(十二)

 旅館に戻った私達は、シンガポール風の部屋に移動しここで寝ることにした。部屋についているお風呂にはマーライオンがあり、ごうごうと音を立てて水を吐き出している。どうやらその水を浴槽に貯めるようだ。私と陽菜ちゃんはマーライオン付お風呂に楽しくなって長く入ってしまい、あがるころにはすっかりゆでだこになっていた。そんな私達を見て悠稀君は呆れていたが、悠稀君も心做しかるんるんでお風呂に入っていったのを私は見逃さなかった。


 お風呂でさっぱりし、美味しいシンガポール料理を食べた後、私達は例の如く夜の雑談会を始めた。陽菜ちゃんは「お兄さんとお姉さんはいつちゅーするの?」とずっと言っている。そう言われてしまうと意識してしまって出来ないし、何よりそんな経験がないためどうしたら良いのか分からない。

 すると悠稀君はつまらなそうに


「べっつに。“お姉さん”は俺なんかとキスしたくないんじゃない?ね、“お姉さん”」


 と言ってこちらを見る。斜に構えた笑みを浮かべているが、明らかに今日のことを意識している。嫉妬している悠稀君を可愛いなと思いつつ、このまま誤解が解けないのもよくないと思い説明する。


「悠稀君、今日私がコン君に“格好いい”って言ったの気にしてるのかもしれないけど、あれはちっちゃい子に対して言う『可愛い』みたいな感情!だから、その……私の中で一番格好いいのは悠稀君だけなの!」


 そこまで言うとは思っていなかったのか、悠稀君は目を真ん丸にしてこちらを見ている。

 少しの沈黙の後、悠稀君は隣の陽菜ちゃんと布団を交代し、私の隣へのそのそと来る。そして、私の手を取り、甲に優しくキスをした。


「きゃー!お兄さん、王子様じゃん!ってことは、お姉さんはお姫様!きゃー素敵!私、お兄さんとお姉さんと一緒にここに来られてよかった!」


 と言って陽菜ちゃんは布団の中でくるくるしている。私は驚きと恥ずかしさとうれしさが入り混じり、黙ってしまった。それを拒否の反応だと思ったのか、悠稀君は心配そうな顔をしている。その表情が愛おしくて、思わず頬が緩み、笑みが零れる。そして一言、


「嬉しい」


 と。悠稀君はそれだけで嬉しそうだ。勿論、当の私達よりも、一番陽菜ちゃんが嬉しそうなのだけれど。


 経験なんて関係ない。これから出来ていく悠稀君との未来が、私の経験になって行ったら素敵だな。そう思いながら、私達は三人、団欒を続けた


 秋が近付いていることを感じさせる虫の音が、私達の会話を彩った。

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