幼馴染と下校して、その後LINEする Permission1/3

 あの日まで、登下校は常に一緒だった。


 当時(今)の俺と言えば、興味関心の大半を自転車に注いでいたアウトドア系陰キャだ。それがわざわざ徒歩で行き来していた。クズの代名詞である旧俺も、ここら辺だけは評価してやりたくなった。


 俺は隣を見やる。さらさらの黒髪が秋風と気圧の壁に煽られて揺れていた。


「どうしたの、しゅーくん」

「焚火って眺めてると落ち着くよな」

「ん? うん。また一人キャンプとか行くの?」

「一人じゃ行かない。あれって人間の拍動のリズムと近いからなんだって」

「へー。え、一人じゃ? 他に行く相手、え、え……」

「いやしずく誘うけど」

「あ、そっか。ごめんね。えへ」


 なにしたらここから寝取られるんだよ俺。いや寝てなかった。


「話戻す。しずくの髪の毛眺めてたら落ち着くから、俺の鼓動と近いのかなって」

「はぇ~……すっご、あ、違う、そうなんだぁ……」


 しずくは見ての通りかなり天然が強めの女の子なので、会話のテンポはかなり遅い。

 横断歩道を渡った。視界の隅には行きつけだったコンビニ。懐かしい。地方ローカルのあのコンビニが、未来ではファミマやローソンと並ぶレベルで全国展開すると言ったら誰が信じてくれるだろう。


「……あれ? わたしすごいこと言われたよ?」

「事実だから仕方ないだろ。クレカの支払い額から目を背けても、引き落とし日にはきっちり引かれるんだ」

「しゅーくんクレカもってたっけ」

「親父が言ってた」


 あっぶね。気抜けすぎだろ俺。


「……」

「……」

「わたし見てると落ち着くって言われちぁ!?」

「しずく。天丼は三回までだぞ」

「しゅ、しゅーくんなんかおかしいよ。死んじゃうの!?」

「言ったそばから……」

「でもでもでもでも、しずくの髪長くて鬱陶しいから切れよとかずっと言ってた!」

「誰だよそんなデリカシーないクズ」

「しゅーくんだよ!?」


 あ、そっか。俺だ。


「おそらくだが奇麗だとは常々思っていたけど素直になれなかったんだな。思春期の男の子あるある」

「なんでそんな他人事みたいなのかな……え、きれい。きれい!?」

「手入れに時間掛かりそうなのに、それでも枝毛ほとんどないじゃん。凄いなって思う」


 この辺りの配慮は瑞樹さんから聞いた愚痴に所以する。

 紫外線、湿気、湯上りにドライヤーで乾かすこと一つでも数えきれないくらいのテクニックが必要になるそうだ。優艶ゆうえんとしたロングヘア―はそういうたゆまぬ努力の証左。だから素直に褒めてやりたかった。


「しずくが頑張ってるところ、これからはもっと見つけるようにするから」

「えぅえぅえぅぇぇぇぇ……ぁぁぁぇぇぇぁぁぁぁ……」

 しずくは軟体動物になって側溝へ流れていった。拾い上げる。

「なんでそんな主人公みたいなことゆぅようになっちゃたのぉ……」

「人は誰しも人生の主人公だ」

「わけわかんないよぉ……」


 俺も何言ってるのかわからない。

 旧俺はクズとか怠惰とかそういうものより、ただ情緒が小学生男子から成長していなかっただけなような気がしてきた。


 先生から言われた言葉を思い出す。彼の目は確かだ。底抜けに幼い男だったのだろう。


「人は誰しも人生の主人公だ」

「どうして二回言ったの?」

「人は誰しも人生の主人公だ」

「それ気に入ったの?」


 三十路になるとこういう臭い台詞は言えなくなるのだ。

 でも今の俺はピッカピカの10代なので余裕だった。




 軽く筋トレし、夕飯を終え、ノートをパラパラと形だけの復習を終えてから入浴。

「何もしないでもご飯が出てくる……」


 もう業務用スーパーのよくわからない餃子詰め合わせとか、化学調味料の味しかしないブロッコリーとか食べなくていいんだ。すごい。実家凄い。永遠に学生やってたい。


 当たり前の喜びは失ってから気付ける。そう最初に言ったのは果たして誰だったのか。

 髪を乾かしてから部屋に戻る。一人暮らしではドライヤーで髪を乾かすことがなかった。

 スマホ片手にベッドへ飛び込んだ。メッセージ受信の通知が来ている。


「しずくからだ」


 なんだろう。キモいからもう止めてねとかそういうのだったら二度と立ち直れない。


『一人キャンプ行くなら事故だけには気を付けてね。もう寒いから、防寒着も忘れないでください』


「……」


 ヤバい。泣きそう。山でマルタイ棒ラーメン食って喜んでる場合じゃない。


 シャンプーの匂いを思い出しながらじんわりとした温もりに満たされていると、またもやメッセージが飛んでくる。


『それと、本当に何かあったのなら、遠慮なく言ってください。流石に余命っていうのは冗談だけど、嫌なことがあったなら一人で抱え込まないでいて欲しいです』

「あ、やばいやばいやばい泣きそう泣きそう泣いちゃうよ俺」


 年を取ると涙もろくなるのは涙腺が弱まるためだと勝手に考えていたが、実際はこういうささやかな幸せが理解できるようになってくるからなのかもしれない。身体じゃなくて心が老いるのか。


 ……俺の中身は30代で、17歳のしずくを落とそうとしている?


「考えるのはやめよう」


 エビフライの尻尾の成分はゴキブリと同じという話と同じくらい、世の中には知らない方がいいこと、考えない方が良いことが散乱している。


 未読スルーするのも印象が悪い。オレオを摘まみながらメッセージを考える。


『ちょっと自分を見つめ直す機会があった。それでしずくに感謝しなくちゃって』


 こんなものか。流石に俺は未来からやってきた羽場柊だとか言うと、また先生に世話をかけてしまう。


『感謝されるほどのことはしていませんから柊君そんなこと気にしないでいいからね』


 読点がなくなった。急いで入力したのだろう。


『自分をみつめなお機会になるまえにいやなことがあったならそれもちゃんと相談してね心配です』

 訳・自分を見つめ直すことになった経緯で、何か傷つくようなことがあったのなら、我慢せずわたしに打ち明けてください。心配です。


『明日もお昼一緒しないか』

『約束だから明日も一緒に食べようねお弁当いる?><』

「レスポンスはやっ……!」


 3秒かからなかった。2.4秒くらい。そんな普段からフリック入力している印象はなかったが、スマホで小説でも書いているのだろうか。


『お弁当楽しみだわ』

『頑張って作るから甘いものばかり食べてちゃダメだよ』

『オレオ食ってる』

『もー』(くまモンが怒るスタンプ)

「……」


 返事を考えて、送る。すると即座に言葉が返ってくる。

 なんかいいな、こういうの。

 気付けば俺は時間の経過も忘れ、十数年ぶりに幼馴染と話し込んでいた。


『わかった。気を付ける。最近寒くなってきたから、しずくも暖かくしてくれ』

「……あれ」


 返事が来ない。


 さっきまではプロの卓球選手よりも軽快にラリーしていたのだが。


 まさか、この段階から他の男の影が──いや、それはないな。


 被害妄想を思い直す。


 しずくは意図的に焦った時の文体を再現できるほど器用な少女じゃない。だとしたら考えられる可能性は他者から脅されているケースだが。


「しずくは臆病で心配性な女の子だ」


 白崎家の父は警視庁に勤務している、エリートと呼んで差し支えない警察官だ。しずくはそんな父親のことを敬愛していた。何かあったら即座に相談を持ちかけるだろう。


 エロ漫画の世界じゃない。催眠アプリがあれば国家は容易く転覆できるゆえ規制と厳罰化は必至。性行為の映像をダシに脅されたのなら、周囲の大人に相談すればいい。こちらも痛手を負うが、向こうは犯罪者になる。


 だが──


「脳が破壊。まともだった感覚が狂う。普通じゃなくなる。キチガイになる……」


 全てを疑うとキリがない。統合失調症にでもなりそうだ。


「お?」


 しずくからメッセージが飛んできた。


 だがそれは予想していたものでも被害妄想のそれでもなく、もっと斜め上をいくものだ。


「なんだこれ、動画……?」


 胸騒ぎがする。悪夢のような瞬間が脳裏を掠めた。


『ダウンロードして』

『どういうことだ』

『ダウンロードして。しずくのためにも』

『お前本当にしずくか? 他の奴がしずくのスマホ使ってなんか書き込んでるのか』

『しずくだよ。ダウンロードして』


 ……うさん臭い。うさん臭いが、その文面からは何か鬼気迫るようなものを感じた。


「マルウェアかウィルスじゃありませんように……」


 ダウンロードしますか?


 はい。


 再生する。


『ごめ、ごめんねぇっ、ゆーくんっ。ごめんねっ』


「……AVじゃんこれ」


 それは、まあ、成人男性なら誰しもは一度は通るであろうアダルトコンテンツだった。


 当然女優も、しずくとは似ても似つかない。というかあいつはこんなに胸が大きくない。上半分が切り取られているのか黒くなっていて、男優の顔は見えなかった。


『意味わからないんだが。どうしたんだ?』


 返信はない。既読が付かなかった。何も解せないまま部屋にぽつんと取り残される。


 船底に空いた穴から海水が侵入してくるように、じわりじわりと不安が広がっていく。


「え?」


 だがそれはそう長くは続かなかった。スマホの画面が突如として暗くなったのだ。


 二か月前に機種変したばかりの端末だ。風呂へ落としたり画面が割れたりしたこともない。動作は快調だとネットでの評判もすこぶるよかったはずだが。


「……うわっ、なんだこれ」


 再起動が完了した瞬間、しずくから雨あられのようにメッセージが飛んでくる。


 とりあえずLINEを開いた。



『ひどいよ柊君何で無視するの』

『柊君いじわるいじわるいじわる』

『お手洗い? じゃあお手洗い行くとか言って欲しい』

『わたし柊君になにかしちゃったかな。あやまるから』

『しゅうくんわたしのしらないことしてるの?』



「……え、あ、え?」


 ……一端、落ち着こう。


 そこにあった情報をまとめると、こうだ。


 しずくが急に無言になった空白の時間だが、しずくはその間、さっき羅列した感じのメッセージを送ってきていた。俺の端末が受信できていなかったのだ。


 その代わり、不信なメッセージと、謎のAVと、ダウンロードを促すメッセージが消滅していた。


 LINEはメッセージを削除する機能があるが、メッセージを削除したことは相手からでも確認できるようになっている。


 だが、動画を送信されたくだりそのものが、最初から存在していなかったかのように、跡形もなく消し去られていた。


「どういうことだ……?」


『しずく』

『きどくついたおふろはいってたの?』

『俺に動画送った?』

『意味わからないよ』

『俺も意味が分からない』


 俺は一度LINEを閉じて、さっきダウンロードしたはずのファイルを探す。

 そしてそれはダウンロード項目の一番上に鎮座していた。つまりさっきのやり取りは俺の白日夢でも何でもなく、実在していた時間ということになる。


 再度再生を試みた。


『この形式のファイルは開けません』

「さっきまで出来たろ」

『この形式のファイルは開けません』


 気味が悪くなってきた。

 開け放しだったカーテンを何となく閉める。しっかりと窓も施錠した。


「消すべきか?」


 この動画。


 俺が過去に戻った時点で条理は崩壊しているようなものだから、さっきの不可解な現象もすんなり受け入れることができていた。だからこそ迷う。しずくを名乗る謎の人物。無意味にAVを送ってくるとは限らない。


 そして再生できなくなっていることも意味深だった。


『無視しないで』

「……」


 しずくからのLINEで現実に立ち返る。


 嫌なことを思い出した余波で、あまり頭を使いたくない。俺はリビングに戻って蛇口を捻ると、コップ一杯分の水を一気に飲み干した。


『柊君やっぱりわたしのことからかってたの?』

『なんかスマホが急に強制終了してた。ごめん』


 嘘は吐いていない。


『買い換えたばかりじゃなかった?』

『土曜にでも店に行って聞いてみるわ。心配かけてごめん』


 ……そうだ。安心すべきじゃないか。


 俺が不安に感じたあの空白の時間だって、しずくは頬を膨らませながら連投してきていたんだ。

 他の男の影もなく、ただただからかわれたと子供みたいに拗ねている。


 不思議な間があった。だがそれは先ほどのように不安を燻らせるものではなく、むしろ次に何て言い出すのかわかっているが故の沈黙だった。


『わたしも着いて行っていい?』


 予想が的中して頬を掻く。

 しずくがもごもごしながら簡素な文言を絞り出したと考えると、何だか無性に何かを抱き締めたくなった。手近な掛け布団を手繰り寄せるが、客観的に見てかなりキモいので止めた。


『いいけど。別にスマホの相談以外は何もするつもりはない。それとも街の方に何か用事でもあるのか』

『わたしもないよ』

「……」


 俺はカレンダーを見やった。地獄のようなあの夜まで残り二か月。そしてスマホ越しのしずくとを見比べる。


『それじゃあ朝に集合して、相談終わったらお昼でも食べよう。奢る』

『わりかんがいいな』

『男として奢ります』

『だめです割り勘です!』

『じゃあ割り勘にします』

『やった』(くまモンがはしゃいでいるスタンプ)


 しずくは変なこだわりが強く、一度言い出したらなかなか考えを改めない悪癖があった。なまじっか本人も自覚しており改善しようと努めているが、なかなか上手くいかないので質が悪い。


 俺は微笑ましい一面に苦笑すると同時に、ふいに眉を寄せた。


「……本当に寝取られるのか? これ」


 あまりにも、俺への好感度が高くないか。


 だってこれ、実質デートに行きたいと言っているようなものだ。

 そこに潜む好意に似た感情を前にして、嬉しくないわけがない。過去の俺の幼稚さはそこまで酷いものだったのか、しずくのウィークポイントを徹底的に踏みにじる一言を口にしてしまったのか──


 魚の小骨のような違和感がついて離れない。


 しずくってこんなに積極的だったか?


 話の流れ的に不自然極まりない。だが、試しに聞いてみることにした。



 仮に彼氏がいたとして、浮気相手との行為を撮影したとして、それを彼氏へ送りつける悪趣味なことをするか、と。


 ささやかな問答の後、しずくはこう答えた。


『例えば夫婦だったら裁判の材料にされるし、夫婦じゃなくてもSNSで拡散されるだけで、社会から後ろ指差されるようになるのはこっち。

 ミームになったら、就職にも響くかもしれない。

 アルバイトで悪いことして、人生ダメになった人たちいっぱいるもん』


『うん』

『そこまで頭悪いって思われてるなら心外だな』


 疑問は膨れ上がろうとしたが、俺は単純だった。

 全身からどっと力が抜ける。しずくは危険性を明瞭かつ簡潔に説明できるほど理解していたのだ。彼女がまともな判断能力を有していることが、何よりも嬉しかった。


『そんなことない。感心した。年下だっていうのに俺よりしっかりした考えだ』

『柊君一月生まれだから私より年下だよね?』


 迂闊すぎだろ俺。


『ごめん。精神的に驕り高ぶってたかも』

『言語道断定期』

『なにそれ』


 しばらく返信はなかった。ややあってから、『言語道断定期』のメッセージが削除された。しずくがメッセージの送信を取り消しました。


『しずくさん。明後日、土曜日の11時に駅前でいかがでしょう』

『合点』


 疑問点は尽きない。ただ。


 「デートだああああああああ!!!! えええあああああっひょおおおお!!!!」

 「柊うっさい!! あんた何時だと思ってんの!!!」

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