主張をどこかの誰かから聞いたような気がしたのだが、那覇空港へ到着するまでの間、思い出すことは叶わなかった。


「さっき話した内容、メモしておくね」


 しずくは気が利く女だった。

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