幼馴染とキャンプ行く準備する
「しゅーくん」
「しずく」
「しゅーくん、古文は……?」
「よ、48点……! しずく。物理と化学は……?」
「52……と、49……!」
俺たちは手を取り合って白雲に満たされた冬空を仰いだ。俺たちは残業に類する悪しき風習たる補習を免れ、見事土日の自由を獲得したのであった。
「羽場さん、白崎さん。返却進まないからそこどいて。赤点ラインは47点です」
ぎりぎりだった。キューバ危機ぐらいぎりぎりだった。
ちなみに勉強してこれなので、俺たちの古文、理系適正がどれほど低いのかを如実に指し示す指標となる。頑張っても出来ないことはあるよ。だから他に向いていることを探す姿勢が大切って就活エージェントのお姉さんも言ってた。
「おーい羽場ぁ! あ、あと羽場のおまけの女」
「君名前なんだっけ」
「田代だって、あ、いや、待て。ごめん嘘。ジョニーデップだわ」
プリント片手に坊主頭がやってくる。頬がつやつやしていた。
「あれ? わたしってひょっとしてそこはかとなく馬鹿にされてるのかな」
「そんなことないよ。しずくはかわいいからな」
「えー、わたしかわいいってそんなこと言うのしゅーくんぐらいだよぉえへへへぇ……うへへへへへへぇ……」
「うっわ何コイツら! なにコイツら! 子供デキて中退しそう!」
「おいやめろマジでお前具体的なのやめろお前マジで」
「そうだよ。た、なんとか君。羽場家の赤ちゃんは計画的に作らなきゃ」
「しずく?」
中島さんが成長したなぁ的なニュアンスでこっちを見ていた。成長の解釈は人それぞれなので俺は何も言わなかった。
「おいおい待てよ。お前らのイチャイチャなんてどうでもいいから俺の点数見てくれよ。俺も赤点回避したんだよ。凄いだろ俺。ヤバいわ。エッチだけど未経験で俺に対して一途な巨乳の天使ちゃんが空から降ってくるわ」
「それだったら俺の所には新しいアウターが降ってくるな」
「わたしのところには新しい食器洗浄機が降ってくるね」
「しょぼいなお前ら。金払えば買えるじゃん。もっと夢持てよ」
「食器洗浄機って空から降ってきたら屋根貫通するんじゃないか?」
「アウターも風に煽られてどこか飛んで行っちゃいそうだよね」
「例え話にマジレスするのやめろよ」
俺たちはジョニーデップと別れた。ジョニーデップは「田代」という仮初の名で呼ばれながら野球部と点数バトルで火花を散らしていた。楽しそうだなぁ。いいなぁ。
俺たちは連れだって街へ出た。
しずくの距離は前より少しだけ近い。具体的にはふわふわとした毛先が俺の手の甲にあたるくらい。
「わわ、ごめんね」
「車道側歩くな」
「あぅ」
白崎しずくは志村瑞樹を知らない。つまり、俺がタイムリープしたように、しずくも前の人生の記憶が移植された存在だったのではないか。そういう懸念は見事に外れた。
本当言えば、安心している。冗談抜きで胸を撫で下ろした。
あいつへの恐怖心は、依然としてあった。いつかしずくが俺を惨めな谷底へ突き落すのではないかという
「しずく」
「どしたのしゅーくん」
「手とか繋ごうぜ」
「ふぇっ!? あ、え? て、て?」
「うん。もちろんトイレの後にはハンドソープで奇麗に洗ってる」
「や、それは疑ってないし、むしろ清潔だから好印象だし……」
「好印象か。嬉しいな」
「ぅぅ、しゅーくん? 中島さんに何か言われた?」
「いや、言われてないけど。これからキャンプの道具買いに行くわけだしさ、これって実質放課後デートじゃないか? だからそれっぽくしたかった」
「長い。三行で」
「デートだと思ってる。しずくと。手を繋ぎたい」
うるせぇな。どうせ俺がどう考えているのかとかしずくには筒抜けに決まってんだろ。幼馴染だぞ。たった三年間友人やってただけで、人はそいつの考えをそれとなく推察できるようになる。従って俺の気持ちなんざ、しずくはわかっていないはずがない。
「もちろん、決定権はしずくにある。俺の思い上がりならそう言って欲しい」
「わ、わたしに決定権……?」
「うん」
しずくは自分で決めることが苦手なヘタレ。わかっていても選択肢を委ねたくなった。
だってまあ、お袋の提案を受け入れた時だって、しずくは勇気を出して受け入れた。だからウチに入り浸っている今がある。雨降って地固まるとは違うけれど、そうして白崎父からしずくを託された。
幼馴染は学校指定の薄手の鞄に顔をうずめた。エナメル質に少し丸い鼻先が潰れてちょっと間抜けな顔になっていることだろう。
「……いいよ」
「よっしゃぁ! おっしゃぁ!」
「はしゃがないでよぉぉ……はずかしいよぉぉぉ……」
俺は遊園地で暴れまわるクソガキのようにしずくの手を水車みたいにぐるぐる回した。実際に水車だったらモーター部分がぶっ壊れるくらいの速度で回した。
「そんな繋ぎたかった……?」しずくが鞄の隙間からちらりと見てくる。
「はっ! しまった。俺は自分本位になりすぎていた。俺の好意を一方的にぶつけるだけでは、白崎しずくという女の子を委縮させるだけ。キャンプとしずく。まさしくハンバーグにとろけるチーズ、珈琲とドーナツ。羽場柊にとって黄金とも称すべき組み合わせを前に、俺は躾けのなっていない犬のように興奮を抑えきれなかったのだ」
「しゅーくんしゅーくん。地の文出てるよ。さすがにちょっと気持ち悪いよ」
しずくはジトっとした目つきで俺の足を小さく蹴ってくる。俺はヘラヘラしながら謝った。
「でもなしずく。冬はいいぞ。冬キャンプはいいぞ。自転車でな、こう、勢いよくキャンプ場までの道のりを滑走していくんだ。全身に風を受けて、コートがふわっと広がる。鋭い冷気を含んだ風を全身に浴びてから、松ぼっくりと薪を集めて火を起こすんだ。そうして雄大な景色を眺めながら、ああ、もともと人類は自然の中にいたんだなぁっていう感傷的な感情に浸りながら……」
「あーあーわかった。わかったから。しゅーくんがキャンプ大好きなの分かったから。これからいくらでも付き合うから」
「えマジで」
「え、あ、いや、毎週は嫌かな」
「あはは、それはないな。金が持たないし」
「しゅーくんテンションたっか……」
人工の明かりがほとんどないなか見上げる白鳥座とか最高だぞお前。
でも力説したらまたドン引きされそうなのでやめておいた。
俺たちは無印良品でレトルトパウチをいくつか見繕ってから、次はワークマンへ出掛けた。
テント、シート、寝袋、ペグ、ライト、スキレットなどの基本アイテムは俺のものを用意する。しずく用の一式を揃えようとしたが、しずくは曖昧に笑うだけだったのでやめておいた。
「しゅーくん、ナイフって何に使うの? 誰か殺すの?」
「なにその発想、こわ……。あー、あれ。フェザーしたり薪割ったり肉捌いたり」
「フェザーってなに?」
「フェザーって言うのはな、木片を薄くして着火しやすくするんだ。で、ナイフの歯を滑らせるようにカットして小さな破片を量産し、そうすることによって種火を起こしや」
「ごめんね。わたし見てるからしゅーくんの好きなもの選んでいいよ」
「いいのか!」
いいんだ。俺はしずくとキャンプできるだけで滅茶苦茶嬉しいから、しずくが若干引いていることなんて些末事に過ぎないのだ。ぐすん。
取り合えず俺はしずく用のランタンを一つ。後は折り畳み式のチェアーと携帯式の食器類を揃えた。
「よーし。ここからは俺のセンスじゃどうにもならないぞう。うぇーい。ふぉっふぉう」
「しゅーくんそんなんだっけ」
「俺のことはどうでもいいんだよ。しずくの防寒着だぞ。おい、防寒着だぞ。これつまるところ女の子の冬コーデだぞ。やばくないか。おい」
「ああぅぅぅぅあたま撫でるのはいいから振り回さないでよぉぉぉぉぉ……」
未来のしずくとは無関係とわかった瞬間、何だかしずくを弄り倒したくてたまらない。これがキュートアグレッションか。そういえば俺ファーストコンタクトで抱き締めていた。あれが偽らざる俺の本心だったと、遅きに失して気が付いた。
俺から解放されたしずくは嘆息した。
「ここからしゅーくんが奪われるなんて嘘じゃん……。なんか、あのメールも、あのファイルも、全部悪質なスパムなような気がしてきた……」
「おいおいどうした。スパムか。案ずることはない。俺であって俺でない不幸なエンジニアには情シスの友人がいたような気がする。奴は言っていた。最近のウィルスってファイアウォール平気で貫通するから役に立たないなぁって。任せろ」
「すごい。こんな頭悪そうなしゅーくん初めて見た」
趣味は男を狂わせる。嫁にガンプラ捨てられたとかアクアリウム破壊されたなどの話はしょっちゅう耳にするものだ。
「金は俺が出す。デートの時に引き出した10万がまだ8万ちょい残ってる。たぶんどれ選んでも余裕で買えるはずだ」
「わ、わたしに、そんな、お金、使うの、もったいないよ。ああとデートじゃないデートじゃないっ……」
「それだけ楽しみなんだもん」
「しゅーくんっ、なんだもんとかいうキャラじゃなかったじゃん。もー……やれやれ。あのコートだって6万円くらいしたし……」
「あれ、俺コートの値段言ったっけ」
「なんでそこだけ鋭いのぉ……? いみわかんない……」
しずくは呆れ顔で陳列されている防寒着を物色する。
俺がテンションを抑えていたらもう少し楽しそうにしてくれていたのかなと思うが、こういう不貞腐れたような横顔もそれはそれで愛らしい。美少女だなぁと思った。生態が珍獣なだけで。
「んぅ、でもなぁ、しゅーくん、わたしとこれからも一緒にキャンプしたいって本気で思ってくれてるんだもんね」
「当たり前だろ」
「ぅぅぇぇぇぁああ、でも逃げちゃダメ。あぁぁぁ、ぅぅおぇぇぇ」
幼馴染は奇声を発しながら目を閉じて頭を左右に揺らす奇妙な動きをしていた。俺はしずくの頭をホールドし、その動きを遮ろうとしてみる。
「やぁぁー……やぁぁー……あぅー、あぅー……」
「なんでそんなサウナみたいな声出してんだよ」
「わたしはばかなのでこうしないとはずかしいをはっさんできないのです」
ふにゃふにゃだった。
しずくは軟体動物と化してしまう一歩手前だったので、ひとまずよしよししてあげると落ち着きを取り戻したみたいだ。しずくは咳払いを一つ挟むと、再び服を選びに戻った。
「あのね」
訂正。どこか心細そうに俺を振り返ってくる。
「どうした? 焦ってくらくらしてきたのか? いろはす飲むか?」
「動揺するとたくさん水飲むのしゅーくんくらいだよ……」
俺の癖筒抜け。
「せっかくしゅーくんがお金出して、わたしの道具も買ってくれるっていうから、わたしも最大限自分に似合うものを選びたいんだよ?」
「ん。なら俺も金を出す甲斐がある。そういう風に思ってもらえて心から嬉しいよ」
「でもね、でもね。わたし、そんな服装のセンス良くないし。デートの時のカーディガンだって、あれ中島さんに付き添ってもらって選んだやつだし……」
「あれ拾ったやつじゃなかったのか」
「いじわる」
「前も言ったけど可愛かった。ニット素材の柔らかい質感が、しずくのほわほわしたイメージと合致しているように感じた」
「……もう」
その「もう」は、拗ねたようなものでもなく、真っ赤な顔のままはにかんだものだった。
「じゃあ一緒に選ぼうか」
「いいの? しゅーくん、わたしが選んだ防寒着見たかったんでしょ?」
「それは俺の希望だ。でもしずくは自分のセンスに自信がない。なら俺と一緒に選んで、それとなくしずくセレクトへ導く。そして俺はそれを褒め讃える。完璧なプランだ」
「えー、言ったら台無しだと思うよ?」
どこかいたずらっぽく笑うしずく。まだ朱の残る頬に、少し垂れ目がちの優しげな眼差し。高くはないけど整った
お前なら心配しなくても何着ても似合うよ。そう言いたかったけど、しずくの言う通り台無しになっちゃうので口を
そういうわけで幼馴染に色々なものを着せてみようのコーナー。
候補その1。
「え、これ?」
茶色を基調とした合成繊維モリモリでゴワゴワの防寒着。どちらかというと炭鉱夫と言った風合いだ。何か地元の肉体労働の作業員募集ポスターのイメージキャラクターみたいになっていた。
「これはないかなぁ」
「しずくは何着ても似合うよ」
「それで喜ばれるの最初のうちだけってインターネットの自称サバサバ系が言ってた」
「真に受けんなよそんな奴の意見」
でも連呼すると思考停止しているように思われるので、あながち間違っていないのかもしれない。
候補その2。
蓄光素材のラインがそこかしこに引かれた蛍光色の防寒着。一応内側にも道具を収納するポケットがあるので、利便性は無視できないものがある。正直昔いた、あの、ガラケーで変身する仮面ライダーの色違いにしか見えない。
「交通整理の人だよねこれ」
「交通誘導な。整理だったら警察しかできないから」
「なんでそんなこと知ってるの……」
お前の親父さんが言ってた。
候補3。
「しずくしずくこれかわいいやばいやばいしずくかわいい」
「雪だるまだよこれ」
「しずくかわいい」
「雪だるまだって。よく見てよしゅーくん。雪だるまだよ。ちんちくりんが白くて過剰に膨らんだ服着てあたかも雪だるまだよしゅーくん」
「しずくかわいい」
「しずくかわいいbotになっちゃった……」
「しずくかわいい」
「しずくパンチ放つよ」
不覚にも一発食らったけど結構痛かった。腰が入っていた。お父さん警察官だから柔道の基礎叩きこまれているのかな。
「うーん、正直ね? しゅーくんが好きって言ってくれるから、あ、あの、わたしとしては、その、これにしたい気持ちが大きんだけど……でも、でもね? 動きにくいかなぁって……」
「じゃあアウトドア用の防寒着としてはゴミ以下だな」
「どういう情緒してるのしゅーくん」
しずくには言われたくないなぁと思った。
候補その4。
「それ俺がいつも着てるやつじゃん」
「ま、まあ、そう、だね」
黒を基調とした、ファー付きのコートみたいな防寒着。前に言っていたNORTH FACEのやつだ。値段としては2万円ちょっと。
来日したゴルフ選手が着用していたことで、一時ちょっとした話題になったアウター。言うまでもないがメンズ。一応SSサイズがしずくの体躯と一致しているが、それでもやはり俺は地味なんじゃないかと思う。
「しずく?」
「これにする」
「しずくはふわふわした可愛らしい感じのが好きだけど」
「わたしはこれがいい。しゅーくんとお揃いがいい」
俺は一瞬。
ほんの一瞬だが、幼馴染の顔を見ることができなくなった。
天井のプロペラ型の空調をしばらく眺めていた。何やらクスクス笑う愛らしい声が聞こえた気がしたが、あるいは幻聴だったのかもしれない。
そうして俺たちはその一着と他の道具を携えてレジまで向かう。
「ねえ、これ着てもいい?」
「ああ。もうお前の物なんだ。好きにしろよ」
「あれー? なんでしゅーくん若干素っ気ないのかなぁ。わたししゅーくんとお揃いで嬉しいよ? すぐにでも着てしゅーくんと同じアウター共有したいよ?」
「わ、わかったから。恥ずかしいんだよ。やめろよ。俺のデレに需要ないだろ」
「わたしにはあります……!」
力強い宣言を前に、俺は何も言うことができなかった。
とはいえ、るんらるんらスキップする幼馴染の背中を眺めていると、悪くはないと感じる。むしろよかった。有意義な買い物だった。
「へぶっ」
幼馴染は転んだ。
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