第15話

 講義が終わって、学は教室の外へと出て行った。


 父親が抱いていた女を自分も抱いていたのだと思うと、若干嫌悪感を覚える。しかしながら、パパ活が正しいことなのかどうかを置いておけば、誰も悪くはないわけで、この状況はなるべくしてなったと言わざるを得ない。


 世の中の奇妙さを肌で感じながら、学は昔の自分を思い出した。


 何が好きで、何が嫌いで。どんな子供だったのか。


 はっきりと思い出せるのは、今の学を形成したと言っても過言ではない中学時代よりも昔のことだけだった。

 両親の喧嘩から逃れるために、いつも天体望遠鏡にしがみついて夜空を眺めた。銀河の中を泳いでいると、現実とは違う別の世界にやって来たような感覚になる。学には、それがなんとも心地よかった。


 けれど今は、違う。星を見ると、心がざわついて、胸が苦しくなる。特に夏の時期なんかは、症状がひどい。

 なんでこうなってしまうのか。原因は分かっている。だからこそ、ひた隠しにしてきた。後悔していることを思い出すことほど、辛いことはないのだ。


 講義が全て終わる間、学は構内で二人の女性に声をかけられた。学は彼女たちからの夕食の誘いを断って、一人帰路に着く。


 今日の晩御飯は、何にしようか。一人でいる時はそんなことを考えてもみるのだけれど、結局はインスタントの食事に行き着いてしまう。健全な学生の姿、と言い聞かせれば何も問題はあるまい、と学はコンビニに寄って晩御飯の調達をすることにした。


 コンビニに入ると、女子高生だろうか、制服に身を包んだ女子が三人、楽しそうに会話をしているのが目に入った。耳をそばだてる必要もないぐらいの声量で話す女子たちの会話の内容は、構内で聞いた流星群のことだった。


 三人の内の一人は彼氏がいるようで、今晩、通話をしながらそれぞれの家の窓から星を眺める予定らしい。なんともロマンチックで純粋なのだろう。

 他の二人は羨ましそうな声を上げて、好きな男を誘おうかなどと話している。彼女たちにとって星なんてものは、恋愛を成就させるためのツールの一つに過ぎないようだ。


 購入し終えた学は、女子高生たちを横目にコンビニを出て行こうとした。

「どこが一番よく見えるかな?」

 女子高生の内の誰かが言った。


 学は無意識で頭の中に思い浮かべた。


 星が良く見える場所。空気が澄んでいて、人工的な光のない周囲が暗い場所。加えて、流星群なら、視界を邪魔する建物が少ない場所や、集中するために音もない場所がいい。


 山。という答えが適切なのだろうけれど、夏場の山は虫も多くいるだろうし、野生の動物に出くわさないという保証もない。


 暗くて安全で、人気もなく建物も少ない静かな場所。二人だけの、別世界を築ける場所。


 学はコンビニを出て、激しく頭を振った。鮮明に映し出された景色を、脳内からはじき出すかのように。しかしながら、何度振っても、何度消えろと望んでも、思い出と共に具現化されていく。


「――くそっ」


 学は一言吐き出して、全速力で走り出した。走って、何も考えられないぐらい疲れて切ってしまえば、消えるはず。そう思って家まで走ってみたものの、疲れはしたがそれだけで、思考は止まることなく動き続けていた。


 逃げても無駄、と。そういうことだろうか。


 今日一日で、偶然、流田星奈と出会い、偶然、中学時代には一緒に暮らしていた父親の存在も思い出された。そんな過去の遺物たちを取りまとめるように、今日、星が空から流れ落ちてくる。


 心の中にずっと溜め込んできたものと、今こそ向き合うべきなのだと、そう言われているような気がした。

 大好きだったはずのものを全てまやかしと思い込んで、自分を偽り守るのにも疲れてきた。傷つくことが恐くて、他人に興味のない振りをするのも飽き飽きだ。


 あの橋の上に行ったからといって、何かが変わるのだろうか。諦めが、つくのだろうか。


 分からない。分からないが、行かなければずっと分からないままだ。


 嫌ではある。行きたくはない。行かなければ、もやもやとしたままではあれど、心を過度に苦しめることはない。


 どうするべきか。そう悩んでしまう自分に気が付いて、学は買って来た弁当を食べながら星を見に行こうと決断した。


 ただ自分は、今晩流れる流星群があの橋の上ならばよく見えるだろうと思っているから、そこに向かうだけなのだ。そう、ただ星を見るために。それ以外に、他意はない。


 弁当を食べ終えた学は外に出て、駅へと向かった。嫌いだと言っていた星を自ら見に行くという、なんとも奇妙な状況になっていることに学は気が付かないまま、三駅ほど離れた実家のある町へと向かったのである。

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