第二章 海 (一)

 いよいよ今日、『海』の世界へ出発する。女将さんは少し心配そうに私たちの出発を見送ってくれた。そして、美味しそうな昼食と夕食を作って持たせてくれた。とても有難い。

 悠稀はるき君は対して普段と変わっていなかったが、陽菜ひなちゃんは少し緊張しているようだった。それもそうだろう。今からやっと慣れてきた『雲』の世界を離れて『海』へ行くのだから。


「じゃあ、行ってきます」


 そう言って、私達は電車に乗り込む。何度も聞いたプシューという気の抜ける発進音を背に聞き私達は座席に座る。

 この電車は、『ここ』には止まらない。『海』への直行便だ。

 女将さんから貰った昼食を食べながら、私達はもう一度、『海』について得た情報を復習する。


 『海』には荒廃しきった街が一つ、広がっている。そこには人間は一人もおらず、不思議な動物達だけが生息している。その中の一つに、『妖艶なる人魚』がいるとかいないとか。


 そんな一連の流れをまとめたものを読んだ後、私達は一眠り着くことにした。到着するのは夜らしい。宿のようなものがあるとも思えないので、今のうちに寝ておこうという考えだ。お腹いっぱい昼食を食べ、ふかふかの椅子も相まってよく眠れそうだ。陽菜ちゃんもいつの間にか緊張がほぐれているようだ。

どれくらい眠ったのだろうか。窓に広がる風景は、先程までとは一変している上に、もう日はとっぷり暮れていた。


 辺りには水が広がっていた。どこを見ても水、水、水。どうやら『海』の入口のようだ。太陽も沈んでしまった為、海は藍色に染まっている。ブラックホールのようだ。そんな馬鹿げた事を考えたくなるほど、恐怖を具現化したような海が、目の前には広がっているのだ。

 悠稀君も陽菜ちゃんも起きたようだ。眠たそうに目を擦っている。


「うわぁ、凄い景色だね」

「ああ。本当に『海』に来たんだな」

「思っていたよりずっと暗くてちょっと不気味だね」


 私達はそんな会話をつむぐ。皆寝たからか心做こころなしか元気がある。

 電車はさらに『海』の奥へと進んでいく。海の中は外とは違い少し明るさがあった。本当に誰もいない。人間は私達だけしかいない。その代わり、妖精をはじめ、竜や人魚のような動物達が勢揃いしている。まるで竜宮城である。


「本当に誰もいないな」


 私と同じ事を悠稀君も考えていたようだ。


「そうだね」


 陽菜ちゃんも


「そうだね」


 と返事する。

 プシューという気の抜けた音を再びたてて、電車はついに『海』へ到着した。駅のホームは『雲』とは打って変わって薄暗い。駅にある電灯はチカチカとしていて今にも壊れそうだった。


「薄暗いね」


 と陽菜ちゃんが気味悪そうに独りごちる。そんな彼女の独り言に頷いてしまうほど私も薄気味悪くて仕方がなかった。ホラー映画と現実では、雲泥うんでいの差がある。悠稀君だけはもの珍しそうにあたりを見回している。

 ホームを出てすぐのところに、看板があった。そこには


「竜は必ず嘘をつく」


と書いてあった。誰かの悪戯いたずらだろうかと思っていたその時、


「あ、バス停がある」


 そう言って陽菜ちゃんが古びたバス停を指差していた。


「乗れるのかな」


 私が呟くと


「行ってみようぜ」


 と悠稀君がはしゃいだ声で走っていく。そこで私は初めて、自分が海の中にいるということに気が付いた。


「悠稀君、水の中なのに息が出来てるよ!」


 そう叫ぶと、悠稀君も今頃気が付いたのかそのことに大はしゃぎだ。


「「ほんとだ!水の中でも息が出来てる」」


 陽菜ちゃんと悠稀君がほぼ同時に言う。

 バスはとっくのとうに止まってしまっているらしい。私達は諦めて歩くことにした。


 歩いても歩いても、そこには荒廃しきった街があるだけだった。倒壊したビル、痩せ細った木、錆び付いた車。どれも生活の跡として残っているが、それはもう何十年も前の話だろう。何故こうなってしまったのか見当もつかない。

 三十分ほど歩くと、本当に竜宮城のようなお城が現れた。その前には門兵であろう二匹のケンタウロスが立っていた。

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