第66話 覚悟
「ここまでは、来れたな」
表情に張り付いた鉄仮面からこぼれたのは安堵の呟きだった。
淡白に見えるが、その
そして、足元にちらばる焼け焦げた塊の数々。凄惨な状況だが勇者の眼中には無い。背後の障壁に開いた風穴もまた同様。
人間ならとうに死んでいる、しかし勇者は死なない。
「ッ、ギッ……グォォォォ」
死ねない。
変な方向に曲がった指先を力づくで元に戻す。
道中、魔物に襲われて銅を喰いちぎられたが、服がやぶけているだけで跡は無い。
呪いが活性化している。魔王の気配に呼応して力が増長しているのだ。本来、致命傷の回復には半日を要する。だが、今は数秒。損傷が追いつかないほどに力が漲っていた。
「魔王がいる。近い」
人が死に、一つの国が滅ぶ。
そんなもの勇者には関係ない。魔王を倒す、それだけの為に何百年も生き続けた。
人生を賭けて追い続けた敵が、目の前にいる。
「ようやく会える」
勇さましくも、独りよがりな者。
それが彼に与えられた蔑称であり、運命である。彼は運命を果たすためにここまでやって来た。
「やっと会える……ッ!」
思い出すのは隣を歩いた少女との旅路。
大人を履き違えた子供だと下に見ていた。だが、彼には無い生き汚なさがあった。死んでやるものかという、本能をも超越した何かが垣間見えていた。
彼にはそれが眩しく見えた。自分はとうに捨ててしまったからなおさらだ。そして、その根本となる何かの正体が露わになったのである。
「……見事だ」
人、化け物問わず、この場のすべてを引き連れた王の凱旋。
真っ白な灰の漂う姿が生み出した巨大なベールは、幽鬼のごとく進む彼女と、その仲間達をいっそ超常的な何かで守っているよう。
その圧倒的光景に見惚れて、ほんの一瞬口が綻んだ。
だが、すぐに無表情を貼り付ける。
武者震いは依然として止まらない。
『チミ、あの子に情でも沸いた?』
『ああ、その通りだ』
『だろうね、アレはそういう子だ。人を見捨てるなんて出来ない。だからこそ、人はアレを放って置けなくなる』
『それで良い』
『後悔するよ?』
『ああ、わかっている』
『ほんっと、気持ち悪いね』
『それで良い……それが、良いんだ』
止まるわけにはいかない。
名刀のような眼光。なまくらでは到達し得ない切れ味を持って、王の凱旋に
「魔王、俺が絶対に倒す」
中腰になり、背中に携えた鞘に手を掛けた。
この震えがどういう意味かなんて、四六時中考えてもわからなかった。考えたくも無いのに、ありもしない答えをずっと探し続けた。
それでも最後の瞬間は必ずやってくる。
その為の旅だったと、嫌になるほど思い出して。
「——俺が、終わらせるッ!!」
威勢と共に地を駆ける。魔王が間近になるほど制限は解放される。
もう命令ありきの木偶ではない。彼は今この瞬間において、自分の意志で自分を扱える、最強の勇者である。
「待テエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエ!」
最後の決戦を前に、
セスは爆速で勇者の喉元へと迫り、
「邪魔だ」
いなされた。
瓦礫の山を、廃墟の壁を、死体の山を突き抜けて、ボロ雑巾のようにはじかれた。手のひら一つで。
わけもわからず殴られた頬をさする。肉がない、ザラザラな上顎の骨が直に触れた。
「俺ガ、俺ガ貴様ヲ殺スンだァ。ヒヒ、俺は最強だ。この程度、痛くも痒くも―—」
見られていない。相手にされていない。
セスは、またひとりだ。それがたまらなく腹立たしく、悔しく思ったのか、
「俺を、無視スルナァアアアアアアアアアアアアアア!」
けたたましく叫んで、さっきの二の舞だ。あっさり弾き飛ばされた。
そうして、みじめたらしく地に伏せるセスは見てしまった。
男はどこまでもまっすぐ見ている。
「……なぜだ」
瞳の中には魔王しかいない。
「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!」
勇者の雄たけびと共に、鞘から大剣が抜かれた。
そのまま魔王に切りかかる。なのに、うつろな目で何もしない。
そのおぞましさに、一瞬だけ身がすくむ。そのわずかな隙に誰かが勇者の剣を掴んだ。
「ころしちゃ、だめ」
「しにたくない」
凍り付いたような蒼白さで命乞いをする市民。か細い声は簡単に消えてしまいそうだが、その勢いは波の如し。後に続いた他の市民が次々と勇者の元へと押し寄せて、引き留めようと手をのばす。
「これが、これが魔王かッ!」
力を持たざる者たちが、一声で戦士へと変わる。
見定めた敵の持つ、気の遠くなるほど壮大な圧に触れた瞬間だった。
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