(三)

まもなく、『雲』。『雲』。お出口は右側です。お忘れ物をなさいませんようご注意下さい」


 というアナウンスが車内に響く。この電車は眠気を誘う効果でもあるのだろうか。陽菜ちゃんがいるにも関わらず私はまた微睡まどろみの中にいた。

 プシューという音と共に電車が止まる。扉が開くと、爽やかな風が胸いっぱいに入ってきた。恐る恐る一歩踏み出し電車から降りると、ホームのコンクリートは心做こころなしかふわっと柔らかい感触をしていた。

 駅には大きく『雲』の文字が書かれていて、終点なのだろうか、行き先は先程までいた『ここ』としか書かれていなかった。

 電車が再びプシューという音を立てて出発する。一体どこへ行くのだろう。また私達のような子供たちを乗せていくのだろうか。


 プラットホームの先に、もう一人の乗客の姿があった。陽菜ちゃんはおくすることなく彼に近づいていく。それもそうだろう。彼と話すのは二回目なのだから。しかし私は女子校に三年間身を置いていた為、男子生徒と会うのはこの非現実的な世界でも少し躊躇ちゅうちょしてしまう。


「お兄さん、お姉さんがさっき起きたんだ。お兄さんが乗ってるってことだけ紹介したよ。お兄さんとお姉さん、自己紹介しなよ」


 陽菜ちゃんの無邪気さに助けられる。これで何とか話す口実ができた。

 どちらから話そうという沈黙があった後、「お兄さん」の方からポツリポツリと話し始めてくれた。


「俺は月雲悠稀つくもはるき。高一。俺も不登校児。たまたま今日学校行けって言われて、行きたくないって思ってたらこの電車が来た。この電車について詳しいことは知らない。……次、『お姉さん』の自己紹介お願い」


 そう言って悠稀君は唇の端をきゅっと上げる。年下なのを知っていて「お姉さん」とは、皮肉だろうか。それとも陽菜ちゃんが「お姉さん」と伝えたからだろうか。少しむっとしつつも自己紹介をする。


「私の名前は神崎美麗。中学三年生です。私も皆と同じで学校に上手く通えてない。今日は凄く学校に行きたくなくて、プラットホームのベンチでうずくまってたの。そしたらこの電車が来た。そして吸い寄せられるように乗って今に至ります」

「お姉さん、私に伝えた時より硬いね」


 陽菜ちゃんが茶茶ちゃちゃを入れる。一応年上ということで敬体を混ぜてみたのだが、果たして悠稀君には伝わったのだろうか。まあ、相変わらず唇の端を上げているのであまり伝わっていないのだろうけれど。


「へー、『お姉さん』俺より年下だったの。へー」


 先程より楽しそうに言ってくる。やはり私が年下だったのを知っていたのではないだろうか。


「そうですよ。『お姉さん』じゃないので美麗って呼んでください」

「はいはい。『美麗姉さん』」


 完全にバカにされている。この異常事態の中、何故こんなにも小さいことで争っているのか(というより一方的に私が怒っているのだが)不思議で仕方が無いが、そろそろここについて知り、話し合わなければならない。


「とりあえず……ここから出ましょう。ずっとプラットホームにいても変わらないし、この『雲』という世界がどうなっているのかも気になりますし」

「あー、タメ口でいいよ、美麗」

「初めて名前ちゃんと呼んでくれましたね。じゃあ緩い敬語で話しますね、敬語抜くのはあまり得意じゃないので」


 悠稀君は『よく言うぜ』と言わんばかりの表情を浮かべるも、口には出さなかった。……そのニヤニヤとした表情で全て分かるので、言っても言わなくても伝わるのだが。


 私達三人はプラットホームから出た。そこには今まで見た事もないような世界が広がっていた。四季折々の花が一斉に咲き乱れ、自然の香りが胸いっぱいに広がる。家々もカラフルで、赤、青、気、緑、紫、白、ピンク、臙脂えんじ……。全てを挙げたらきりがないほどの色で溢れかえっている。しかしここで違和感に気がつく。二人も気がついたのだろう。三人の目が同時に合う。


「黒が……ない」


 最初に口を開いたのは陽菜ちゃんだった。そう、この世界には黒がないのだ。どこを見回しても黒色がない。さいわい悠稀君の制服のズボンは紺だったので色はそのまま残っているが、私たちが持っていた通学カバンのバッグの黒は、元々そこに色がなかったかのように透明になっている。


 色の違和感に混乱している私たちの元に、さらに混乱させるような人物(正確に言うと人では無いのだが)達が近づいてきた。

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