第17話

 学は、時間の流れに置いてけぼりにされたステラを見下ろす。じっと見つめていると、彼女は不思議そうに小首を傾げた。その仕草は、紛れもなく学の青春時代を埋め尽くしていたステラに違いなかった。


 自分は、なんてことをしてしまったのだろう。


 ようやく思考が動き出して出て来たのは、それだった。あの時、ステラに何も告げず、自分の勝手でここに来ることを止めた。そうしなれければ、心が苦しくて仕方なかった。


 翌日にステラが来ることは分かっていた。だが、日が経てばステラもナナシが来なくなったことを理解して、橋の上に来るようなことはなくなるだろうと思っていた。


 これも、自分の都合に合わせた勝手だったのだと、十年経ってようやく気が付いた。自分の描いたステラと、本当のステラは必ずしも同一とは限らないのだ。


 ステラにとってナナシなど、ちっぽけな存在でしかないはずだと、それも自分の都合に合わせた思い込みだろう。そう思い込んでいたからこそ、自責の念に駆られずにすんだのだから。


「ナナシのこと、好きなの?」


 ようやく口が開いて飛び出した言葉。学は、心底自分に呆れた。この期に及んで自分は、相手の心配よりも自分がどう思われているかを優先している。どう思われていたとしても、十年の時は埋められはしないというのに。


「好きとか、そういう次元じゃないよ。ナナシは、私の居場所なの。あの日、星になれなかった私を【ステラ】にしてくれた。【ステラ】は、ナナシがいて初めて光輝くの」


 星になれなかった。その言葉が何を意味するのか、学は理解出来るほどには成長していた。あの日、橋の上で彼女を見つけた際、側には綺麗に並べられた靴が置いてあった。わざわざ靴を脱ぐ必要もなかっただろうが、ならば、靴を脱がない必要もない。


 ステラはあの日、本当の自分を捨てる覚悟で橋の上に来ていた。そして、今まさに生涯を終えようとしていた時に、学と出会ったのである。

 

 偶然か、運命か。そんなものはどっちでもよかった。

 

 学はただ。自分がステラを居場所だと思っていたの同じく、ステラも自分を居場所だと思ってくれていたことが、嬉しくて仕方がなかった。


 気付けば、学は涙を流していた。ステラを見れば見るほど、涙が溢れてくる。


 今のステラが綺麗ではない、ということではない。けれど、時の経過は確かに彼女を蝕んでいるように感じた。光のない闇のなかで佇んでいた十年が、ステラが放っていた光さえも飲み込んでしまっている。


 もし、あの時出会ったステラも今のようであれば、学は彼女に【ステラ】と名付けはしなかっただろう。


「どうして泣いてるの?」


「なんでかな。自分でも、分からないや」


 学は両手で涙を拭って、ステラの横に腰を下ろした。ステラは特に反応することはなく、横に腰を下ろした見知らぬ男をじっと眺めている。見られていることに気が付いた学は、ステラの視線を誘導するように空に指を差した。


「もう少しすれば、空をたくさんの星が流れるんだ。僕はそれを見に来たんだけど、迷惑じゃなければ、君の横で見てもいいかな」


「……ナナシが来るまでなら、いいよ」


 ありがとう。


 そう一言告げて、学はステラと一緒に空を眺めた。自然と、口が開く。あの星はどんな星で、どれと繋がってなんという星座になるのかなど。学が意識する暇もなく、あの頃のように、学は星について語り始めていた。


「星、好きなの?」


「好きだったんだけど、嫌いになった。でも、もしかしたらまた、好きになれるかもしれない」


 言いながら、つい笑ってしまう。嫌いになったことなど、一度もないくせに。


「変なの。ナナシはね、星が大好きなの」


「そうなんだ」


 いつまでナナシを待ち続けるつもり? 学はそう尋ねようかと思ったが、止めた。今のステラに、ナナシが来ないという可能性を感じさせるのは、悲惨なような気がしたのだ。


 きっとステラの精神を支えているのは、ナナシが来るという事実。ナナシが来ると約束をしていたからステラは待ち続けることが出来るし、そして待っている間はステラでいられる。


 もし彼女がステラでいられなくなってしまえば、たちまち心は壊れ、肉体も死に向かって行くことだろう。


 中学生の頃は、こんなこと考えることも出来なかった。ただ、綺麗な女性と一緒にいられることが楽しくて、嬉しくて、それが自分の居場所にもなって――やましいこともして。

 

 ステラに好意を抱いてはいたけれど、ステラを想ってはいなかった。彼女の本当の姿を知りたいと思ったのも、自分の欲求でしかない。ステラのことを慮るなど、中学生の自分には無理な話だったのだ。


 無理だったから、勝手に都合よく逃げ出したのだ。


 口では星について語り、脳内では過去の自分を責め続ける学。その横で、ステラは気持ちよさそうにゆらゆらと肩を揺らしながら空を眺めている。


 過去の二人と重なる情景が少しばかり流れた頃、聞き覚えのある声が学に届いた。

 

「かな、じゃなくて、ステラお姉ちゃん。そろそろ帰るよ――あれ? 学、君?」

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