第68話 亡者
「いやだね」
あどけない少女の微笑みに目を細める勇者、その煌めきに吸い寄せられ、意気揚々と身を乗り出す。
「いっちゃだめ」
「いっちゃだめ」
「……離せッ」
業を煮やした勇者は一度人垣から距離を取り、大剣を締まった。それからすぐ、両の掌を魔王へとかざす。
直後、勇者の前方に
「消却」
唸りがピークを迎えると、陣の中で束ねられた光の粒子が、筒の軌道に沿って一直線に解放。
一帯に激震走る。光は地表諸共、触れたものを塵へ。
そして、
「見えた」
ものの一瞬、彼の体はとうに跳ねていた。
競り合う眼光。
魔王、依然冷徹に睨み上げ、
上空より見下ろす勇者。決死の覚悟で相対し、
「終わりだ」
するりと鞘から抜かれた大剣が、縦に直線を描いた。抵抗の間もなく、魔王は真っ二つに切り裂かれ、分かれた体はぼとりと地に落ちた。
どさり、と砂袋を落としたような音がした。
これで二人の旅の幕が降りる。
「こんなもの、か」
勇者は呆然と立ち尽くした。かつての仲間が血を流して倒れている。瞳孔は開き、息もない。動かない。
斬った手は震えている。感覚は思い出さないようにした。絶対におかしくなるという自負があった。
だが、眺めたところで現実は変わらない。
「……俺は」
死者の大群が二人を囲った。皆、一様に武器を構えている。
「なぜ、生きている」
そして、なぜ殺しに来ない。いくつもの疑問符が浮かび上がるが、ふと勇者の脳裏にある考えがよぎる。
(もし、これが次の命令を受けるまでの待ち状態なのだとしたら?)
ずるずる、と音がした。
何かを引きずるような音だ。思わず目を見開いた、斬り捨てたはずの死体が立ち上がろうとしている。殺していないのかと己を疑ったが、あの形容し難い感触は嘘ではなかった。そう記憶している。
それなのに分かれた二つの体は、大衆が見守る中、互いに歩み寄ろうとしている。
そして、一つになった。
心臓の鼓動が甦り、すうっと息を吐いた。
閉じた目が開いた。陶器のような肌をしている。血色はお世辞にも良いとはいえない。
魔王はふわりと笑った。
「……外法か」
「お気に召しました? らしい奴で」
「怒りは、ないのか」
勇者の問いに魔王は天を見上げた。神々しく世を照らす空には怪物が渦巻いている。この地獄とは縁遠く煌びやかで、勇者はそれが憎らしかった。
「外法とは誰かの欲を満たす為のものだ。それはどれだけ理屈を清廉に着飾ったとしても、結局は誰かの道具であり、欲や罪の象徴でしかない。俺にはわからない、何故全ての業を身一つで背負おうとする」
「聞く必要あります? 今の俺はアンタの敵ですよ」
勇者は目を逸さなかった。
「ああ、俺は知りたい。君が何故、そうしたのか」
今度は魔王が目を見開いた。
何を理解したのだろうか、もう一度天を見上げると、今度は照れくさそうにわらった。
「親孝行、って言ったら笑います?」
後光が彼女を照らす。あどけない少女の顔をしていた。汚れなんて縁遠く見えた。もし、運命だとか呪いだとか罪だとか、そんなものが取っ払われたなら、彼女はこの表情と変わらない生き方をしていたかもしれない。
魔王は自身の胸に両手を添えると、祈るように目をつむった。
とたん、ベールから真白な灰が地上に降り注がれた。すると、かろうじで息のあった者は活力を取り戻した。
そして、息が無くなった死体たちがひとりでに立ち上がり、灰に代わる。
これだけの人を救っているのに、どうして彼女は許されないのだろう。
何と
「ようやく、俺も世界が嫌いになれた」
もう一度剣を構える勇者の前に、死霊の兵士一行が立ち塞がる。ずらりと横一列に並ぶ姿に無力な市民はいない。共に戦うべく魔王に命を預けた歴戦の勇士達だ。
「まだ続けますか」
「無論だ」
刀身が鈍く光る。もう一度腹を括り、終止符を打とうとしたその時、
「もうやめてください」
「……お、かあさま?」
初老の女性が躍り出た。煤けたドレスとやぶれかぶれのヒールが逆光に照らされ、鮮明になった生傷も相まって痛々しさを醸し出している。
しかし、気丈に両手を広げる姿にはいっそ勇ましさすら感じる。勇者は理解した、この女は自身を盾にしようとしているのだと。
「早くお逃げください。私がここを引き留め―—」
「嫌よ」
「死ぬかもしれないんですよ!?」
「死んでも嫌、絶対に動きません」
毅然と言い放つ。王妃は続ける。
「わたしの命で、どうか矛を収めて戴けませんか」
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