第13話

「相変わらず、不思議な雰囲気の人だね」


 レトロな雰囲気を纏っている喫茶店に入った二人は、約十年振りの会話をしていた。学は星奈の行きつけの店らしい喫茶店のコーヒーが気に入ったのか、一杯目をすぐに飲み干して二杯目を注文する。


「学君は、今何してるの?」


「地元の大学に通ってる。星奈も知ってる、あそこ。やりたいことがあるわけでもないから、とりあえず大学には行っておくか、ていう感じで。ねえ、それより、このグアテマラコーヒーていうのは美味しいのかな?」


「私からしたらコーヒーの方が、それより、っていう感じだよ。そうだね、酸味の強いコーヒーだから、苦手な人は苦手かも。私は好きだけど」


「そう。じゃあ、次はこれを頼んでみよう」


 そう決めたところで、学の手元にオリジナルブレンドと称されたコーヒーが置かれた。香り立つ湯気が学の鼻腔を刺激して、心を落ち着かせていく。

 静かな空間に小さく流れるイージーリスニング。周囲の壁は所々色あせてしまっているが、それがむしろ味を出している。


「いい所でしょ?」


「うん。人が少ないのも、いいね」


 星奈が慌てて、立てた人差し指を口元にあてる。それは言っちゃいけないと、動作で示しているようだ。

 学は彼女のそんな姿を見ながら、コーヒーを啜る。温かく雰囲気の良い場所のせいもあって、どんどん眠気が増してくる。コーヒーを飲んでいるとはいえ、昨日は身体を酷使しすぎた。


「私はね、今、美容の専門学校に行ってるんだ」


 そう、と適当な相槌を返す学。興味のない話では、目が覚めない。星奈が自分の近況について何か話しているようだけれど、停止しかけている脳では、何を言っているのかすらも分からなかった。


「学君は、今フリーなの?」


「それは、彼女がいるのかいないのか、って意味でいい?」


 星奈は微かに聞こえる声量で、うん、と言いながら頷いた。視線が学の顔に向いたと思えば、机の上に落とされる。


「彼女はいない、かな」


「――そうなんだ! 私も、一月前に別れたんだよね」


 そう、とまた適当な相槌。


 学も朴念仁ではないので、星奈が何を考えているのかはなんとなく察しがついている。

 男と別れたばかりの時に、偶然昔の恋人と出会った。乙女チックな女なら、運命だとか言いだしかねないシチュエーションだ。


 だから、乙女な彼女が鬱陶しいことを言い出す前に学は言葉を投げかけた。


「別に女には困ってないから」


 そう、と次は星奈が返す。学と違うのは、その短い言葉にしっかりと感情が込められているところだろう。


「付き合おうとか、思わないの?」


「一人がいいんだ。誰かと交際するなんて、面倒なだけだし」


 学がそう言ってのけると、星奈は無を眺めながら薄く笑みを浮かべた。


「違うよ」


「違うって、何が?」


 学がコーヒーを啜りながら星奈に視線を向ける。同時に彼女もこちらに顔を向けて、二つの視線が衝突した。衝突の衝撃が伝わったわけではないのだろうが、学は一瞬のけぞってすぐさま座りなおした。


「学君は、面倒だから付き合わない、じゃないんだよ。私と別れた中学の時から、何も変わってない。学君の心の中には、ずっと特別な誰かがいるの。だから学君は、誰とも恋人になりたくないんだよ」


「何を言ってるの?」


 そんな人、いるわけないじゃないか。そう言葉を続けたかった。けれど、学の口は思い浮かべた言葉を、目の前の女性に届けてくれはしなかった。


 からんからん、と。入り口のドアに設置されている鈴の音が鳴る。


 学は音に反応して振り返ってみた。視線の先には、知らない男性の姿が映る。


 誰か知り合いが入店したのかも知れない、なんて微塵も思ってはいなかった。なんとなく星奈と向き合っているのが苦しくなって、意味の無い行動を取った。


「コーヒー、飲み終わったみたいだし、そろそろ行こっか。ごめんね、急に付き合ってもらっちゃって」


「別に、構わないよ」


 星奈は伝票を持って立ち上がった。付き合ってもらったお礼とのことで、この場の会計は星奈の奢りとなった。


 会計を済ませて、二人は外に出た。少しだけ昇った太陽の光が、二人を照らして温もりを与えていく。


「ねえ、学君。もっと、自分に素直になってあげて」


 星奈が唐突に言う。学は怪訝な顔を見せて、意味が分からないと表情で伝えた。


「何があったのかは知らないけど、ずっと辛そうだよ。好きな人を無理して嫌いだと思い込ませているような、そんな感じがする」


「……なんだよ、それ。ますます意味が分からない。なんで星奈にそんなことが分かるの?」


「分かるよ。だって、私も同じだったもん」


 涙を見せながら言う星奈。


 同じだった、という過去の先の相手は誰のことなのか。もし自分なのだとしたら、人の心変わりのなんたる奇妙なことか。初めは気持ち悪がられ、痛めつけられたというのに。


 でもまあ。他人のことは、言えない――。


「星奈、ごめん。僕は、君のことは好きじゃなかった」


「知ってる」


 人通りが多くなった街路で、学以外誰も知らない涙が、地面に流れ落ちていく。

 空を見上げた。明るい空には雲一つなく、一面の青が広がっていた。


「抱いてあげるぐらいは、出来るけど?」


「それで女の子が喜ぶと思ってるなら、女の子のこと馬鹿にしすぎ」


 星奈は去り際に一言、「女の子のこと、もっと勉強しなきゃね」と言って背を向けた。


 確かに、と。空を見上げながら学は呟く。


 女の子のこともそうだが、それよりもまずは、もっと自分と向き合ってみるべきなのかもしれない。そう思いながら、学校へと歩を進めた。

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