第2話 思わぬ提案
「紗雪、ちょっとおいで」
仕事終わりに神様に呼ばれた紗雪は、応接間に通された。
「――思い出したんだね? 生前のことを」
肯定も否定もしない紗雪に、優しい声が降ってくる。
「隠さなくても良いよ。別に悪いことじゃない。思い出して辛かっただろ? 彼の前でよく我慢したね」
今度は、無意識ではない涙が流れた。
「記憶が戻ったことはね、本当に悪いことじゃないんだよ。ただ、この仕事は続けられない。時々、辞めていく子たちがいるだろう?」
「あ……」
メイドやフットマンの中には、ごくまれに辞めていく人がいたことを思い出した。
彼女たちは辞める理由を話さないし、どこへ行くのかも聞いたことがない。
(この仕事を辞めたら、今まで暮らしていた寮も出ないといけないのでしょうね……)
「紗雪、今までのお給金にほとんど手を付けてなかったね?」
「住まいは寮がありましたし、必要最低限のものがあれば暮らせましたので。こちらの世界では、特に欲しいものもなかったので」
「紗雪は彼に会いたいという気持ち以外は無欲だったからねぇ。もっと欲張っても良いのに」
「そんなこと言われましても……」
「さて、その欲のない紗雪に提案だ。その貯金を
「賭けごとは、あまり好きではありません」
(それよりも、次の住まいを早く探さないと)
「そう? 残念だな。絶対に彼と出会う環境へ、生まれ変われるように手配しようかと思ったんだけど。――記憶は、また消えてしまうけどね」
その言葉に、紗雪は跳ねるように顔を上げた。
「地球は広いからね。そこをちょっとだけ手伝ってあげる。でも、絶対に恋人になれるわけじゃないよ? 記憶はないから、ただ挨拶するだけのご近所さんで終わるかもしれない。もし、今回みたいに記憶が戻ったとしても、彼が別の女性と結ばれるのを見て、永く苦しむことになるかも」
別の女性、という言葉を聞いて、紗雪の表情が
「彼とは縁のない土地に生まれて、紗雪も別の誰かと幸せな家庭を築いて、穏やかに暮らす人生を選ぶこともできるよ。さて、どうする――?」
「…………彼と出会うほうに賭けます」
ほんの少しだけ瞳を揺らがせたあと、紗雪はまっすぐ前を見て、はっきりと答えた。
「ふふ、決まりだね。それじゃあ、色々と手続きしないと。忙しくなるなぁ」
そう言った神様は楽しげに、執務机の引き出しから、ガサゴソと書類やペンを取り出した。
転勤族の家庭に生まれ変わった紗雪は、前世の記憶がないまま成長し、大きな病気やケガをすることもなく十二歳になった。
ただ、何度も転校を繰り返し、人との縁は薄い。しかし、親の離婚やら何やらと悲しい事情で転校していく友人もいる。
幸い、紗雪の両親は優しく、夫婦仲も良い。そのため、多くは望むまい、人生そんなものだと、いつの頃からか思うようになっていた。
そして、小学校を卒業すると同時に、この街へと移ってきた。
運が良ければ、今後はここに落ち着けるかもしれない、と父が言っていたが、紗雪はあまり期待していない。
期待して、
「こんにちは。隣に越してきた
母と紗雪が隣家を訪ねると、朗らかな女性が出迎えてくれた。
「あらぁ、ご丁寧に。
「ありがとうございます」
引っ越しのお決まりの挨拶を済ますと、女性の視線が紗雪に向いた。
「可愛いお嬢さんですね」
「佐倉紗雪です。四月から、この学区の中学校に入学します」
「あら、うちの息子も同じ中学校よ。学年はひとつ上なんだけど。
「……なに? 母さん」
だるそうに玄関から出てきた少年を見て、紗雪は息を飲んだ。
すると、パチンッとスイッチが入ったように、大量の記憶が紗雪の中に流れ込んでくる。
「お隣に引っ越していらした佐倉さん。お嬢さんの紗雪ちゃんは、四月から同じ中学校よ。ご挨拶しなさい」
「…………紗雪?」
「ちょっと、いきなり呼び捨てなんて馴れ馴れしい……って、え? あんた、なんで泣いてるの!?」
「え、紗雪までどうしたの!?」
母親たちが混乱するなか、紗雪と望は涙を流しながら駆け寄った。
「ずっと待ってたよ」
そう言った望が彼女の頬に軽く口づけると、紗雪は耳まで赤くなり、母親たちは悲鳴を上げた。
もうすぐ桜が咲きはじめる三月の
メイドの土産 櫻月そら @sakura_sora
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