第4話 #チューリップ #青天の霹靂


 最上さいじょう 優悦ゆうえつ——なんて美しい名前だろう。


 書面で辿った文字が、彼の第一印象だった。

 その感覚は、まだ鮮明に残っている。


 彼の肩書きは、空港運営会社に勤める真面目なサラリーマンで、巷で注目を集めた、とあるインバウンド促進プロジェクトの立案者だった。もとより、若くしてフリーペーパーの取材対象として白羽の矢が立つくらい、優秀な人材だったという。

 そのフリーペーパーの記事制作を受託したのが、私の元勤め先である『Seedシード pitピット』だった。

 元いた広告宣伝部も、取材班と現場に立ち会うことは珍しくなく、彼への取材日も事前に配布される書面上で情報に目を通していた。そのなかで、“最上 優悦” という名前に一番に目が止まった。


 ——はじめまして。縁凪さん、ですか。素敵なお名前ですね。


 だから、彼にそう言われたとき、私の心には花が咲いた。寒々しい外の景色とは裏腹、その後も何度か続く彼との打合せには、必ず桜花爛漫が同居した。


 交際期間は約二年。告白は私からだったけど、プロポーズは彼の方からだった。約半年前、この『グリルTEN』で花束と婚約指輪を受け取った。


「あれから私、すっかりチューリップに嵌まっちゃって」


 前菜のムースを掬いながら思い返す。プロポーズの際、『ついてきて欲しい』と渡されたのは、緋いチューリップの花束だった。


「気に入ってくれた?」

「もちろん!チューリップの写真見せて、自慢しすぎたからかな。今日もらった花束にも入れてくれてたの。もう、腐れ縁の後輩が泣きじゃくっちゃってね」

「そっか。縁凪は愛されてたんだね」


 ああ、でも、『泣きじゃくって』は言い過ぎだったかな。

 心の内であおいに懺悔して、彼の笑みに酔いしれる。垂れ下がった眉と、柔和に細められる瞳が心から愛おしい。


 朗らかで、優しい時間だった。

 彼の出向先でもある旭川の新居では、今までよりもゆっくり時間が流れるのだろう。


 ——私はそう、確信していた。


「ねえ、縁凪」

「うん?」

「俺たち、やっぱり別れよう」


 優しく笑みを浮かべる夫との結婚生活は、幸せに満ち溢れるものだ、と。確信していた。

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