幼馴染に久しぶりに夕飯作ってあげた……!

 帰宅後。机の上に書置きがあった。


『母さんと焼肉行く。夕食代は後日請求すべし。要領収書』

「前に健康診断引っ掛かってただろ親父……」


 彼は俺が大学二年生のころに腰をやっちまってヘルニアとの死闘を強いられる運命にあるわけだが、俺が何もしないでも生活習慣病ないし何かしらを患っていたのではないか。


 インスリン注射まっしぐらの親父にドン引きしていると、物置部屋の方からドヤ顔のしずくが現れた。


「ふふふ、わたしは事前に全部わかっていたんだよしゅーくん」

「な、なんだってー! それお袋から連絡来てただけだろ」

「さあしゅーくん、制服脱いだら行こう。わたしたちのエルドラド、スーパーマーケットに……!」

「テンションたっか……」


 しずくは料理が死ぬほど好きだ。というか家事全般を愛している。


 世界記録の喉元まで迫る速度で着替えを済ませた俺は、ハイテンションなしずくを伴って一路スーパーまで出掛けた。久々の我が家のキッチンということで、しずくは若干キモくなっていた。


 あまり頭の出来のよろしくない幼馴染はスキップで歩くものだから、頭から転んでテンションがた落ちしていた。よしよし、泣かないで。


 しずくは精肉コーナーで割引の合い挽き肉をターゲット。群がる主婦たちの合間を縫い、時に激しく罵り合いながらも無事2パック780円の戦利品を携えて帰還した。我々は英雄の帰還に際し、万雷の拍手を持って出迎えた。


「しゅーくん、ふふふ……昨日のお弁当たくさん美味しいって言ってくれたよね……!」


「ああ。なんか最近店の料理とか宅配とかウーバーよりも手料理が一番染みるんだわ。料理は愛情ってマジなんだなぁって、身に染みる今日この頃。平凡な幸せがずっと続くといいよね」

「なんかおじさん臭いこと言うようになっちゃった。繁忙期のパパみたい」


 警視庁の繁忙期ってヤバいだろそれ。


「しゅーくん家のぶんぶんチョッパーまだ元気だっけ」

「あー、どうだったけなぁ。まだ使えたとは思う」


 ぶんぶんチョッパーとは、平たく言えば手動式のフードプロセッターみたいなものだ。ただ攪拌かくはんとかミキサー的な用途には使えない。


「みじん切りだったらどうしても大きさにムラが出るのが気になるんだよねぇ」


 所帯じみたことを言いながら玉ねぎをかごに放るしずく。買い物かごは俺が持とうと進言したが断られたので好きにさせている。


「しずくしずく。ナツメグナツメグ。忘れてるよ」

「あああ、うっかりしてた。ありがとしゅーくん」

「パン粉ある?」

「あるよ。使いきれるかな」

「まあ多少はいいだろ。買っちまえよ」


 言うまでもなく本日のラインナップはハンバーグ。しずくの得意料理だ。


 経緯としては中学一年生の頃までさかのぼる。しずくが満腔の笑みで調理したそれを俺が美味いと褒めると、しばらくの間しずくはトチ狂ったかのように作り続けた。お袋が「ちょっとしずくちゃん、正気に戻って。柊はもう限界よ」と諭すレベルで作り続けた。


 俺は塗炭の苦しみを押し殺しながら、着実に味の階段を昇り続けるハンバーグを喰らい続けたという次第である。


「あの頃のしずくは狂ってたなぁ」

「うぅ、ごめんね? その節は本当に……」

「まあ……」


 しずくはぎゅっとビニール袋(軽い方)を握ると、


「いっぱい食べてくれるのが嬉しかったから、もっともっと上手にならなきゃっていう、脅迫観念みたいなものがあって……」

「それはどうして?」


 ささやかな嗜虐心が込み上げる。しずくはまた赤面して奇声を発して逃げてしまうかもしれない。そういう反応を期待していた。


 だがしずくは、おもむろに星空を見上げた。俺もならう。


大河原おおかわらの天文台ってまだあった?」

「あるよ。キャンプ場に併設されて」

「そうなんだ」


 俺たちが始まった夜だったか。身を切るような冷たさと、草木を掻き分ける焦燥感が強く心に残っている。


 この辺りも随分発展して、光害ひかりがいによって星空は損なわれつつある。満点の星空に輝くひとつひとつは過去から到来した軌跡だが、それを観測する時間まで遡るわけじゃない。


「万物は流転する。過去と未来を包括した、絶対なる時間は決して歩みを止めることはない。記憶のなかに干渉しても、起こった出来事をなくせるわけじゃない。罪は消えない」


 それは、しずくらしからぬ語彙だった。

 俺は目の前にいるのが本当に白崎しずくなのか、改めて認識し直す必要に迫られた。


「あのね」


 やがてしずくは思い直したように息を吸った。傍らを通り過ぎていったトラックのハイビームが、彼女の髪を流星みたいに煌めかせた。


「しゅーくんにわたしのこと意識して欲しかったからだよ」

「……」

「アルバイト先に迎えに行くのだって、朝起こしに行くのだって、おんなじ」


 しずくは、確かに頬に朱を差しながらも、しっかりを俺の目を見据えて言った。薄く開かれた唇が、妙に記憶に焼き付いた。


「そ、そそ、それだけ」

「あ、おう……うん。そうか」


 言い終わってから含羞が追いついてきたのか、しずくは唸り声を漏らしながら自分の爪先をひた見つめていた。


「これで変わるのかなぁ……ちゃんと勇気出したけど分岐線出来るのかなぁ……」


 何か口の中で言葉を転がしているが、残念なことに何を言っているのか本当に聞こえなかった。

 自宅へ到着する。


「ちゃんちゃかちゃんちゃんちゃかんちゃちゃんちゃん」

「コウメ太夫のリズムだ……!」


 2039年では、あの人はもう毎日チクショーをやめている。更新が途絶えた時、俺は長年連れ添った愛犬が死んだように滂沱の涙を流した。

 ハンバーグは普通に美味かった。




『この形式のファイルは開けません』

「やっぱ無理かなぁ……」


 しずくを家まで送り、風呂も済ませて家に一人。俺はスマホの中のファイルをいじくりまわして難渋していた。


 パソコンで読み込めないのが何よりもネックだ。そこさえクリアすれば、マキシマムカンパニーのAIコントローラーの腕の見せどころ。不自然に切り抜かれていた男優の顔を確認できる。


「何かしらの意味はあるはずなんだよなぁ……」


 詰まった俺は俺は例のノートを引っ張り出した。

 タイムリープ初日、しずくとの会話の内容を思いつく限り書き記したノートだ。改めて見直すと正視に堪えない字面だった。下手くそが書いた夢小説にしか見えない。


「あ……?」


 そんな中、ひとつ、目を引く記載があった。夢中で書いていたから、たぶんその時は気付けなかったのだろう。


 何かアニメでも観ていたのか、のんべんだらしと益体のない応酬が続いている。

 そんな中、珍しくしずくが他人を悪口を言ったから、印象的だったのではないか。


『23/11/12(日) 俺「しずくは敬語ヒロイン嫌いだよな」

 しずく「大嫌いな人に似てる。人のこと豚呼ばわりして、偉そうに……。何様のつもりなんだか」』


「……」


 ──……なんか、積極的だなぁ。しゅーくんが、30歳くらいになったら、こんな風に落ち着くのかな。

 前回の羽場柊、享年33歳。


「……なんか、俺のメンタル不自然に回復しすぎじゃないか?」


 俺は精神病院に通っていた上、向精神薬や頓服薬なども並行して服用する日々が何年も続いていた。


 また死に際、前島さんとの会話にて、俺は30代ながら朽ち果てた老人と見まごう程の容貌になっていたという指摘を受けている。


 その末に俺は電車を止めた。自殺したのだ。


 確かにやり直しの効く、自由で恵まれた学生時代へ回帰できた。それは復調の端緒となるだろう。


 さりながら、それは特効薬ではない。


 精神疾患の治療には自然豊かな田舎での長い療養が求められているように、自殺まで追いつめられていた羽場柊の精神が即座に回復するのは辻褄があっていない。


 だが俺の中には記憶があるし、自我が連続しているという自覚もある。故にそういうものだと納得すれば済む話だ。


「……俺は、俺なのか?」


 けれど、俺が自殺した俺とは別の羽場柊だと考えると、不思議と腑に落ちるような感覚があった。


 初日の感覚。そういえば、自殺寸前まで追い込まれていた精神状態の男が学生時代までタイムリープできたにも関わらず、種種雑多な新鮮味はたちどころに消え失せていた。


「肉体が若いから、身体に引っ張られたから……?」


 いや、待てよ俺。しずくから気遣われてじーんと来たろ。


 別に好きな女に心配されて染み入るなんて、10代の少年少女も普通にあるだろ。世の中にどれだけ、思いやられて嬉しかったというコイバナが転がっていると思っているんだ。


 そういえば。


 この身体の、もともとの俺の人格は、どうなったんだ?



 俺──羽場柊はシャーペンを勢いよくノックする。



 プライム・アーク医療センター心療内科担当・高砂たかさごあきお。

 株式会社マキシマムカンパニー人事部・前島新之助まえじま しんのすけ

 株式会社マキシマムカンパニー情報システム部門・志村彰吾しむら しょうご

 株式会社Precious Journey営業事務・志村瑞樹しむら みずき



 生前で特に関わりの深かった4人を書き出して、1つの発見があった。




『しずく「大嫌いな人に似てる。人のこと豚呼ばわりして、偉そうに……。何様のつもりなんだか」』

 ──あなた、私の豚になる権利をあげます。私の勘はあたると評判なんですよ。それによりますと、どうやら私とあなたは輪廻転生を跨ぐ運命レベルのフィーリングがあるはずです。




「偶然で片付けていいのか?」


 両方とも俺と親しい関係になろうとして、その直前に奪われた女性という共通点がある。


 俺は、ノートに「白崎しずく」と「志村瑞樹」と名前を並べ、ボールペンで何度も囲んだ。


 その日は考え込んだが、思い浮かぶどれも妄想の域を出るようには思えなかった。

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