幼馴染とテント設営する

 しずくと各駅の旅をすること7駅くらい。


 俺たちの住んでいる街は翔んで琵琶湖から愛を込められたり名前をもじってださい呼ばわりされたりしている散々な土地だが、それでも都市部の比較的近傍で、なおかつ自然豊かなため行楽シーズンには結構なキャンパーや家族連れが訪れたりしていた。



「駅弁とかないのかな」

「次は俺が材料用意するから何か作って来て欲しい」

「前に作ったたまごサンドとか?」

「あれうまかったなぁ。何入れてるの」

「ナツメグと味の素」


 味の素最強説。リュウジも言ってるんだから間違いない。ちなみに39年でも彼は健在だ。


 俺たちは駅を出ると、ちょっと一か所だけ封鎖されている区画があった。


 何があったんですかとお巡りさんに尋ねると、何でも旅行会社と連携してアフターコロナに向けた感染防止ビデオの撮影をしているという。

 警視庁の一部も来ているとのことなので、しずくとちょっと白崎父を探してみたが、それらしい人はいなかった。


 ちょっと暇そうな警備の人を捕まえて話を聞いてみたが、やっぱりいないそうだ。代わりにこの企業は警視庁の啓発動画の撮影に協力することが多いという。互いの役員に知己でもいるのかもしれない。


『撮影協力企業 株式会社Precious Journey』


「……」

「どしたのしゅーくん。バス遅れちゃうよ?」

「おう。喉乾いたなって」


「ふふふふ、こんなこともあろうかとー……」しずくは満面のドヤ顔で魔法瓶を取り出した。「じゃじゃーん! ミルクティーは作ってきましたー!」


「ごめんちょっと抱き締めていい?」

「あぅあぅあぅあぅ」


 俺たちはバス運転手から白い目を向けられながら乗車した。幸いにもバス内部は空いていて、俺たちは一番後ろのシートに並んで座ることに成功した。


「ほんとはいけないことなんだけどね……」しずくは魔法瓶の蓋を開けながら、遠慮がちに言う。身をかがめるようにして、運転席の様子をうかがっていた。


「狙撃するゲームで見たんだけど、バスの運転席から意外と俺たち見渡せるっぽい」

「じゃあこれ見られてるの? うーん、じゃあいいのかな……」


 しずくはマトリョーシカ式のカップの大きい方を俺に差し出してくる。小さい方でいいと断ろうとしたが、やっぱりそのまま受け取った。


「お点前を始めます。えへ」


 しずくは合点がいったように頷くと、茶道部の人にでも教わったのか、何か畏まりながら茶を入れてくれた。


「さあさしゅーくん、ご賞味あれ」

「あ、いいなこれ。甘くて俺好みかも。どこの?」

「午後ティー買って来てリプトンのと混ぜた」


 台無しだった。


 バスは三叉路を右に曲がると、一気に周囲の景観が様変わりした。


 前に来た時の記憶ではまだ青々とした葉をつけていたはずだが、今ではすっかりうら寂しい姿を晒している。


 干からびた腕にも似た枝には、紅葉を通り越して燃え尽きたような葉がちらほらと残っているだけだった。


 ガードレールの向こうには渓流から伝う川が流れている。あそこから登って行くとちょっとした釣り堀があり、夏季限定だがニジマス釣りのアクティビティなども体験できた。


「あ、あそこ……わたしが……」

「あそこら辺だな」


 あと一時間遅かったら、低体温症で後遺症が残っていたという。


 俺はそっとしずくの手を握る。

 手のひらに残っていたミルクティーの温もりを少しでも分け与えてやりたかった。

 しずくは少し肩を震わせたが、唇をもにょもにょさせながら握り返してきた。



「着いたぞしずく。見ろしずく。あそこに枝に止まっている青く着色したスズメみたいなのがいるだろう。あれがルリビタキだ。ちなみにジョウビタキと鳴き声が全く同じだから、街中でヒヒヒと三下悪役の笑い声みたいな音が聞こえたらジョウビタキだぞ」


「しゅーくん、まずわたしはね、ジョウビタキが何か知らないんだよ。まず受付行こうね」


 何故か諭されるように言われた。

 半眼のしずくが手の甲をつねってくるので、俺はリードを引かれるペットのように受付小屋まで歩いた。


 顔見知りのオーナーとささやかな世間話を交わし、カフェの喫茶店のマスターと似たようんな会話でしずくがひっくり返ったりする一幕を経る。


 そうして俺たちは広大なフィールドへ繰り出した。


 山々の稜線のふもとには、冷え切った湖面が薄い雲を映し出している。天地をひっくり返したような光景を見ると、日常のしがらみから全て解放されるような心地になった。


「来たなぁ……もう来れないかと思ってた……」


 感無量だ。俺は全身を伸ばして澄んだ空気を吸った。


 社畜とは行かないが、まあ繁忙期はそこそこ忙しかった。

 それに加齢に伴う体力や意欲の低下もあったし、何より波乱万丈でキャンプする意欲など湧きようもなかった。

 でもこれは俺じゃない俺の経験なので、俺である俺からしてみたら数か月ぶりだ。さして懐かしくもないのかもしれない。


 考えると頭がこんがらがりそうなので止めた。



 運がいいことに人もそう多くはない。家族連れが二組いる程度で、俺たちと目が合ったがすぐに逸らす。関わってくる気配はなさそうだった。


「しゅーくん、もうちょっと行くとダムあるんだね」

「あと湧き水とかもあった。よかったら明日の帰り寄ってみるか?」

「そんなのあるんだねぇ。知らなかった……」


 しみじみと景色を見入るしずくを他所に、俺はせっせとバックパックから道具を取り出していく。


 取り合えず腰を落ち着ける場所が欲しいので、周りの小石やらを集めて林の方へ放り投げた。使えそうな小枝はこの時点でストックしておく。


「……よし、設営するか。力仕事は俺がやるから、しずくは持って来たり支えたりしてくれ」

「えー? わたしもぺぐ? とか打ち込みたいよ?」

「まずはポールからだ」

「なにそれ」

「骨組みみたいな感じ」


 取り合えずアルミパイプみたいな一式をしずくに渡した。尻にあるジョイントを指差すと飲み込んでくれたようで、おっかなびっくり組み立て始める。


「う、うう……」

「ど、どうしたのしゅーくん!? おなか痛くなっちゃった!?」

「俺……しずくとキャンプ来てるんだなぁって考えたら、感慨深くて、ううっ……」

「そっかぁ」


 塩対応だった。はしゃぎすぎたので仕方ない。


 ポールが完成したので、しずくと協力してテント本体を広げた。当時のバイト代を叩いて購入したので結構広くて頑丈。更に雨天も余裕で耐える。凄い。ogawaさん凄い。


「テントの四隅に、そう、それ、古い蝶番みたいなやつ付いてるから、そこにポールの先端突き刺す感じで……」

「こ、こう? これ固定されてるの?」

「ん、でっ……! ぎっ、こ、こうする……!」


 俺は力を加えてポールをしならせた。こうしないと高さを確保できない。


 キープするのは簡単だが、曲がるまで結構力がいる。しずくだと足を滑らせて後頭部を強打する危険性があった。


「お、折れれるよぉ!? こ、ここ? ここに刺せばいいんだね?」

「そう……そう。そこ、そこ。さっきと同じ要領で……」


 しずくが細腕に力を込めて何とか突き刺した。ふぅと一息。軽く汗ばんだ額を拭い、立体的になったそれを見やる。


「おお……すごいね。こういう原理だったんだ……」

「んでペグ打って……フライかぶせるから。そう、それ。下に敷いたのよりちょい大き目の……」


 みるみるうちにテントが組み上がっていく。

 こうしていると、昔プラモデルに凝っていた時期を思い出して懐かしい気持ちが込み上げてきた。あれは確か全部親戚の子供にあげたかお袋に捨てられたんだったか。身の程知らずにフルスクラッチしようしていたのが、今となっては無謀極まりない。


 ポールを通したフライを改めてペグで固定する。ちょっと痛んだ手首をプラプラと振りながら立ち上がると、しずくは大きい目に期待を滲ませて聞いてきた。


「できた?」

「完成」


 冬空の下、ハイタッチが音高く響いた。

 手を取り合って喜び合う俺たちを見て、通りかかった家族連れが微笑ましそうに噴き出していた。思いもよらぬ冷や水で少し早く冷静に戻る。


「しかしもうちょっと時間かかると思ってたんだけど、意外としずくが手際よかったな」


 俺は全て懇切丁寧に説明するつもりで、一応テント設営動画を一時間くらい視聴してからやって来ていたのだが、それらはすべて杞憂に終わった。


「ふふふ、なんでだと思う?」

「どうしてだ?」

「ゆるキャン△観た」

「流石だ」



 完成したテントの脇に道具を広げると、しずくは原っぱに横になった。緩い傾斜が付いているので、寝転がるとリクライニングみたいで気持ちがいい。


「この後は?」

「暗くなる前に薪とか集めに行く予定……だけど、一応着火剤はホームセンターで買ってある。薪もめんどかったら売ってる」

「一休みしたら集めに行こっかー」


 俺はしずくの方に顔を向けた。まるで受験や就活から解放されたような、そんな晴れやかな表情をしている。視線に気付いたしずくは首をこちらへ曲げた。長い前髪が目に入ったみたいで手で顔を掻く。


「意外と乗り気で嬉しいわ。なんか、俺一人だけはしゃいでるような気がしてたから。無理して付き合わせてたら悪いなって」

「しゅーくんってふてぶてしいくせに、そういうところは人一倍気にしちゃう人だよね」


 しずくはいたずらに瞳を細める。俺もつられて笑った。


「昔はそうじゃなかったのに。我が道を行くって感じで、わたしが誘ってもずっとつっけんどんな反応で……」

「だからだよ。この前も言ったけど、これからはしずくと大切にするって」

「うん……」


 手にすくった初雪が静かに溶けていくような、そんな余韻を含んだ肯定だった。


 彼女は視線を空に戻す。


 俺も幼馴染に倣った。木々の梢の揺れる音、野鳥の鳴き声、湖面で水が弾ける音。


 それらに混ざって、俺たちの呼吸音だけが生きているみたいだった。


「もうちょっとで勇気出せそうだから、待っててね」

「わかった」

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