幼馴染とお昼一緒する

「もー、しゅーくーん、テスト勉強するって約束したよね……?」

「いいんだよ、うるせぇな。今日チェーン替えたからホイールが調子いいんだって。ほら、乗ってみろよ、わかるから」

「わたしが自転車乗れないの知ってるくせに……」

「あはは、しずくはドジだもんなぁ。あはは」

「いじわる……」


 こりゃ寝取られるわ。舐めんなクソガキ。


 俺は覚えている範囲で前回の会話を思い出していた。言うまでもなく同じ轍を踏まないためだ。ノートにインターネットのショートショートみたく台本型式で書き出している。見つかったらしずくの夢男子として晒し上げられる可能性もある諸刃の剣だった。


 散文的になったそれらに、なるべく日付や時期などを書き足してディティールを細かく。AIに指示を与える感覚と近かったので、思ったよりスムーズに作業は進んだ。


「はい、これで授業は終わります。今回の授業をまっったく聞いていなかった羽場くんには、次回今回の内容を答えてもらいますので。それでは」


 先生から注意されてしまった。入口最寄りの席からしずくが睨んでくるのを感じる。俺は例によって窓際の最後方の席だった。


 隣の席の奴に肘で小突かれたので、笑いながら返した。懐かしいやりとりだ。

 俺は二週目だ。他の生徒たちには申し訳ないが、授業に関しては一日の長がある。だから先生からの無茶ぶりにも何となく答えられる自信があるが、それはズルなので自重することにした。しずく以外に未来の知識で優位に振舞ってはならない。


「しゅーくん。授業ちゃんと聞かなきゃダメだよ?」


 二限目とのインターバルでプリプリ怒るしずくがやってきた。何だかこういうお説教まで愛おしく感じるのは、俺がだいぶ頭しずくになってきた故か。


「そうだぞ羽場。あんま嫁さんに心配かけんなよ」隣の奴がからかってくる。

「いや別に、わたししゅーくんのお嫁さんじゃ……」


「ああそうだな! 心配かけないように善処するわ!!」


 俺は大声を出した。隣の奴は目をパチクリさせる。


「い、いや、そんな怒らなくとも」


「ばかおま、怒ってねぇよ。俺がだらしないせいでしずくに心配かけちゃいけないよなって考えたんだよ。普段から色々やってもらってるのに、あまつさえ授業すらロクに聞かないとか何様のつもりだ貴様ってなるじゃん」

「え、なに、お前余命宣告でもされたの……?」


 隣の奴は慄然としている。どういう印象だったんだよ俺。


「しゅ、しゅーくん、し、しししし……しぬのぉ……? や、やだ、やだ」

「死なないよ。しずく置いて逝けるかよ」

「はうぇぁっ!」


 瞬間湯沸かし器と化したしずくは自分の席まで逃げた。


「しゅ、う、みゃ、しゅーく、みゃ、みゅああああああああ!!!」


 天板に額をこすりつけて猫の喧嘩みたいな声を出している。


「お、おい羽場。羽場? どうした。お前そんな奴じゃなかったじゃん。うるせぇな勝手に死んでやるよとか白崎相手にイキってたろ。どうしたんだよ。なあ」


「俺は愛に目覚めたんだ。ブランニュー羽場と呼べ」


「おいおいマジで余命宣告されたのかよぉ……! 死ぬなよぉ……! 俺ら友達じゃん……!」


「君名前なんだっけ」


「田代だよぉ……! なんでこのタイミングで聞くんだよぉ……!」


「幸せの青い鳥って知ってる?」


「帰って来てくれ羽場ぁぁぁ……!」


 田代は泣き崩れる演技をした。先生が入ってくるとすぐ真顔に戻った。俺コイツのこと好きかもしれないなぁと思った。


 二限目からは真面目に受けることにした。学生として勤勉に振舞わなければならないというのもあるが、社会人をやっていた期間の方が長くなってしまったので、授業というものが新鮮に感じられたのもある。


 とはいえこの当時の俺にとっては飽き飽きしていたものだから、こんな感覚も長続きしないと考えると寂しくもあった。




 飛ぶように時間が流れて、気付けばチャイムが鳴り響く。


 途端に教室へ溢れかえる弛緩した空気。

 購買にするか食堂にするかを話し合いながら教室を出ていく集団や、四つ席を固めてボードゲームを始めるオタクグループ。何故か数人で行動する連れション女子軍団に、後は孤高を気取ってそっとイヤホンをつけ始める奴ら。


 そういう細やかな一つ一つが眩く感じられて、俺は気分よく体を伸ばした。

 凝り固まった肩や腰がボキボキと嫌な音を立てることもない。嘘みたいに身体が快適だ。

 田代は野球部の連中に混じってさっさと教室を後にした。


「しずく」

「ひゃ、ひゃいっ」

「お昼一緒しませんか」


 しずくは恐る恐ると言った具合で俺を見上げる。そこには照れが半分と、後は困惑と恐怖を混ぜたような感情が滲んでいるように思えた。


 ……流石に驚かせてしまったようだ。


「ごめん、しずく。ちょっとテンション上がっちゃって。怖がらせるつもりはなかった」

「あ……えっと……」

「純粋に、しずくと一緒にお昼食べたいんだ。どうかな」


 前の人生では、お昼は別々に食べていたはずだ。

 しずくは大抵女友達と二人か、あるいは一人でもそもそと食べていた。それが小動物みたいでかわいかったというのは、中島さん曰く。

 しずくの性格上、いきなり好意全開なのは不信感を募らせる一方だろう。


「えー、どしたん。しずくん一緒せんのー?」

「あ、えー……と」


 前の席の女子・中島さんが尋ねてくる。推しキャラに20万課金していたと言っていたので何故か覚えていた。


「いや、先に予定が入っていたならいいんだ。ごめんな、邪魔して」


 あの様子からして中島さんと食べる予定がありそうだ。俺は大人しく退散する。


「しゅーくん、あの」

 呼び止められた。目が合うとしずくは恥ずかしそうに逸らしながらも、

「あ、明日なら、いいよ」


 そう、予定を入れてくれた。


 舞い上がりたくなるのを無視して、俺はなるべく爽やかな笑みを作る。


「わかった。楽しみにしてる」

「う、うん。誘ってくれたのにごめんね……」


 まあこんなものだろう。俺はいつも屋上で一人飯だったので、素直に購買まで行くことにした。


 俺は確か購買のキチガイメニュー、メープルシュガーカスタードメロンパンが好物だった気がする。体重と健康診断のことが即座に思い浮かんでしまった。なんかひもじいなぁと思った。


「羽場ねぇ」


 中島さんの声。俺は急停止した。

 教室の外でスマホを弄る演技をしながら、中島さんとしずくの会話を盗み聞きしてみる。


「しずくん羽場となんかあったの?」

「な、なにが?」

「え、やっぱとうとう告ったん」

「そんな関係じゃないって……! あの、あの」

「でもなんか積極的じゃん? いやー、満を持してって感じっぽくね?」

「わ、わわわわたしとしゅーくんはそんな……」

「すぐ顔に出るなこの娘」


 なるほど。ちょっと気障っぽかったかなと不安だったが、どうやらああいう具合で問題はなさそうだ。


 手ごたえを感じた俺。自分のキモさと安心感とを天秤にかけながら、スキップしながら購買へ向かおうとして──


「はっ!?」


 そうだ。人生とは往々にして上手くいっているときにこそ落とし穴がある。瑞樹さんを奪われてからとんとん拍子に転落していった事実を忘れてはならない。


 俺は即座に踵を返した。ブルーインパルス並みの急旋回に横を歩いていた男子がびっくりしていた。すまんな。


「えー、でもなぁ、なんかしずくんと羽場くんのカプは安パイ過ぎるっていうか」

「カップリングって、わたしキャラクターじゃないし……」


「でもさぁ、ウチから見たしずくんは人間として自律しているように見えるけど、実際はアヌンナキら高次元存在によって精巧にプログラムされた存在じゃないって断定する証拠ないわけじゃん?


 そしたらウチもそもそも生きているのか、今日しずるんとお昼食べたウチ、しずるんと食べなかったウチ、そもそもこの学校へ進学しなかったウチ。

 様々なウチが存在しているわけで、じゃあいまこうして喋っているウチが本物のウチである確証なんてどこにもなくない?」


「きゅ、急にわけわかんないことまくしたてないでよ……」


「だとしたら公式カップリングも一番観測者が多い可能性でしかないわけだよ。つまりウチの推しカプは観測者の絶対数が少ないだけで、この広い宇宙のどこかに存在する。

 つまりしずるんと羽場以外のカップリングも普通に成立してしまうんだ。あるいはその可能性は重なり合って存在している。

 観測者がどの可能性を観測しているかってだけの違いしかないんだよ」


 アカン。俺は焦った。中島さんは野に放つとヤバいタイプのオタクだ。


 頭のねじが外れたオタクの魔の手からしずくを救わねばならない。


 俺は頭のねじの外れた使命感を燃やした。


「しずく」

「ふぇぇっ!? しゅ、しゅーくん!?」


 後ろから声をかけるとしずくは跳ね上がった。中島さんが好奇心の入り混じった目で俺を見上げている。「何で戻ってきたん?」とも「何する気だこの男」とも取れる色合いをしていた。


 自分がいまやろうとしていること。それはある意味答えを告げるようなことだ。クラスの一部からの目線を感じて、中身は社会人の俺も流石に緊張する。


 小さく息を吸った。


「ごめん。どうしても一緒に食べたい」

「ど、どうしても?」しずくは何だかくすぐったそうだった。

「うん。どうしても」

「どうしても? え、でも、わたし、いま中島さんと一緒だし」

「嫌かな。しずくと食べたいんだけど」


 さすがに気恥ずかしくなって中島さんを一瞥する。奴は何やら頷きながら「止まるんじゃねえぞ」とでも言いたげな顔をしていた。


 しずくはバグった金魚みたいに口をパクパクさせて視線をまき散らしながら、

「な、なかじまさんがいいなら、わたしは……かまわないけど」


「行けしずくん! 行って来いよ! ウチに構うな! 行け! 行けぇぇぇぇ!」


 敵の足止めをして死ぬ仲間キャラと化した中島さんを背に、俺はしずくを伴って購買へ向かった。手でも繋ぎたかったが、そうするとしずくが死んでしまいそうなので控えておく。


「ごめん。急に変なこと言い出して。キモかったら言ってくれ」

「あ、あ、いや、その」

「どうした」

「む、むかしわたしが強引に部活の勧誘されてるとき、しゅーくん、わたしの手を引っ張って助けてくれたなって、思い出した」


 俺は手をつなごうと試みた。「ぷぴゃ」と「きゃう」の中間くらいの声を出してしずくが蒸発した。

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