第62話 遁走

 王と白き影の戦闘が始まる最中さなか、せりあがる恐怖と戦いながら、ひとり山道を下る王女の姿があった。

 夕暮れで悪くなった視界のせいで、視察の為にと用意したドレスは枝葉に絡まってやぶけてしまった。ヒールも不安定な足場のせいで折れてしまい、靴擦れでうっすらと血が滲んで見える。

 それでも、もつれそうな足に鞭を打って走り続ける。王女は知っていた、アレは決してことを。


「間に合え、間に合え、間に合え……」


 うわ言のように呟く様は、幻聴にさいなまれたような不安定さが垣間見える。だが、これはむしろ経験則ゆえの選択。こうして一つの単語を口ずさむことで、余計な思考が介入するのを防ぐためだ。

 知らない世界に飛ばされたうえ、野宿ともなれば異常事態とは常に隣り合わせ。疲労も爆発的に溜まる一方。


(点は一つ。でも、道を作れば必ず重なる)


 俯いている暇はない。皆と合流し、助けを呼ぶ。誰かが犠牲になんてならないように。その願いを灯火に、ほの暗い獣道を全力で下り続ける。


「……?」


 ところで。

 集中とは、細分化された思考を一つにまとめ、感覚を束ねる行為である。それは言い返せば、周囲へと警戒も自ずと解けるということ。

 夜の闇が突然晴れた。頭上から黄金色の輝きが降り注ぎ―—


(これは、雷留の円陣……)


 ――ドォオオオオオオオオオオオオオオオオン。


 耳が潰れるような地鳴りがしたかと思えば、石が砕けるような鈍い音と共に、あれよあれよと森の倒壊が始まった。

 思わず立ち尽くす王女だが、状況は待ってくれない。死にゆく森の残滓ざんしか、白く舞い上がる土埃が一帯を覆い尽くした。巻き込まれないよう木陰に身を隠すが、


「聞こえる」


 雑音に紛れた、耳をすませば分かる、小さな異音。


「これは、……足音?」


 秒刻みで音は輪郭を作り、次第に足音と認識できる鮮明さを持ち始めた。それらが目と鼻の先まで来て、覆っていた腕を下ろすと、見てしまった自分を後悔したくなる光景が広がっていた。

 そこら中を切り株が埋め尽くし、その上に立っていたはずの幹が、死んだように倒れ伏せていた。

 何十名という人間が佇んでいる。真っ白な装束を纏い、表情を無くした人の顔を被ったような集団。


「こんなところに居たか、罪人。フハ」


 その中に、切り株に腰掛ける青年の姿があった。吊り上げた口角から舌を垂らして、表情豊かに王女を嘲笑う様は、背を向けた仲間を食い散らかした末路のよう。


「……セス」

「気安く呼ぶな、罪人」


 直後、王女の背後に回り、手刀を王女の首元へと向けた。たらり、と血が滴る。両方、動揺の色は無い。


「味方に丸投げして、自分は悠々と逃げ仰せるか」

「俺には俺の役割がある」

「堕ちたな、クズめ」

「なんとでも言え、お前もさして変わらんだろう」


 抑揚を捨てた声とさげすむ視線が交錯する。しばらくの膠着こうちゃくが続くと、セスはそっと首から手を引いた。目を見開く王女に、セスはわざとらしく耳元でそっと囁く。


「勇者はどこだ」


 セスは非情な男だ、こちらに役目が無いと判断すれば簡単に殺しに来る。だが、嘘を付けば何をされるかわかったもんじゃない。王女はそう理解していた。


「さあね、どこかで元気にやってるんじゃないか」

「……隠したところで無駄なんだがな、その体に聞いても良いんだぞ」

「趣味が悪いね。俺がどういう奴か知ってる癖に」

「なぶり殺しにする、と言う意味なんだがな。クク、フハハハハハハハハハハハハハハハハハ」

「楽しそうで何よりだ」

「ああ、最高に楽しいねェ。ここまでの道化は見たことがない。……それに、最高に良いコトを思いついた」


 満面の笑みが、嫌らしく王女を見据えた。


「見逃してやるよ」

「……それはありがたい」

「なに、礼はいらないさ。その方がこちらの目的を果たしやすいからな」


(絶対に罠だ。しかし、目的がわからない。コイツら俺を見逃すメリットがわからない)


 しかし、思考を巡らせたところで、王女に選択の余地は無かった。

 カサカサと何かが擦れる音と共に、王女の前に現れたのは、節足動物を彷彿とさせる魔物の集団。カマキリの頭をムカデにくっ付けたような姿で、脈打つように体を唸らせているが、王女を見下ろす複眼は微動だにしない。

 ヴェーミール王国には生息しない魔物達。何より野生にしては統率された動き。


「……本当に、趣味悪いな」

「仕込みと言ってくれよ、準備も労力なんだ。さあ、どうする?」


 選択肢のない問いに、王女は苦虫を噛み潰したように答えた。


「わかった、お前達についていく。だが、頼みがある」

「聞くだけ聞いてやろう」

「国民には手を出さないで欲しい。彼らは無実だ」


 王女の願いを聞くと、セスはキョトンとした。そして、一拍を置くと、再び狂ったように笑った。


「面白い。乗った」

「そうしてもらえて助かる」

「礼を言われるいわれはないさ」

「そうかよ」


 セスは、わかっていた。

 少年は、自分のことを何一つわかっていなかった。


「おめでたいようで、何よりだ」


 そう口にした言葉の割には、睨みつける眼光は冷ややかなものだった。

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