幼馴染をバイト先まで迎えに行く
そういえば俺は月曜日と火曜日にアルバイトをやっていた。
ショッピングモール一階のフードコート。その夕方勤務。17~19の軽過ぎるバイトだ。ただ夏休みに日雇いを入れまくって30万近く稼いでいたので、これでも十分やっていける。
ダメになった際にバックれる形で退職する形になってしまったが、ここもここでかなり気に入っていたような記憶があった。
「ありがとうござあしたー」
お辞儀は45度。浅すぎたら無礼だし、逆に深すぎたら挑発しているみたいになってしまう。三つ子の踊り百までとは違うだろうが、なんだかんだ体に染みついていてスムーズに思い出せた。
「よう羽場。なんか調子よさそうじゃん」
「店長」
休憩なのか私服姿の店長がバックヤードから出てくる。いかつい風貌の割にはまともな人だった記憶。
「女でも出来た?」
ただ昔遊んでいたらしい。
「まあ、狙っている子はいます」
「おー、いいね。うんうん、今のうちに正しい遊びやっとけ。俺みたいにどんな女も抱けるという勘違いする前に、な」
「あー、はい」
遊びすぎても遊ばな過ぎても人はどっかおかしくなる。それが店長の持論らしい。
店長は舌に脂が乗ったのか、大学時代はいわゆる飲みサーに所属していたこと、恋人の総数は二桁に昇ったこと、女遊びの歯止めが利かなくなった挙げ句、素直に籍を入れるか最低のクズになるかの二択を迫られたことを
「そんで中退だよ……」
「大変だったんですねぇ」
「身から出た錆だけどよ。羽場もちゃんとものにできるといいな」
「ありがとうございます」
過疎化の進む地方都市のフードコートだ。客足が途絶えるわけじゃないが、ピーク時にも満席になることはない。そういう緩い職場だった。
「あれ……?」
紙袋を片手に見慣れた姿が着席する。
「中島さんじゃん」
放課後から今まで歩き回っていたのか、彼女はおっさんみたいに首をゴキゴキ鳴らしながら背もたれに体重を預けた。その間やってきたお子さん連れの対応をする。
ソフトクリーム片手に手を振る5歳児くらいの子を見送ると、次の客は中島さんだった。
「よう、羽場ここで働いてんだ」
「こんにちは、あ、いや、こんばんはか?」
「どっちでもいいわ。かけうどん中と爽健美茶」
「かしこまりました」
しょせんフードコートなので本格的な料理はない。さっと茹でるだけのうどんに、予め用意されているお出汁をかければおしまい。後はドリンクサーバーから爽健美茶をカップに注ぐ。ミッションコンプリート。
「しずくんとデート行ったんだって?」
「ああ。パフェとか食べた」
「頑なにデートって認めてなかったよ。いや、どう考えてもデートじゃんそれって指摘したら五秒くらい意識失ってた」
容易に想像できてしまう。微笑ましくなって俺は思わず相好を崩した。
「勤労学生頑張れよっと……」
「中島さんもよくわかんないけど頑張れよー」
その後もほそぼそと接客と食品の提供を続ける。洗い場のスタッフにオススメの自転車を聞かれたから答えたりしていると、退勤の時間がやってきた。
スタッフルームで着替えてからスマホを開く。
『しゅーくんバイト終わった?』
『終わった。来る?』
『行く』
これは別にブランニュー俺の行動が実を結んだわけではない。しずくは前からずっと、バイト終わりの俺を迎えに来てくれる良妻っぷりを発揮していた。毎回ではないが、二回に一回はこうしてご足労いただいていた記憶がある。
「そんな娘を邪険にしやがってよぉ……」
前の俺への悪態をつきながら退勤処理を済ませる。
「あれ、羽場あがり?」
「中島さん。勉強?」
中島さんはテーブルにノートと、後は紙袋の中身だった参考書のようなものを広げていた。厚手のページに図形と解説が踊っている。
そういえばもうそろそろ期末試験だ。高認を取得する際に一年の内容から復習したので、危機感はほぼない。古文以外。
「勉強じゃない。漫画のネタ練ってる」
「漫画描いてんのか」
「まあ下手の横好きだけどね。ただまあ、描くならちゃんと細部まで突き詰めてーなって。ウチ凝り性なもんで」
中島さんに断って参考書を拝借。
特殊相対正論や重ね合わせの状態、量子コンピューターやそれを使用した並列世界への干渉みたいな内容が列記されている。
「ジャンルはSFなんだな。シュレディンガーの猫とか二重スリット実験くらいしか知らないなぁ」
2039年までに量子コンピューターの実用化は成功している。
だがあくまで国家機関や優先度の高い研究機関へ試験的に配備されるだけで、我々下々は相も変わらず0と1で計算する昔ながらのコンピューターを使っていた。
量子の重ね合わせを用いたそれを利用すれば糸口は見出せるかもしれないが、量子力学はインターステラー程度の知識しかない俺にとってはちんぷんかんぷんだった。
「んー」
「なんだよ」
「世界設定聞いてもらっていい?」
「俺は構わないけど。いいのか?」
「しずくんに見せても何か凄いしか言わないからさぁ」
「得手不得手があるよ。あいつ文系は凄まじいし」
「彼女の肩持ちますなぁ」
「当たり前だろ。あとまだ彼女じゃない」
白崎しずくは根っからの文系である。
何故か数学は出来るが、科学系統はめっぽう酷い。最悪の時期は赤点ギリギリだった。化学は一度赤点を取って泣きながら補習していた思い出。
「えーっとね、まずこの世界は人の脳内なんだよ」
「はぁ」
「あのーなんて言やいいかな。なんか見たことない? 宇宙を引きで撮影した写真と、人間の脳内のニューロンが類似している……みたいな画像」
確かしずくから「まとめサイトで見つけた。すごいすごい」的な経緯で見た。
「そんで、ウチら人じゃん? でもみんな、その、鬼滅の刃とかドラゴンボールとかガンダムとかシュタインズ・ゲートとか知ってるわけじゃん」
「ああ」
「で、それぞれの脳内に、作品をベースにした記憶があるんだよ。羽場は悟空さ知ってるよね」
「知らない人の方が少ないだろ」
中島は笑った。
「じゃさ、羽場、頭のなかにイメージした悟空さとベジータを戦わせてみて?」
言われた通りイメージしてやる。悟空がかめはめ波を打ったがベジータは回避し、エネルギー弾を連発する。だが悟空も機敏な動きでそれを回避し、後は肉薄からのせめぎ合い。
「やってみたな」
「うん。で、ウチはいま悟空さとピッコロが戦っているところをイメージした」
言っている内容がいまひとつピンと来ない。普通にドラゴンボールの一幕を想像しただけなのでは?
「そういう気持ちもわかる。でもさ、考えてみ? 羽場が悟空さとベジータの戦いをイメ―ジしている時、ウチは悟空さとピッコロの戦いを想像していた。これって、パラレルワールドに似てない?」
「いや、そうはならないだろ……」
「本当に? 少なくとも同時刻、二人の脳内には別々の孫悟空が存在したよ?」
「……言われてみればそうだな」
宇宙という雄大な時間に比較して、俺たち人間、あるいは惑星の寿命など瞬き一つにも満たない。
仮に中島さんの言う通りなのだとしたら、俺たちは超大型巨人の脳内に存在する、取り留めのない妄想なのかもしれなかった。
「で、で、ここから超重要なんよ」
「おうおう、身ぃ乗り出すな。危ないから」
「すまんな」
「いや別に良いけど」
「しずくんならええんやでって言ってくれるのに……!」
知らねぇよ。何のネタだよ。
「話戻すけどさ。ウチと羽場の脳内って、言葉を用いて情報は共有できても干渉はできないわけじゃん?」
「サイコキネシスなんて存在しないからな」
「うん。裏を返せば別世界に情報を送ること、それくらいならできるんじゃないかなって」
「一気に飛躍したなぁ。いや、話のギミックにはなるだろうけど、どうやってやるんだよそれ」
「そこがわからんのよなぁ……。量子の重ね合わせが解明されたらなぁ……」
「神様でもいないと不可能だろ」
中島の世界観だと、その神様は俺たち人間だ。せいぜい物事のやり方を教えたり、後は言葉で物事を伝え合うのが関の山だろう。
俺はふーんと鼻を鳴らした。完成したら読ませてもらおうと思った。
「なんてタイトルなんだ?」
「未来クラウドっていうタイトル」
「未来クラウド」
聞くところによると、先ほどの原理で過去と現在との間にファイルを共有できるスペースを構築し、それを利用できる近未来のストーリーらしい。
「正直な所、中島さんってカプ厨かと思ってた。BL寄りの」
「あーそれね。ウチ専ら読み専。自分で書くとなんか気持ち悪くなんだよね、二次創作」
「二次創作をあんま知らんから何とも言えないな」
「羽場はもっとネット見た方がいいぜ?」
「考えとくよ」
話に区切りがついたところで、入口を見やった。しずくがやって来ていた。
また走ってきたみたいだ。汗で額に前髪が張り付いている。中島さんが手を上げる。口を真一文字に結んだしずくはズカズカとフードコート内に入ってきた。
「しゅーくん。迎えに来ました」
「あ、うん」何か気まずい。中島さんは明後日を見ている。そっちトイレしかないけど。
「わたしは走ってきました」
「うん……」
「しゅーくんは中島さんと話していました」
「ごめんなさい」
中島さんは何か微笑ましそうに俺たちのやり取りを眺めていた。なんだよその目、やめろよ。もじもじしちゃうだろ。
「へーきへーき。しずくんの彼氏、取らないから」
「別に彼氏じゃないし……」
「あんさぁ、しずくん。いつまでもヘタレで受け身に構えてると奪われんよ? もう女が待つ時代じゃないんだから。いつまでも、あると思うな親と幼馴染。いやこれマジで」
誰かさんと似たような境遇だ。まあでも、そうはならない。
なぜなら相手が俺だからな。
我ながら恥ずかしい思考だったので二度とこんなこと考えるものかと思った。
「あああううう、もう、ごめん。わたし嫌な子だ。ごめん、でも、なんかもやもやする」
「羽場ぁ。あんた苦労すると思うよ?」
「覚悟の上だよ」
死に際に味わった脳みそが焼け落ちるような激痛。失禁のその先にある反応を呼び起こすレベルの恐怖。あれらに比べれば、しずくの面倒くさい側面など何の苦にもならない。
「中島さんと楽しそうに話してた」
「創作の相談に乗ってただけだよ」
「わたし、子供っぽいなって思う……?」
「んー、まあそれがしずくの可愛いところなんじゃないかな」
俺は玉虫色の答えを言った。藍色の空のもと、常夜灯に照らされたしずくの頬は、やっぱり赤く染まっていた。
「……なんか、積極的だなぁ。しゅーくんが、30歳くらいになったら、こんな風に落ち着くのかな」
その独り言にどういう意図が込められていたのか、俺にはわからない。
ただしずくは、聞こえるように言ったのではないか。そういう風に感じる。
「スーパー──プ─ェイクを、わたしが間違────使うと──らしいけど……」
「なにそれ」
「え? なにが?」右斜め上を見ている。嘘が下手すぎる。
「スーパー……なに?」
「必殺技。しずくパンチより強いよ」
「しずくパンチを知らねぇ」
ただ、しずくの横顔を見るに悪意はなさそうだ。用心するに越したことはないけど。
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