メイドの土産
櫻月そら
第1話 再会の代償
「いやー、綺麗なお姉ちゃんだねぇ。まさか、こんなところでも女の子に会えるなんて。まさに天国だ」
そう言いながら、年老いた男が彼女の手に触れようとした。
しかし、彼女は容赦なく、パシッとそれを払いのける。
「お触りは厳禁でございます」
「つれない態度も良いねぇ。ゾクゾクするよ」
「ご主人、彼女に代わり、
再び彼女に手を伸ばそうとした男を、同僚のフットマンたちが引きずるようにして連れて行った。
「大丈夫でしたか?」
「問題ありません」
フットマンの一人が気遣って声をかけたが、彼女は眉一つ動かさない。
大きなアーチ型の扉の前で、訪れる人々を案内する。それが彼女たちの仕事だ。
「ちょっとセンパーイ。もう少し愛想良くしてもバチは当たらないと思いますよー」
人の波が途切れると同時に、扉の反対側を担当している後輩の女性から声をかけられた。
彼女も日本人だが、色素の薄い髪や肌質で、長い髪をくるくると巻いた姿はお人形のようだ。
「必要性を感じません」
「また、そんなこと言ってー。あ、いらっしゃいませー。
後輩が明るく弾んだ声を上げる。
半年ほど前から彼女と一緒に勤務しているが、朗らかな性格で、仕事にも同僚にもすぐに馴染んだようだ。
(あれくらいのサービスが必要なのかしら? 分からないわ。この仕事を始めて、ずいぶん時が経っているはずだから。きっと、時代も変わっていくのね)
この冥土の入口で、いつからメイドとして働いているのか、なぜ働いているのかも、もう忘れてしまった。
支給された服は、華族の洋館で給仕をする者の制服に似ていた。
裾の長い黒のワンピースに白いエプロン。エプロンには、可愛らしいというよりも上品なフリルが使われている。
(時々思うのだけど、着物では駄目なのかしら。和装のほうが落ち着くのに……)
「紗雪……?」
スカートの裾を揺らして、その波をぼんやりと眺めていると年若い男の声がした。
驚いて顔を上げると、その距離の近さに彼女はさらに驚いた。
「紗雪、紗雪なんだろ!? そうだよな!?」
必死な顔をして問いかけてくる男に、グッと強い力で両肩を掴まれる。
先ほどの年老いた男と同じように、すぐに払いのけることもできたはずだが、動き出すまでに時間がかかった。
「いいえ、違います。お離しください」
「違う? 本当に……? じゃあ、お名前を教えてください」
「
「ま、待って! このままでは、死んでも死にきれない!」
(その言葉を使うには、絶妙なタイミングと場所ですね)
「……なぜ、そこまで必死になるのですか?」
「君が……、戦争の時に
(困りましたね。私、そういう話には弱いんですよ)
「いつの戦争のことでしょうか? 日本で戦争を経験された……というには、ずいぶんお若く見えますが?」
「死後の世界では、好きな年齢の姿を選んで良いんだろ?」
「たしかに、そういった制度がございますね」
「だから、俺は彼女と生きていた時の姿を選んだ。爺さんの姿だと、気づいてくれないかもしれないから……」
「そう……で、すか」
会話の途中で、彼女は激しいめまいと耳鳴りに襲われた。
それと同時に、まるで映画を観るように、ある光景が頭の中に流れだす。
『紗雪、ほんとに良いのかい? 募集した私が言うのも何だけど、そんなに良いものではないよ? もちろん、お給金はちゃんと出すけどね』
『良いのです。あの人に、ひと目……。もう一度会えれば、それだけで』
『死別した彼のことだね? 彼は無事……とは言えないけれど、なんとか生き延びたよ』
『良かった……』
紗雪は、ぽたぽたと雪解けのような涙を流した。
『うーん、でもねぇ。メイドになれば生前の記憶は消えるから、彼に会っても分からないかもしれないよ? 自分の名前が“紗雪”であることすら、君は忘れてしまうのだから』
『魂と接するにあたって、記憶があると公平性に欠けるから……、という理由でしたよね? 募集要項にありました』
『そう。それを理解した上で面接に来たんだね?』
『はい。広い天界で再会が叶うかどうかは、分かりませんから……。見つける前に、彼は転生してしまうかもしれません。それなら、たとえ記憶を失って彼だと気づけなくても、確実に会える道を私は選びます』
『分かった。じゃあ、採用だ。これからは“冥土のメイド”として、よろしくね紗雪』
『はい。精一杯、ご奉仕させていただきます』
「本当に、君は紗雪じゃないのか? もしくは、ご親戚に紗雪という人はいなかった? 君と同じように艶やかな黒髪で大きな瞳をした……と言っても、僕が知ってるのは、もう何十年も前の姿だけど――」
彼に再び問われ、我に返った。めまいと耳鳴りも治まったようだ。
「……申し訳ありませんが、存じ上げません」
「そう……。そうか。でも、彼女にそっくりな君に会えた僕は幸運だ」
「どういう……ことでしょうか? 容姿が似ていれば、別人でもよろしいのですか?」
「戦争で彼女の写真もすべて燃えてしまってね。とても大事な人には違いないのに、時が経つごとに顔も声も、記憶の中でおぼろげになってしまった――。それがとても辛くてね。でも、君に会えたことで、しっかりと思い出せた」
「……お役に立てたのでしたら、幸いにございます」
「うん、本当にありがとう。じゃあ、そろそろ行くよ」
「行って……、らっしゃいませ」
紗雪は何とか声を震わせないように、スカートを強く握った。
その声を聞いた彼は、なぜか
「ずっと、いつまでも待ってるから」
その言葉に紗雪は目を見開いたが、何も返せなかった。
今度こそ冥土への列に並んだ彼を見送ると、紗雪は背筋を伸ばし、まっすぐ前を見つめる。
すると、妙に焦ったような顔の後輩と目が合った。
「ちょっ、ちょっと! 先輩、何で泣いてるんです!?」
「え?」
慌てて駆け寄ってきた後輩に、顔を覗きこまれる。
「もしかして、どこか具合が悪いですか? 先輩、いつも同じ顔してるから、分かりづらいんですよ」
知らぬ間に、頬に涙が伝っていた。
「いいえ、体調は大丈夫です」
「それなら良いんですけど……。でも、少し休憩しませんか? 代わりの人を呼んできます。先輩が泣くところなんて初めて見ましたし。やっぱり、いつもとどこか雰囲気が違いますよ」
「ありがとうございます。でも、本当に問題ありませんから。ご心配をおかけして申し訳ありません」
涙を拭って、紗雪はうっすらと微笑んだ。
「……そうですか? 先輩がそう言うなら……。でも、辛いときは辛いって、ちゃんと言ってくださいね?」
「はい」
「約束ですよ? ――あ、そういえば。さっき先輩と話してた人、イケメンでしたねー。私なら、『あなたが探してる恋人は私です』って言っちゃいそう。あと、何かちょっとだけサービスしちゃう」
「駄目ですよ、そのような公平性に欠けることをしては。私たちは、“冥土のメイド”なのですから……」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます