第65話 道
「ステラさま ……?」
「ど、どこいくの?」
子供たちのとまどいには目もくれず、ふわりと立ち上がる王女。淀んだ目はそのままに、ふらついた足でゆっくりと歩き始めた。
「何をしているんだ、あいつは?」
奇行とも呼べる所業に、もう一度セスは顔をしかめた。この場の誰一人として彼女の意図がわからない。全員がただ、見守るしかできなかった。
そんな彼女の前にまた一つ、消えかけの命が現れる。
「助けてください! 誰か、主人が。主人がぁ!!」
血を流して倒れている青年と、助けを求めて必死で声を張り上げる女性の姿だった。王女は二人のもとへ近づき、男の頬に触れた。
「ステラ、さま……?」
女性の困惑に王女は答えない。しかし、瀕死だったはずの青年はみるみる生気を取り戻し、その場から立ち上がった。
「あれ、俺……」
「あなた! 立ったら傷が……え?」
「痛みがないんだ。傷も、消えてる―—ほら」
「あなた……っ、よかった。よかった……!!」
「ス、ステラ様。ありがとうございます。ありがとうございますっ!」
頭を下げる二人には目もくれず、またふらふらと歩き始める。
「貴様、まさか……」
セスの苛立ちに反して、王女は振り向くそぶりも見せない。
それから重症者を見つけては頬に触り、傷だらけの体を完治させていった。
「くだらない。そんなことをして、罪悪感から逃げるつもりか?」
「……」
「この期に及んで、今さら人を救ったところで、貴様のやってきた過去は消えるわけがないだろう」
「……」
「おい」
「……」
「返事をしろ。さもなくば、考えうる限りの苦痛で貴様を殺す」
王女は何も答えない。ただただ街をさまよって、重症者を見つける度に怪我を治すことを繰り返した。
「いいだろう、望み通り叶えてやる」
見かねたセスは片手を空高く掲げると、セスを中心に巨大な衝撃波が解き放たれた。直後、辺りの残骸がぼろぼろと崩れ、わらわらと足音が近づいてきた。
現れたのは、鎧の破片が不自然にぶらさがった巨人に、鳥の翼みたく変形した腕を羽ばたかせた飛行生物。巨人の方は頭が潰れて、飛行生物はアンバランスに腕だけ発達している。共通点は、鎧の一部が体にめり込んでいるということ。
「貴様の守りたかったモノの成れの果てだ。そいつらに喰い殺されれば、自分の生を悔いることもできるだろう」
すぐに王女は囲まれた。大きな図体に道を塞がれて、王女は立ち止まる以外出来ないのか、かつての仲間をまじまじと見つめている。
そして、おぼつかない足取りで化け物の一体へと近づいた。
「ひ、ひめさまァ。はやく、おにげ……」
「だれもたべたくない」
「ばけものは、いやだ」
「はやくにげて。たべたくない、おなかすいた。たべたくない、おなかすいた。たべた――」
化け物たちの動きが止まった。
否、王女が止めた。怖がる素振りも見せず、目と鼻の先まで近づいて、やさしく化け物の顔に触れた。
「ありがとう、ございます」
憑き物が取れたように穏やかな表情を見せると、化け物の体は粉々に砕け始めて、最後には灰になって風に流されてしまった。
「ひめさま……」
「ごめんなさい―—」
ひとり、またひとりと化け物は王女様へと歩み寄る。そのひとりひとりを慈しむように、王女はそっと灰に変えていった。
「結局は自分の手を血に染めるかァ! ははは、奴らも貴様の同胞だったろうに。それをこの手で殺して、善人気取りかなァ!?」
わかりやすい煽り文句だ。
彼女は答えない。
「ふざけるな」
セスは顔をしかめた。それでも、手にかけることはしない。否、許されていない。彼に与えられた使命は王女に罪を償わせること、殺すことではない。そういう命令が下されていた、最初からセスは王女を殺せない。
己だけのために力を手に入れたのに、いうことを聞くだけの傀儡に成り下がっていたことを、彼は知らなかった。
「ころしてやりたい! ころしてやりたい! まわりくどいことなんて必要ないのに! なのに、どうして俺は! 剣を握れ! やつを殺せ! さぁ、早くッ!!」
身勝手な八つ当たりに耳を傾ける者はいなかった。セスが引き連れた百鬼夜行の連中でさえ、違う何かを見つめていた。彼を見ている者はひとりもいない。
「俺を無視するなッ!」
怒りに身を任せて剣を振るう。いとも簡単に亡霊たちは切り刻まれた。しかし、消えかけた炎に火をくべるように、傷を癒すどころか、活力を増している。
「いったい、何を見て―—」
セスは愕然とした。
「ステラ様だ!」
「ついていこう!!」
「お、おれも」
「わたしも!!」
「おいていかないでよ!」
多くの人が死に、悲しみに満ちたこの世界で、彼らは笑っていた。
王女の後ろに、ひとり、またひとりと続く。
それだけじゃない。
「……ありえない」
セスが手にかけた、魔物のなれ果てまでもが彼女の行列に続いていた。空からも、陸からも次々と散らばった生命が集約し、王女の往く道をなぞるように、ひとり、またひとりと後ろに続く。
そんな姿を、憎らしげに睨みつける百鬼夜行。
「意味がわからない。なんなんだ、なんなんだこれは……」
いつしか、行列は人垣とも呼べるほどの巨大な流れをつくり、その上から、消え去ったはずの灰が半透明のベールとなって、やさしく覆い被さった。
そんな後ろ姿に、百鬼夜行は口々につぶやく。
『わたし達のような死の奴隷も、彼女は許そうとしているのです』
『全て背負うつもりなのです』
『それでも、わたしたちはあそこにはいけない』
『ずっと、呪いが解かれるまで』
『うらやましい、ああうらやましい』
『ころしてやりたい、ころしてやりたい』
『力が欲しかっただけなのに』
『自由が欲しかっただけなのに』
「黙れ、黙れェェェェェェェェェェェェェェェ!!」
ありとあらゆるものが一つの線に連なる。全ては、彼女の歩いた軌跡の元に集う。
「それが、君の本当の姿だったんだな」
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