幼馴染とデートする
「柊、あんた朝早くからどこ行くの」
「しずくとデート。あとお袋、いつもありがとう。感謝してる」
「え、ええ……が、頑張ってね……」
お袋は俺が親孝行的な言葉を吐くたびに戦慄している。普段の俺はどれだけ酷かったのか身につまされる思いだ。
「っていうかしずくちゃんとは何時に待ち合わせなのよ」
「11時だ」
「そう……」
現時刻は9時だった。駅前まで自転車でどれだけ回り道しても15分くらいにしかならない。徒歩なら直通で20分くらい。
ユニクロ店員からごり押しされたショルダーバッグの中には、一応ポータブル充電器と文庫本が入っていた。
そして前日の内からATMで10万引き出している。
更に今着ているコートはNORTH FACEのアウトドア用のやつではなく、わざわざブランドものの店に足を運んでやたら馴れ馴れしい店員と話し合いながら決めた品だ。18回試着した。6万した。学生には痛すぎる。テンション上がりすぎだろコイツ。
「よっしゃああああ! ぶっ殺してやるぜ!!」
何を殺すのか、何がよっしゃあなのか判然としないまま、俺は猛烈に愛機のロードバイクを漕いだ。
社会人になってから自転車に乗る機会が激減していたので、それも手伝っているのかもしれない。
駅前には9時30分に到着。待ち合わせ時刻は11時ぴったりだ。
だがそれをおくびにも出さず、10分前くらいに来ていたと大して待っていないアピールを欠かさないのが出来る男だと、飲みサー大学生のブログに書いてあった。
とりあえず噴水広場のベンチで音楽でも聴きながら読書にでも興じるとしよう。理系アウトドアと読書とは遠距離にある俺だが、文系のしずくに付き合って月1~2冊くらい読む習慣はある。
「ふふふ……まさか文系も俺が1時間前に来ているとは露ほども知るまい……」
あわわごめんしゅーくん。遅刻しちゃった。
いいよ別に。俺も10分前に来たばっかだったし。じゃあ行こうか。
きゃああああしゅーくん新装備! 素敵! 抱いて!
「しずくはこんなこと言わない」
妄想のしずくを押し入れに仕舞いながら駐輪場を後にすると、
「……」
文系幼馴染はいた。
びっくら仰天(死語)。フルアーマー文系であった。
えんじ色のカシミアのマフラーに鼻先まで埋めながら、革製のブックカバーを広げている。
今どき有線イヤホンのつながる先、音楽プレイヤーと化したスマートフォンにはしっかりとポータブル充電器が接続されていた。傍らには空のほっとレモンが三本くらい並んでいた。
そして落ち着いた色合いの二ットカーディガンには値札が付きっぱなし。あれ新品だ。いくらくらいだろう。高そう。
「……ふんふん。……ん」
奴はしきりに文庫本から顔をあげて周囲をキョロキョロしている。そしてシュンとすると、またもや活字との格闘へ戻っていく。俺はプラトーンのポーズを取った。
「ママー、キチガイがいるー」「しっ、見ちゃいけません」されたがかすり傷にも満たない。
「待て待て。俺は今日、あくまでauショップに行くだけとしか言っていない……」
そしてしずくはそれに付き合い、ついでに昼食を共にするだけ。形式的にはデートに近いが、幼馴染のよしみという解釈でも十分に言い逃れできるコースだ。
だが。俺は物陰から再度幼馴染の様子をうかがった。
「……きょろきょろ。……しゅん。……きょろきょろ。……しゅん」
挙動不審の女は明らかにデート装備のそれだ。頭から爪先まで余念がない。
このまま観察してたい気持ちもあったが、寒空のした待たせるのもどうだろう。
いい加減合流しようとしたところで、やおらしずくは立ち上がった。どうやらほっとレモンがなくなったようだ。小走りでローソンまで走っていく。俺は出ていくタイミングを失った。
「長いな」
店の中でナンパでもされているのかと疑心暗鬼になったところで、しずくは店から出てきた。雑誌でも買ったのか、レジ袋は大き目だ。
「か、買ってしまった。わたしは、卑劣だ……!」
ここからでは声は聞こえないが、唇の動きからしてそんな感じのことを言っているような気がする。
一人で頭を抱えて顔面蒼白になっていた。道行く人たちは変な女の子と目を合わせないようにしていた。
そんな奇怪な動きを数十秒ほど繰り返し、しずくは意を決したように袋から一冊の雑誌を取り出した。
『超簡単! 処女でもできる、タゲった男の堕としかた! 気になるアイツもアタシにメロメロ!?』
「しずく……」
我ながら色々な感情のこもった「しずく……」だった。
流石に見ていられないので出ていくことにする。
「よう。早いな」
「うっひゃああああああああ!! はいょ、はひょ!? ンゴゴ、あ、んご、あああ!?」
「なにその反応……」
通行人からめっちゃ見られる。
しずくは雑誌を抱きかかえるようにして表紙を隠していたが、まあモロに見えている。追及すべきか否か逡巡した結果、見てみぬふりをするのが大人の対応という結論に達した。
「遅れちゃ行けないと思って結構速めに来たつもりだったんだけど、なんだ、しずくも来てたんだな」
「そうかなぁ。そうでもないよぉ?」
「auショップの予約時間まで一時間近くあるし、どっか本屋でも寄って時間潰すか?」
「そうかなぁ。わたし何も買ってないよ。この本拾ったやつだし」
話が噛み合っていなかったが、俺はアルカイックスマイルのまま受け流すことにする。
斜め上にロト6の当選ナンバーでも書いてあったのか、しずくはずっとそっちの方を見ていた。
しずくは唐突に全力疾走して雑誌をゴミ箱の中にダンクシュートして戻ってきた。肩で息をしていた。
「しずく、その服可愛いと思う。靴とも相性良いな」
「ここここここここの服拾ったやつだし」
「マジかよ貧困極まってんな」
「あ、しゅーくんの新しい装備素敵だね」
しずくはそんなこと言った。
本屋。しずくが贔屓にしている作家の新作が平積みされていたので、とりあえず俺も倣ってかごに入れる。
「電子書籍が一般的になりつつあるけど、でもでも、やっぱり紙媒体で読むからこその魅力ってあると思うんだ」
しずくは棚差しされた無名作家の一冊を抜き取った。
「それ知っている作家?」
「ううん。知らないし、聞いたこともない」
「……まあ、でも、そうか。面白いかもしれないしつまらないかもしれない。電子書籍だったらそういう偶然の出逢いとか少ないもんな」
電子書籍の販売サイトは往々にしてユーザーレビューとセットになっているものだ。名作、大衆受けする作品は簡単に手に入るようになった反面、数多の星に埋もれた陰の名作を探し当てる喜びは廃れていっているように感じる。
「うん。えへ、しゅーくんわかってますねぇ。そうなんだよ、99人には受け付けないけど、自分だけにはクリティカルな一冊。誰にも共有できないからちょっと寂しいけど、でもこの作品の魅力を知っている数少ない一人になれる。
ふふ……わたしはね、しゅーくん。そういうのが好きなんだ」
白崎しずくは小学生の頃からこういう主張をしていた。
自分だけ、自分しか知らない。そういう形容の合致する事柄に対し殊更強い関心を示す少女だった。
クラスの隅、意思疎通が困難なわけでもなく、社会性が欠如しているわけでもない。ただいつも自分の世界で冒険している少女。それがしずくだった。
俺が軽くだが読書する習慣を身に着けたのも、しずくの見ている世界のことを少しでもかみ砕けるようになるためだった。
「ただ、うん、やっぱり棚差しで無名なのも……あんまり言うのもどうかと思うけど、相応の理由があるんだなって」
「まあ、それは仕方ないな」
手っ取り早く面白いものに触れたければ、最大公約数の恩恵に甘んじるのが楽ちんだ。わたしの趣向は非効率。金の無駄。自己満足、自己陶酔。それもまた正しい側面だとしずくは語ったことがある。
「でもね」しずくは少しはにかんだ。「しゅーくん、わたしの勧めた本、読んでくれたことあったよね」
「……まあ」
「うれしかったよ。本当に。小学生の読書って、大半は漫画だったから」
つまんなさそうって、白崎はおかしいって、ガキ特有の無神経さで言われてさ。
そんなお前が寂しそうだったからだよ。
誰にも好きなことを理解されない、共感してもらえない。まあ世の中には多々ある。俺もあった。自転車? 漕ぐだけじゃん。動くならママチャリでよくね? その通りだ。
多様性だ何だ言いながらも、結局2039年になっても大多数は正義であり、少数派はそれとなく避けられる存在なのは変わらない。人間が人間である限り、改善も改悪も叶わぬ構図だ。
だが俺は幼馴染であり、白崎父からしずくを頼むと(恐らく口約束以上の意味はない)託された身でもあった。だから彼女に寄り添うのは義務であり責務だった。
思えば、自転車に恋焦がれた旧俺にとってしずくは鬱陶しい存在だったはずだ。それでも遠ざけなかったのは、その使命の名残だったのかもしれない。
「最初は難しかったけどな。文章だけで物語だとか理解するの」
「あはは、わたしもそうだよ。背伸びしてる部分もあったかも。しゅーくん、無理してた?」
「してた」
しずくは少し眉を落とした。俺は続ける。
「でも頑張ってよかった。そういう風に思ってもらえたなら無理した甲斐があった」
「ん……。……。……」
いつもみたいに奇声を発するかと踏んでいたが、しずくは何故か俯き加減になってさっさとレジへ並んでしまう。
店の外で待っているとだけ伝えて、彼女に落ち着く時間を与えてやることにした。
「ちょっとお客さん、商品持ったまま出ようとしました?」
「いやぁ滅相もない」
俺は引き返した。
外で待っているとかほざいたくせに直後に戻ってくる死ぬほどダサいムーヴになった。おうち帰りたくなった。
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