第16話

 町に着いて、学は橋に向かって歩いていた。


 周囲を見回すと、昔のことを思い出す。昔と言っても数年前のことでしかないのだが、それでも、学には遠いことのように思えた。


 高校時代も確かにこの土地で暮らしていたはずなのに、思い出されるのは中学時代とそれよりも前のことばかりだった。年季の入った軽自動車に家族三人で乗って、狭くうるさい中で楽しく笑い合っている両親と子供の姿。

 

 そんな光景は、最早見ることは出来ないだろう。環境も変わったし、自分も父親も変わってしまった。母親がどうなのかは分からないけれど、きっと変わってはいるだろう。変化がないものなど、この世には一つもないのだ。


 あの時に戻りたい、と思っている自分はいるのか。学は歩きながら自問自答してみたが、いまいちはっきりとはしなかった。戻れるのなら戻りたい気もするが、やっぱりいいや、と思う自分もいる。はっきりしない男だな、とつくづく思う。


 学は、橋の入り口までやって来て一度足を止めた。陽は沈んでいて、辺りは既に暗くなっている。


 現状の自分に満足していないわけではない。ただ、心の奥底に隠してあるもやもやを払ってしまわないと、この先一生誰も好きになることが出来ないような気がする。


 あの日以来、この橋には近づかないようにしていた。橋の先にある隣町に用事がある時は、わざわざお金を払い電車を使って行くことにしていた。


 あれから十年。


 橋は形を一切変えることなく、あの時のままこの町と先の町を繋いでいる。人との繋がりよりも強固に、しっかりと、変わらぬままで。


 学は中学時代の自分に思いを馳せながら、歩を進めた。橋の歩道部分の幅はこんなにも狭かっただろうか、と成長した自分を感じながら歩いて行く。


 冷たい風が、頬を撫でた。夏とはいえ、夜半は少々肌寒い。星を見るには、いい温度感だ。学は、知っていながらそんなことを思いはしなかった。【星を見るために】という体の良い言い訳は、もう必要ない。ここまで来てしまったのだから、後は進むしかない。


 しかしながら、十年である。あの日から、十年。


 この先に、誰かが待っている可能性など、一%でもあるのだろうか。今この瞬間、宇宙のどこかで超新星爆発が起きている可能性の方が高いだろう。


 だからこれは、ただの自己満だ。むしろ、いてくれない方が良いとすら思う。先に進んで、誰もいない景色を見れば、自分の中のもやもやは結論を見つけて雲散霧消してくれるはずだ。


 星に願うように。星に縋るように。


 学は止めることなく歩を進め、そしてようやく橋の中央に到達した。


 中学時代。あの夜に彼女と出会わなければ、学はどうなっていただろうか。今とは違う人生を送っていただろうか。いや、だろうか、なんてことはない。送っていたに違いない。


 けれど、そんなたらればを考えることほど、意味のないことはなかった。学は出会うべくして出会い、そして悩み、苦しんだ。その悩みや苦しみは今なお学を侵し続けているけれど、人との出会いなどそういうものでしかないのだ。


 悩み苦しみ、その中で光輝く【想い】を見つける。


 夜空に光り輝く。ステラのように。


「こんばんは。私はステラ。貴方はだあれ?」


 橋の中央にしゃがみ込んでいる一つの人影。その人影は学の方へと首を動かして、声をかけた。

 学は、咄嗟に言葉を返すことが出来なかった。胸が痛み喉が詰まり、呼吸をすることが精一杯な状態になっている。


 落ち着け落ち着け、と何度も心の中で自分に言い聞かせ、数分かけてようやく平常の呼吸を行えるようになった。その間、目の前の人影は微動だにしていない。


 まさか。十年経ってもここに来ていたなんて。


 学は、彼女に言葉を返す前に一度目を閉じた。自分は、ステラともう一度会えたことをどう思っているのか。


 驚いてはいる。そして、十年経ってもここにいることに呆れてもいる。けれどそれ以上にやはり、嬉しく思ってしまっている。

 ステラはずっと、自分を待ってくれていた。


「こんばんは、ステラ。長い間来れなくてごめんね」


 近づきながら言葉を返す学。うっすらと見えてきた彼女の姿は、金色の長髪で、ピンク色のジャージを着ていた。更に近づく。どうやら、十年前よりも痩せ細っているようだ。顔にも年相応の変化が見られる。


「貴方はだあれ?」


 ステラは、もう一度学に問いかけた。以前とは違って、どこか気の抜けたような喋り方をするステラに困惑はしたものの、自分も年齢を重ねて風貌が大きく変化していることに気が付いた。誰なのか分からなくて、当然だ。


「ナナシだよ、ステラ。見た目が随分と変わってしまってるだろうけど」


 学は笑いながら言った。なんだか、久しぶりに穏やかな気分で笑えているような気がする。


 だが――。時の経過は、身体の変化だけでは収まらなかったようだった。


「何を言っているの? ナナシは、もっと小さいよ。小さくて、可愛くて、星が大好きな男の子。私がここに来たらナナシも来てくれるって言ってたの。だから、ずっと待ってるの」


 思考が止まった。


 ステラの心は。あの頃から変わらずずっと、あの時のステラのままになってしまっていた。

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