幼馴染とテスト勉強する
我が中央第二高校は、11月の中旬に修学旅行を控えていた。
だが楽園の前には試練が待ち構えているのが世の常。
普段は奇声と罵声と嗚咽の飛び交う愉快な校内にも、期末テスト期間特有の張り詰めた空気で満ちていた。
「ブランニュー羽場。一緒に地獄へ行こうな」
田代が白い歯を見せて笑ってくる。
「いや俺勉強するし」
「おい待てよブランニュー羽場。お前前まで成績は凄絶なる低空飛行だったろ。もはや死人と大差なかったろ」
「そんなことねぇよ。勝手に勉強できない属性付与するのやめろ。あとブランニュー羽場ってマジで言うのやめてくれない」
「なんだよ。野球部の面々もツレもみんな冷たいよ。勉強会誘われないし」
「お前友達多そうじゃん。なんかしたの?」
「野球部二年の勉強会で「こんなつまんねぇことやめてカラオケ行こうぜ」って言ったら誘われなくなった」
「地獄で苦しめ」
田代が泣きつくと、クラスの野球部はしんそこ嫌そうな顔をしながら彼を受け入れたようだ。坊主頭はぞろぞろと図書室の方へ消えていった。
俺はこの世界がこういう暖かな慈愛に満ちればいいなぁと思った。でも田代みたいな奴がまたぞろやらかすのでほどほどが一番だなぁと思った。
ひと気のないグラウンドも新鮮なものだ。言うまでもないがテスト期間中は部活も練習していない。唯一全国進出実績のある女子陸上部だけが活動している。
「おい羽場」
「おいとはご挨拶だな中島さん。なんだ」
「しずくんは文系全般ずば抜けているのに物理と化学がアレ過ぎる。お前が何とかするんだ」
「任せろ」
俺はサムズアップして立ち上がる。
しずくのところへ向かおうとして、ちょっと立ち止まった。
ちょっと勇気を要した。
「なぁ中島さん」
「どしたん」
「タイムリープものってあるじゃん。あれってさ、戻った時間軸の肉体に宿っていた本来の人格ってどうなるの」
「あれ時間
ってかそもそも記憶と自我の境界線なんてわからないしねぇ」
「じゃあ、これは例えばの話なんだけど……。未来の俺が自殺して、この時間までタイムリープしたとする。でもそれを一般的なタイムリープものの解釈にあてはめるのであれば?」
「未来の羽場は変わらず死んだまま。死んだ羽場の記憶や感情、経験を、高校二年生の羽場柊が受け継いだだけ。人格のベース、自我のベースは高二の羽場のもの……になるんちゃうか。知らんけど」
そうか。やっぱりそうなるのか。
あいつ報われないまま死んだのか。
「そうなんだ。サンキュ」
「あいよー」
俺は親戚の兄、あるいは昔付き合いのある年上の兄貴分が非業の死を遂げたような、そんな心地にさせられた。自分が着ている制服を見る。パフェの味を思い出す。
「……切り替え、ようか」
いつも仕事前に試していたルーティーンで心を整える。だがそれは俺の会得したものなのかは定かではないが。
しかししっかりと感情が凪いだので、皮肉なものだ。
俺は鞄からいろはすを取り出して一気に飲み干す。空になったそれをベキリと潰した。最近結婚したらしい数学教師が「冬は乾燥するもんな」と軽薄に笑った。
さて、この後はしずくと勉強会をする予定になっている。
何度も言うが俺は高認の際に一年の内容から
あとしずくは「しゅーくんは、なんだろう、なんで古文だけはダメなのかなぁ」と嘆いていたけどよくわからない。古文できなくても死ぬわけじゃない。俺は古文を勉強する必要性がないと説いても、しずくはむすっと睨んできた。退路を塞がれた。古文嫌い。
「しずく、行こうぜ。あと文部科学省に古文を廃止するよう署名活動しようぜ」
「あ、待って待って。あと古文から逃げるな」
しずくは何やら開いていたサイトを閉じた。ちらっと見えた限り、攻撃的な関西弁の後、「ンゴゴゴゴwww」という奇怪な煽り文で〆られていた。しょうもなさすぎる。
ただ勉強に疲れたらこういうものに触れたくなる気持ちは理解できたので、俺は何も言わないでおいた。
「ん、しゅーくん。行こっか」
「中島さんはいいのか? 前まで二人で勉強してたっぽいけど」
「あ、えっと」しずくはしどろもどろになったが、しかし逃げることはしなかった。
「わたしから、しゅーくんと二人で勉強したいって言った……」
「……そうか」
「そしたら、なんか中島さんすっごい嬉しそうな顔してた」
「中島さんはそうだろうな」
閉塞感を生み出すリノリウムの床も、
俺は左斜め下を見ながら、そう意識した。
勉強場所は俺の部屋に決まった。別にそういう意識をしなかったわけじゃないが、階下には普通にお袋がセンベイ片手に暴れん坊将軍を観ているので安心だ。
例のノートは机の奥深くにしまった。デスノートばりに対策すればよかったが、冬に小火を起こすリスクは計り知れないのでやめた。あと普通にあのギミック作れるほど手先が器用じゃない。
「じゃあしずくの苦手な分野からやろうか」
「むー、しゅーくん、古文出来ないまま放置すると受験に響くよ」
「コブンってなんだ? ウゴゴ……オレ、コブン、リカイ、フノウ」
「記憶を
お菓子と茶を持って来てくれたお袋を交えた厳正なる審査の結果、ひとまず今日は物理に重点を置いて七時まで励むことに決まった。
「しゅーくんのお母さん良い人だよね」
「ああ」
俺は否定も肯定もしない。
「この話になるといつもしゅーくんしおらしくなる」
しずくはクスクスと笑うだけだった。
とりあえずノートを広げてもらってから、教科書をめくって試験範囲を俯瞰する。そうしてしずくのわからない箇所、間違った解釈をしている箇所をピックアップした。この勉強法はしずくの父から教えてもらったものだった。
「んー……」
「わからないか?」
「ううん、もうちょっと考えてみる」
「そうか」
「……」
「……ねぇしゅーくん」
「ん?」
「もし。もしね。しゅーくんに、どうしようもなく頭の悪い子供みたいな理由で、本当に酷いことをした人がいたとして」
「うん」
「その人がごめんなさいって言いたがっていたとしたら、しゅーくんは許してあげられる?」
「誠心誠意謝って、もうしないって誓うんなら、許すかな」
「そっか。そっかぁ……」
こちらを見るしずくの瞳の奥。どろどろとした埋火がくすぶっていた。
「……わたしは許してあげて欲しくないなぁ。しゅーくんが許しても、わたしはたぶんそこまで寛大になれないよ。そもそも、しゅーくんはその人に優しくしてあげる義理なんてないからね」
しずくは折れたシャー芯を新しいのに替えた。
「なんかの比喩か?」
「ううん、なんでもないよ。わたし独り言多い変な子って言ってたから仕方ないよね」
「根に持つなぁ」
壁掛け時計の音がしずかに鳴り響く中、しずくは小さく笑った。
「ね、他人の人生終わらせておいて、何様のつもりなんだろうね」
「……」
「臆病で、ヘタレで、心配性で、傲慢で、他人のことを自分のものだと思い込んで」
「特定の誰かなのか?」
「ううん。でもね、お前が代わりに死ねばよかったのになぁって、最初に話したとき思ったよ。被害者面するなよって」
「……」
「えへへ、なんちゃって。ごめんね、なんか厨二病みたいなこと言って」
お茶が無くなったので、俺は自分からお代わりを買って出た。しずくはちょっとおろおろしながらも、カップを差し出してくれた。
「あら、LINEでもしてくれたら持って行ってあげたのに」
「ごめん。ちょい、あの、あれ、頭痛くなった」
「あー、難所? 古文はやんないんじゃなかったっけ。古文以外は平均点くらいだったでしょアンタ」
「そんな感じかな」
風呂場へ行って、水のシャワーを出す。洗顔クリームを勢いよく塗りたくってから、それを流した。顔の皮脂が荒い落とされてスッキリする。その後、俺は愛用のタンプラーを手に取って、水道水を2杯くらい飲んだ。
俺は再度、例の動画の再生を試みた。だが積極的なアプローチに応じてくれる気配は一向になかった。
「お袋」
「なに?」
「スワンプマンって知ってる?」
「ああ、あれね。思考実験の」
仕事も人間関係も恋愛も、全て恵まれなかった男がいたとする。男はある日、車に乗ってハイキングに出かけた。自然の恵みに包まれてリフレッシュしてから帰路へ着こうとすると、不運にも雷雨に見まわれてしまう。刹那、一閃の稲妻が男に直撃し、男はその不幸な生涯に幕を下ろした。
これだけならただの胸糞悪い話。続きはある。
「それで、あれよね。近くの沼にも雷が直撃して、化学反応で男と同一の個体が生まれるっていう……」
化学反応で生まれた「それ」──スワンプマンは、男と寸分違わない記憶と自我を有していた。だが、「それ」と同じ空間に男の亡骸は存在する。スワンプマンと男は何一つ違わない要素で構成されていながら、男とは別の存在だったのだ。
「でさ、お袋。ここからが俺の聞きたいことなんだけど……」
「もったいぶらないで早く言いなさいよ」
「男を不幸にした存在、まあAさんとしよう。Aさんが改心して現れたとするじゃん」
「うん」
「で、Aさんはこれまで男を不幸にしてしまった分の幸せを与えてやろうとしたわけよ。その設備も金もあった。当然の帰結として幸せになるのはスワンプマンだろ?」
「そうなるでしょうね」
「でもここで話が食い違う。Aさん、実は男が落雷で死んでいて、スワンプマンに尽くしていたって知っていたわけだよ」
「それで?」
「Aさんの贖罪は、正しいものなのかなって」
リビングの姿見に映る俺の横顔は、救いを求める求道者のそれと酷似していた。
お袋はしばらく考え込んだ後、こともなげに言った。
「正しいか正しくないか、許すか許さないかなんて、死んだ男しかわかんないでしょ。スワンプマンはそれに対して何も言う権利なんかないわ」
「お袋はさ、息子が偽物だったとしたら」俺は舌がもつれた。「あるいは、しずくもさ、俺がスワンプマンだとしたら」
「あんたスワンプマンなの? 厨二病? いやぁ、自分のことファンタジー的に特別な存在とか思い込むのは早いうちに終わらせておいた方がいいわよ」
かといって自分のことありふれた存在とか、どこにでもいる存在とか卑下すると、それはそれで病むけどね。人間本心ではみんな特別で選ばれた凄い奴でありたいから。お袋は笑う。
「まあ、それでも構わんけど」
「ふん、でもねぇ」お袋は茶をすすると、「過去のダメだった自分を捨てて新しい自分になるっていうありがちなやつも、これ考え方によっちゃスワンプマンじゃない?」
「詭弁じゃないか?」
「詭弁でも言い方変えれば方便よ。事実だけ突き付けられて生きていけるほど出来た人間なんてそういないんだから。自分に都合よく考えなさい。そうしないとみんな生きるの苦しいだけでしょ」
お袋は俺を軽く押し退けると、トイレの方へ小走りで駆けっていった。俺と似て横着なところがあるので、ぎりぎりまで我慢している。アホかと笑った。
……まあ、でも。
俺は俺だ。
仮に悲劇的な末路を迎えたあいつがいたとするならば、あいつの分まで俺は幸せになる義務がある。あいつが血を吐きながら蓄積した記憶を、俺は最大限活用しなくてはならないだろう。無駄にしてはならない。
それが誠意ある対応というものだろう。
「よし」
俺は気合を入れた。
「しゅーくん、古文から逃げちゃダメだと思うな」
「ウガガガ……コブン、イミナイ」
「しゅーくんしゅーくん、天丼は三回までだよ」
いつかと同じことを言っていた。
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