第63話 きっと、始まり

「ハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!」


 黄金色の斜光が森へ差し込む中、猛禽類もうきんるい威嚇いかくみたく、盛大な高笑いがこだまする。

 先人達の積み上げた歴史が終わる。

 そんな森の悲鳴に駆けつけたのか、魔物たちが群れを引き連れて奇人につっこむが、野菜でも切るようにざく切りにされてしまった。健気にも住処を守ろうとしたのだろう、風貌は草食動物。人を襲うようにはとても見えなかった。

 奇人は、全部切り捨てた。


「楽しい、楽しいねぇェェ、殺しというのはァァァァァァァァァァァァァァ!!」

「……やめてくれ」

「やだ!」


 険しい山道を下り、平坦な道に差し掛かると、いよいよ夕陽が湖の水面に落ち、黄金色の空に少しだけ陰りが生まれる。いびつな夜が空を満たした。


 それだけではない。

 護衛を買って出た男、セスこそが奇人であり、百近くもの死霊を連れて国潰しに現れた化け物。それだけには留まらず、魔物の大群すら飼い慣らす暴君でもある。

 そんな奴に好き勝手させてる自分を、王女は呪った。


「ハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!」


 歓喜で満たされたのか、恍惚こうこつとした表情で両手を空高く広げた。先人達の作り上げた自然が蹂躙じゅうりんされ、土くれへと枯れ果てる中、わが物顔で踏み荒らす百鬼夜行。

 血の気が引いた顔色をした王女は、震えた拳を固く握りしめた。


(落ち着け、頼むから冷静になれ。まだ、奇襲から時間は経っていない。せっかく周りが頑張ってるのに、俺が折れてどうする。少しでも多く人を引き連れて、王を助けなければ)


 生きていれば可能性はつながる、国王はそれを自分に託したのだ。それならば、今度は自分の番だと言い聞かせて、心だけは気丈にふるまった。

 だからこそ、そんな余裕のなさが、隣で嫌らしく笑うセスを見失わせた。

 地獄の底に引きずり落としこむ謀略に、王女はずるずると落ちていく。王女だけはそれを知らず、ぶら下げられた小さな希望を追って、深い沼にはまっていく。


 そして、運命の時が来た。

 弾頭台まで祭り上げられたその時、王女の瞳には、変わり果てた現実が焼き付けられた。


「……そんな」

「約束は守ったぞ」


 路面はがされて、家屋は食い荒らされたように穴だらけになっていた。かつて街を担っていた残骸も、地べたで空しく転がっている。人もしかり。

 守るべき街は、とうに壊れていた。

 散っていった希望をわらうように、空はどこまでも眩しく輝いていた。


(守った? 冗談じゃない、敵なんて誰一人出てきやしなかった。それどころか、国が育ててきた自然を無作為に奪っていっただけだ)


「……ここまで。ここまでする必要はなかっただろう」

「何を勘違いしている?」

「は?」

、何もしていない」


 ボォー、とみぞおちを押し込むような鈍い残響。異常事態用の警報音だ。ビリビリと肌を穿つ獣のような咆哮だが、張り上げたところで意味を成していない。

 そんな死に際の街を照らす黄金色の上空では、無数の白いシルエットがちぢれた軌道で旋回している。翼だけ不自然に肥大して、体は点のように小さい。


「これは、じごくか?」

「何を言ってるんだ、故郷だろう。愛着はないだろうけどね」

「そんな、そんなわけ……」

「あるだろう? たかだか半年弱で、全てを捨ててきた貴様がどう愛着をわけるというんだ」


 そんなわけがない。そうやって取り繕おうとしている。

 綺麗な言葉ではごまかせないもの。最後まで寄りかかれなかった彼女自身だった。


 ふと、群れからあぶれた二つが重なった。

 すると、互いを潰しあうように交錯して、奇声と共に地上へと堕ちていった。生き残った片方は地上へ降り立ち、逃げ惑う人達に突っ込んで、何かを掴み上げた。


「やだ、やだああああっ」


 年端も行かない子供だった。小さな体で暴れるが、拘束からは抜け出せそうにない。

 その時、光にあぶられた化け物の影がぬっと広がった。暴れる人影も一緒に大きくなった。

 何をしているかが、わかりやすく映し出された。

 化け物の影が小さな人影を飲み込むと、うるさかったはずの音がぱたりと止んだ。それからしばらくして、街をうろついて道端の餌みたく人々を拾い上げては、叫び声と一緒に食べていった。

 街をうろつく怪物達によって、人の声がひとつひとつ、ていねいに摘み取られていく。

 道端に流れる血は誰のものか。それを判別するには、転がる死体の欠損が酷すぎて見当もつかない。


「……止めてくれよ」


 かすれた声が死にゆく街に溶け込んでも。それでも、これで終わりじゃない。


「……やめろよ」


 顔面と胴体だけ肥大して、地に這いつくばる化け物がいた。短い手足をバタバタと空振りさせて、芋虫みたくうごめいている。いち早く駆除しなければいけない。しかし、王女にはそれが化け物だと認められなかった。

 酷すぎる仕打ちに、いよいよ王女はその場に崩れ落ちた。


「あ、あ……」


 うっ血した化け物の肌から、緑色の液体がこぼれ出ている。人とはとても思えない。

 それなのに、その化け物はあまりに


「管理人さん……?」

「ひ、ひめ、しゃま? どこ? どこにいるの……」


 ぶちり。

 きっとこれは空耳である。心がこわれたところで、人はそんなもの知りようがない。だから、本人しか知らない空耳。


「これが、これがおれの罪だというのか?」


 数多くの嘆き悲しみが残響に紛れて、不協和音となる。

 王女にはそれが化け物の声か、生き残った人たちの叫びなのか、わからなかった。


「そうだ、貴様が罪から逃げたからだ」

「おれだけ殺せば良かった! こんな風にするなら、最初から死ぬことを選んでたさッ。この人達には、何の罪もないじゃないか……」


 神の前でひざまずき、子供みたいに泣く姿は、懺悔を求めるひとりの少女でしかない。

 しかし、彼女は罪人である。神を名乗る者からすれば、飛び出た杭でしかない。


「その通りだ。わかってるじゃないか」


 神という大層な名を与えられた他人に、少女の悲しみが届くことはなかった。

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