第二章
第11話
三時限目の講義を終えた学は、次の講義まで食堂で時間を潰していた。単位取得に本日の四時限目は特に必要なく、学が出席するのは五時限目からである。それまでにまだ、三時間ほどの余裕があった。
学が食堂で昼食を摂っていると、装飾品を音が鳴るほどに複数つけた女性が、対面の席に座った。露出の多い女性の手にはブランドのバッグしかなく、彼女は食堂にいながら食事をする意思はないようだ。
「ねえ学、どうして連絡返してくれないの?」
「――ん? ああ。忘れてた」
学はカレーライスを口に運びながら、適当に言葉を返した。忘れた、とは言ったが、学は目の前の女性のメッセージを見てすらいない。
「ひどくない? 私、彼女だよね?」
勝手にそう思っているだけだろう。学は食事の手を止めることなく、一人で喋り続ける女の言葉を受け流していく。
身体の関係を持ったのは二月前。それから、何度も身体を重ねはした。だが、それだけだ。男女が交わっただけで何かしらの関係が決定づけられるのだとしたら、大学生となった今の学は、大勢の女性と付き合っていることになってしまう。
「話は終わった? 僕、講義までまだ時間があるから家に帰って寝ようと思うんだけど」
「――は? なに、その態度!? 私が怒ってるの分かんないの!?」
分かるが、理解は出来ない。勝手に自分の中で創り上げたものが、相手と共有されていないからといって怒るのは、あまりにも自己中心的過ぎないだろうか。
だがまあ。怒りたければ怒ればいいし、それに、そんなに腹立たしいのなら側に来なければいいのに、と思う。
学としては、目の前の女性と二度と会えなくなってしまっても、なんら問題はないのだ。
しかしながら。関係性というのは面倒ではあるけれど、性の欲があるのは動物である以上、仕方がないことでもある。
「怒っててもいいからさ、君も家に来てくれない?」
「馬鹿にしてんの? 行くわけないじゃん」
「あっそう。分かった、じゃあ」
目の前の女性が来ないなら、別の女性を呼べばいいだけの話である。学が呼び出せば喜んでやって来る女性は、まだ数人スマホの中に眠っている。
「え、あ……ちょっと、待って」
「なんで? 関係ないでしょ? 邪魔しないでくれない?」
「あ、その……家、行く」
しおらしく言った女性に一度だけ視線を投げて、学は帰り始めた。道中も彼女と話はない。学が歩いているのを、後ろからひっそり女性が追いかけて行く。
優れた容姿、独特な雰囲気を持った学の魅力は、精神的に未熟な女性にとっては惹きつけられるものがあった。
二人で学が住むアパートに帰り、一時間ほど、女性の身体は学に弄ばれた。終えた後には女性の怒りは消え、むしろ笑顔で学の身体に抱き着いていく。たかがヤッただけのことなのに、なんとも浅い人間性だと、学はため息を漏らした。
性欲の捌け口に利用されていることは分かっているはずだろうに、それをあえて自覚しないようにしているのだろうか。自分で自分を騙すように、抱いてくれるのは愛してくれている証拠、だと信じ込んで、思い込ませているのだろうか。
考えはするけれど、どうでもいい。学にとって、欲を満たす以外に彼女の存在意義はなかった。
彼女を帰して、学は再び大学へと向かった。歩いて行ける距離の場所に部屋を借りたのは、やはり正解だった。講義の間の時間を潰すために家に帰れるのは、ありがたい。
高校生の時、学の両親は離婚して、学は母親に引き取られた。母親はすぐに再婚をして学に新しい父親が出来たが、少年期を過ぎた学には気を遣う存在でしかなかった。
高校卒業後、学は国立大学へと進学し、一人暮しを始めた。金銭面も全て自分でなんとかしようと決めていた学だったが、義理の父親から面倒をみたいとの申し出があったため、表面上はしぶしぶと、内面では助かったと胸を撫で下ろしながらそれを受け入れた。学はあの時、出会って初めて義理の父親の有用さを実感していた。
「学、今日講義を終わったらさ、ご飯食べに行かない?」
講義中、隣に座った女性から声がかかる。身体を重ねたのは、十数回だっただろうか。
「どうしようかな」
ついさっき、満たしたばかりである。もう少し時間が経てば沸き立つものも出てくるだろうけれど、まだ早い。
「いいとこ見つけたんだよね。テラスで食べれる場所なんだけどさ、夜に行くとめっちゃ星が見えるの! すごい綺麗なんだよ。ねえ、学は星とか好き?」
目をキラキラと星のように輝かせながら、女性は学の右手を掴んだ。
「聞いたことない? 夏の大三角形とか。アルタイル、デネブ――」
言いかけて女性の言葉が止まった。突然、学が口を口で塞いできたからである。塞がれて声が出なかったのもあるし、予想だにしていなかった行動に驚いて身体が硬直してしまっている。
長い口づけの後、学は糸を引きながら唇を放した。
「ごめん、僕。星、好きじゃないんだ」
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