第12話

 夜になって、気付けば学は誘われた女性と一緒に、テラスの一角で食事をしていた。乗り気ではなかったが、彼女が全額奢ってくれるというので、それならばと思い、学は彼女の誘いに応じた。


 義理の父親から金銭面の援助をしてもらってはいるけれど、それはあくまで必要経費のみである。学自身が自由に使えるお金は、学がバイトをして稼いだお金しかない。学生がバイトで稼げる金額など、たかが知れていた。


「ほら、見て見て! あれが夏の大三角って呼ばれてるやつ――って、全然見ないじゃん」


「興味ないからね」


 はしゃぐ女性を他所に、学はもくもくと小さな鉄板に乗った肉を口に運んでいく。一口サイズに切られた牛肉は柔らかく、噛む度に肉汁を吐き出して、食する者を魅了していった。


「めちゃくちゃ美味しいね、この肉」


「そう? 好きなだけ食べていいよ」


 学は女性の言葉に甘えて、すぐに二枚目を注文した。店員にライスやパンを進められたが、断った。好きなだけ肉を食べていいのだ。ならば、別のもので腹を膨らませるわけにはいかない。こんな上等な肉、そうそう食べれるものじゃない。


「食べないの?」


「私、もともと少食だからね。学からもらった数切れで、十分かな。あ、金額を気にしてるとか、そういうことじゃないからね。気を遣わなくて大丈夫だから」


 別に遣ってはいない。食べている自分を見られるのが不快なので、出来れば食事に集中してもらいたいと、そう思っただけだ。


 もくもくと肉を食べ続ける男と、組んだ手に顎を乗せてその男を見つめる女。食べ終わればきっと、男女の営みが行われるのだろうと学は思っていた。昼間に一度発散したけれど、それから時間も経っている。食事に誘われた時は無理だと感じていたけれど、肉を多く食べているせいか、むしろ昼間より滾っている気がする。

 

 肉を咀嚼しながら、学は星空を見上げた。


 そういえば昔は、ことあるごとに天体観測をしていた。嫌なことがあれば星を見て、星が放つ光が学の心を現実から逃避させ癒してくれた。

 あんなにも星に縋っていた自分なのに、今となっては星を見ると胸の奥辺りが苦しくなって、小さな痛みに襲われる。


 病気なのだろうか、そう思わないこともなかったけれど、きっと違う。それは、学自身が一番分かっていた。


 息苦しい。だが、星々の輝きを浴びれば浴びるほど、身体が熱を帯びてくるのを感じる。

 

 まるで。女を知らない男が、裸の美女を目の前にしているかのように。


「たくさん精をつけてね。今日は、朝までコースだから」


「初耳なんだけど。さすがに朝まではしんどいよ」


「えー、いいじゃん。食事代に、ホテル代も出してあげるよ」


「気前がいいね。何かあったの?」


「SNSで優しいパパさんと出会ったんだ」


「あー、パパ活ってやつ」


「デートしてあげるだけでもそれなりにくれるし、抱かせてあげると倍は超えるんだよね」


「僕もパパさんに感謝しないと。おかげで、美味しいお肉が食べれてる」


「パパには感謝しなくていいから、私に感謝して。感謝は行動で示してね」


 感謝を示したわけではないが、彼女の望み通りの一夜が流れていった。朝までと言っていた女も身体がもたず、数回ことが終わると、そのまま眠りについた。疲労し切った学も、彼女の横で倒れるようにして眠った。


 朝、先に目を覚ました学は服を着て、女が起きるのを待たずにホテルを出て行った。朝日に一瞬目が眩んで、自分がどこにいるのか分からなくなる。


 次第に視界が回復して、ようやく自分が立っている場所が分かった。


 今日の講義は三時限目からである。体力も回復してはいないし、一旦家に帰って時間がくるまで寝るとしよう。学は、最寄りの駅に向かって歩を進め始めた。


「あれ? 学君?」


 後方から聞こえた声は、聞き覚えのある声だった。つい最近ではない、過去に何度も耳元で聞いたことのある声。


 中学を卒業してから一度も出会ってはいなかったけれど、自分が地元に残っているのと同様、彼女もまたこの地に留まっていたのだ。こうして出会うことは何も不思議ではないし、むしろこれまで出会わなかったことの方が不思議だ。


「久しぶり、星奈」


 学は驚くこともなく、自然と笑みを見せた。遠い昔の彼女との再会。それは運命的にも見えたが、学にはただの偶然でしかなかった。

 過去の素敵な思い出がフラッシュバックしてときめいてしまう、なんてことはありえない。学にとって流田星奈の存在は既に、流れ星となって燃え尽きてしまっている。


「ほんと、久しぶり。まだこっちにいたんだ」


「まあね」


 ちらちらと、脳裏で何かが見え隠れする。はっきりと見えないそれは、学の心をぎゅっと締め付けて、身体を強張らせた。


「どうしたの?」


「――いや。なんでもないよ」


 光と影。朝と夜。


 太陽と――星。


「ねえ、今から時間あったりする?」


 太陽の光に目が眩んで、学は今、自分がどこに立っているのか分からなくなった。 

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