第67話 やさしさ

 差し迫るいくつもの手が重なって、勇者の視界を塗りつぶす。その間、勇者の脳裏には過去の記憶がよぎり始めていた。


『ねえ、勇者はどうして戦うの?』

『魔王を倒すためだ』

『魔王を倒して何かを目指しているの? だって、ほら。魔王がこの世界に何かをしたわけでもないし、いるかもわからないじゃない』

『俺に与えられた使命だ』

『それで貴方の何が変わるの? なぜ、命を懸けることに迷いを感じないの?』


 常識。

 勇者は魔王を倒すための存在。物心ついた時にはそう認識していて、魔王を倒すということに理由を見出したことが無かった。それが間違いだという人間は居た。だが、勇者にとってそれは世の理を否定するのと同等。絶対的な何かを否定したところで、存在は消えやしない。

 だからこそ、かつての仲間に常識を問われた時、何と答えるべきかわからなかった。


「……俺は」


 殺し殺されには慣れている。それに、勇者の力は最大限引き出されているといっても過言ではない以上、彼は今、地上のあらゆる生物を蹂躙じゅうりんできるだけの力を持つ。

 しかし、この期に及んで勇者は迷っていた。

 本当に、この選択が正しいのか。


「君も、こんな気持ちだったのか?」


 答えは返ってこない、迷いは晴れない。これでいいのかという疑念が付き纏い、たじろぐ己の弱さも断ち切れず苛立ちばかりがつのる静寂。

 そうしてすべてが見えなくなれば、自分だけしか残されていないような、真っ暗で寂しい世界が待っている。


「……情けない」


 体を貫かれた時の痛み、踏みつぶされた時の痛み、首をはねられた時の痛み。例を出せばキリが無いが、どれに対しても言えるのは、とにかく不快で、早く終われと願ってしまうような決して心地の良いものではないということ。

 それが、心臓よりもっと奥深くから訴えられるのだ。何度も。


「早く斬れ」


 この手には剣がある。振り払えば闇も消える。己の描いた結末であり、昨日が産んだ最期への道。


「早く斬れ、早く斬れ……、剣を振れ」


 それに抗うように、勇者は今、命に優劣をつけようとしている。これまで失ってきた仲間への報いではなく、他人の明日を選ぼうとしている。


「俺はとんだ愚か者だ」


 それはかつて勇者が人に問うた覚悟だ。もろく、勇者にとって赤子のようなか弱い存在だ。

 捨てたくない大切な存在だ。当然捨てたくなかった。


『勇者、いつかその夢叶えてね』


「斬れエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエ!」


 踏み潰されて散って行った仲間達を前に、そんな贅沢許されるわけがない。乱暴に振り抜いた大剣は闇を切り裂いた。光が露になると、何人もの人たちがそこにいた。

 怯えていた。

 能面みたいに冷たい目をしているのに、生きたいと訴えるようにサラサラとこぼれる涙が、ぽっかりと空いた生傷をえぐるのだ。

 魔王と目が合った。吸い込まれるような深淵が勇者を覗きこむ。手に持った剣がほんの少し揺れた。それでも勇者は決して目をそらそうとしなかった。

 ざわついた心を整えて、魔王だけを見据える。

 そして、ゆっくりと剣を構える。


「そういう生き方しか、できんのだ」


 魔王を取り囲むベールが地上に降り立ち、ひとつひとつ何かを形どる。百鬼夜行を彷彿とさせる、死人の軍隊へと成った。死んでもなお身を挺する彼らの姿勢に勇者は感服した。


「俺は魔王を倒す―—ッ!?」


 殺気がした。

 反射的に後ろへ下がる、勇者の目前で一本の槍が深く突き刺さった。悠長な真似をしていれば脳天から串刺し。だが、そんな反芻の間もなく、背後から斬りかかる兵士の姿が。


「——フンッ!」


 鞭のように体を翻して、勢い任せに剣を振るう。刃が空気を切り裂き、カキィンと弾ける音がした。それからも剣と剣が激しくぶつかり合い、火花散る音が戦場に何度も響き渡る。

 左から槍兵が突撃し、上空からは弓兵が正確な矢を放つ。その隙間を縫うように、剣を構えた兵士たちが間合いを詰めてくる。勇者は寸でのところでかわしながら剣を振るい、かろうじて防戦に努めていたが、攻め入る算段は立てられていない。


「肉を切らせて、骨を断つ」


 ならば、守りを捨てるのみ。身体中のあちこちに刃が突き立てられる。それでも勇者は止まらず、目の前の一人を貫いた。

 消えてくれと願った。それは魔法となり、透明な体を灰に戻して風化させてしまった。

 魔法とは願いを具現化する力。思いが強ければ強いほど、望みを叶える。


「なぜ笑う」


 答えは返ってこない。こんなに寂しい微笑みを勇者は見たことがなかった。


「覚悟を決めろ、生きたいのなら俺を殺せ」


 いらないものは捨てなければならない、それなのに未練が消えてくれない。それを察してるのかは知らない。しかし、魔王はこんな状況だというのに、勇者へとやさしく微笑むのである。


「いやだね」

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