第64話 いきて


◇ ◇ ◇


 忙しかったけど、それなりに楽しかった。

 俺は人がどういうものかを知らなかった。というより、ずっと目を背けてきた。笑っている人間の顔を見ると虚しくなるからだ。


『すてらさまー!』

『ステラ様!』

『姫様!』


 人に囲まれた生活は、新しい発見の連続だった。

 仕事に精を出す労働者、家族との団らんを楽しむ夫婦、余生を穏やかに暮らす老人、野原を駆ける子供達。

 一緒に話をして、花を摘んで冠作ったりさ。きれいだねー、なんて言っては、お互いに作ったやつでかぶせあったりして。親の仕事で汗を流しながら、仕事大変ですねとか言い合って、たまに晩飯ご馳走してもらったこともあった。お前は姫だろって話だけどな。

 始めは喋るのもおっくうで、いずれ王になるための経験値稼ぎとかカッコつけたせいで、誰かと過ごすのにはとりわけ勇気が必要だった。世間話なんて慣れてないからさ、言葉がつっかえたりして、おかしい奴って思われてないか気が気じゃなかった。

 こういう生活とは縁遠い人生だったから、怖かったんだ。ひょっとしたらこれが全部甘い夢で、何かを失敗したら全部嘘になって消えてしまうんじゃないかって。


 だから、迎え入れてくれた皆には心の底から感謝した。ハリボテの王女だけど、やれる限りこの国をより良くしようと心に決めたんだ。


 いつかの会話を思い出す。


『わたし達は、この国で始めて幸せを手に入れました』

『どういうことです?』

『元々我々は迫害された民でした。その場しのぎの生活を強いられ、常に街のはずれに逃げ込んで。追い出されては転々と居場所を変える。そんな生活が当たり前でした』

『……心中痛み入ります』

『でも、二人はそれを変えてくれた。私達に新たな居場所を作ってくれた。そうなったきっかけが、ステラ様なのです』


 過去に何があったかはわからない。

 それでも、この国の人たちはやさしさに溢れている。道すがら声をかければ必ず挨拶を返してくれるし、手を振れば振り返す。時には自分から話を振って世間話の輪に入れてくれる。

 非同盟国みたいな多くの人が行きかう大国と違って、特別文化が発展してるわけでもない。人であふれているわけでもない。それ故なんだろうか、俺みたいな奴をその他大勢の一人と除け者扱いしなかった。


 それなのに。


「死にたくない! 死にたくないよお!!」

「ああ、神様。どうか我らにご慈悲を」


 何でこの人たちが死ぬんだ?


『そうだよ。全部お前のせいだ』


 違う、必死に止めようとした。

 ——止めようとした? 一体いつだ。俺は、大人の言うことをずっと聞いていただけだ。俺がこの争いを止める為に何をした。


『お前が、殺したんだ。アイツを選んだ時点で、運命はそう決まっていた』


 じゃあいったい何が正しいんだ。


『何もしなければよかった。おとなしく死んだように生きていればよかった』


 それじゃあ、社会は許してくれなかった。

 じゃあ、どうすればよかったんだ。

 何もわからない。何も思いつかない。

 何かをしたいんじゃない。

 何も変わってほしくない。

 何も起きてほしくない。

 それだけなのに。


『お前なんて生まれてこなければよかった』


 本当の父親は俺のことが嫌いだった。

 本当の母親は俺を置いていなくなった。

 それなのに、偽物の俺を父親は迎え入れた。

 偽物の俺を母親は迎え入れた。

 そんな素晴らしいこの国が消える。

 じゃあ、そのために俺は何を?

 何を。


「ああ」


 そうか。

 ようやくわかった。

 最初から答えなんてなかった。

 答えは常に自分にあった。

 ずっと道を作り続ける人生、それが俺にできるつぐないであり、呪い。

 誰に裁かれようと、この魂に刻まれた忌まわしい何かがいなくなるまで、永遠と続く呪い。


『向き合えるの? ずっと地獄だよ?』


 いいよ、それで。

 覚悟なんてしなくても、逃げることはできないから。


『本当に気持ち悪いね』


 仕方ないだろ。

 でも、それでいいんだ。


◇ ◇ ◇


「みんな、みんな燃えちまった」


 呆然としてつぶやく王女の瞳から、たらりと雫がこぼれ落ちた。

 それは、時が経つたびに決壊したようにあふれ出し、積み重ねた思い出とともに流れ出ていった。人の声が消えていく……そんな現実を悔いるように、化け物になってしまった師にかけよって、後悔の念を訴え続けた。


「全部、おれのせいだ」

「そうだ、貴様のせいだ」

「最初からひとりになるべきだった」

「そうだ、全部。全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部、ぜーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーんぶ、貴様のせいだ!!」


 ぐしゃり、という音がした。

 今度は気のせいではなかった。顔に液体が飛び散る、緑色のねばねばした奴だ。倒れる音がして、何かと思えば師が息を引き取った瞬間だった。


「わかったよ」


 へたくそなおもちゃみたく、王女はフラフラと立ち上がる。

 涙と鼻水と泥と血が混ざり合って、綺麗な顔はもうぐちゃぐちゃだった。虚ろな目には何も映っていない、どこまでも霞がかった瞳をしていた。


「お前の罪は何だ?」

「はあ?」

「人を殺したじゃないか。お前の罪は何だ?」

「罪ィ? 貴様と一緒にするな、これは粛清だ」


 さも当然と言いたげに、セスはふんぞり返った。その傍若無人ぶりを、王女はぼうっと見つめる。


「そんなもんだよな」

「は?」

「大人ってみんな、そんなもんだ」


 ゴミ溜めを詰め込んで澱みきった目をしていた。自分でこうしておきながら、その歪にねじ曲がった女がセスは気に入らない。そして、王女の顔面を思い切り殴り付けた。


「その気持ち悪い目を向けるのはやめろッ!」


 王女の細い体は捨てられた石のように路上へと転がった。それでも、もう一度王女はゆっくりと立ち上がる。

 腫れ上がった二つの闇はじっ、と狂人を見据えた。声のなり損なった小さな唸りが口から漏れ出ている。


「こっちを―—」


 その小さな歪みに、彼女はいない。

 

「見るなァーーーーーーーーーーーーーーーーー!!」


 絶叫をぶちまけて、剣を横なぎに振りぬいた狂人。

 しかし、その姿が目に入った時、振り抜いた手が宙で止まった。

  

「何を、している?」


 雨が落ちるように透明な血が彼女の頬を伝う。満身創痍、喋ることすらままならない。それでも、いつ殺されてもおかしくない状況下で、王女はふらついた足を動かしていた。

 行き着く先は、残骸の影に身を隠す子供たちだった。

 息はしている、意識もある。だが、壊れた街に絶望して、身内かどうかも区別がついてないのだろう。何もかもを遠ざけるように、殺さないでくれと喚き散らした。

 端的に言えば、全てが敵に見えているようだった。

 それでも、王女は近づくことを止めない。


「だ、だれか! た、た、たすけ……やだ、やだぁ」


 もう目と鼻の先までやって来た。何かを語る様子はない。じっと、こわばった小さな顔を見据えていた。どうにもならないことを悟ったのか、子供たちは目を瞑って、最後の時を待つ。


「え」


 そっと、ひとりひとりの頬に触れた。

 王女は、やさしく微笑んだ。

 虚ろな目をしている。

 言葉は、なかった。

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