第69話 後悔

 王妃の覚悟に圧倒されて、王女はつい固まってしまったが、勇者は違った。彼が口にしたのは冷や水でもぶっかけるような冷たい言葉だった。


「茶番に付き合うつもりはない。去れ」

「欲しいものがあればいくらでも差し上げます。地位ですか、名誉ですか。金なら復興次第で―—」

「魔王を斬る、それが俺の使命だ。そして、そこの少女は俺の倒すべき魔王だ」

「しかし!!」


 淡々と告げられた内容に、どこか落ち着かない様子で食い下がる王妃。それを糾弾するように苛立ちを含ませて、


「外法に手を出した結果、自分の国が滅びようとしているのに、おとぎ話だと切り捨てられるか? 貴様は外法がどういうものかを知っているのだろう?」


 王妃の表情が曇る。

 魔法とは使用者の願いを具現化する“方法”だ。具現化に必要な精神エネルギーを使用することで願いと同等の事象を発生させる。

 この時、詠唱や術式の記述は、願いの具現化を補助する役割を持つ。そして、この具現化に必要な精神エネルギーの保有量が、この世界におけるすべての生物の頂点に達したとき、対象者は魔王と成る。

 勇者にはわかっていた。外法というものは魔法が何たるかを理解し、相応のコストと具体性を示す過程によって成り立つ。そのコストは膨大で、人ひとりでは賄えない。だが、それに見合うだけの命と、蘇らせたい誰か―—つまり、損傷が軽微な死体を用意できれば実現できてしまうことを。


「死んだ者を蘇らせる、その為に多くの命を奪ったな? 貴様は神の怒りに触れたのだ」

「……お母様、それは本当なのですか?」

「ステラ……」


 王女の問いに、王妃は顔を上げる。気丈にふるまうどころか、震えた声で戸惑うそぶりを見せて以降、黙りこくってしまった。

 しかし、この場において王妃を逃がしてくれるものはいない。この死にかけた街は罪人を裁く断頭台である。王妃もまた例外ではない。


 自分の行いをようやく理解したのか、王妃は力が抜けたようにへたり込んだ。やつれ切った母親を介抱するべく、王女は王妃の元へと駆け寄るが、


「どうして。どうしてそんなことを」

「わたしは―—」

「それ以上語るな、悲劇のわだちはこれで絶つ」


 勇者が剣を振り上げようとしたとき、王妃は地に頭をすりつけた。


「どうか、どうかお願いします! ステラだけは、ステラだけは見逃してください! どうか!」


 決死の覚悟に勇者は取り合わない。それが怖くなった王妃は勇者を止めようと彼の足をつかんだ。しかし、簡単に振り払われてしまった。


「俺に多くを語る資格はない。だが、思うところはある。貴様にもその資格があるのか、とな」

「そんなものありません。しかし、お願いします。どうか」

「ならば、まとめて斬るまで」

「親は何も関係ないだろうが!? 俺だけにしろ!」


 お互いの罪を知ったというのに離れようとしない。それどころか互いが互いを守ろうとしている。その姿が勇者には歯がゆくて仕方がなかった。

 

「己の娘が斬られるのを黙ってみてただけの愚図をまだ親と見るか? シア、一体いつまで夢を見ているんだ。君は魔王で、俺は勇者を騙るクズで、母親を語るこの人間は、私利私欲で死んだ娘を魔王に変えたクズだ!」


 どうしようもない現実がそれぞれの頬を打ち抜いた。

 どれだけ綺麗事を並べたところで業は消えない。冷たい夜風が、ぬるま湯に浸かった夢など見させはしない。

 必死に積み上げた外面は全て剥がれ落ちた。取り繕うほどの気力はない、王女としても、少女としても。


「……それでも、俺を子供と言ってくれた人たちなんだよ」


 言葉にしたのは、どうしようもないほど飾り気のない泣き言だった。そんな彼女を王妃は慈しむようにそっと抱きしめる。


「悪いのはすべてわたし達です。ステラは最初からなんにも悪くない。もっと早くにこうしていれば、こんなことにはならなかったのに」

「もういいよ。なんでもいいよ。早く逃げてくれよ。死んでほしくないんだよ……おれ、いっぱい悪いことした。人も殺した。だから死んで当然なんだよ、俺は」


 血でも吐くような告白。

 王妃はふと目を見開いた。そして、全てを噛み締めるように顔を引き締めて、思いの丈を口にした。


「どうしてこんなに可愛らしいのに、愛らしいのに。なんでもっと早く目をかけなかったんだろう、仕事なんてほうりだしてあなたとの時間を作らなかったんだろう。そんな後悔ばかりがよぎってね。何をいまさらって何度も思ったんだけど、あなたの体が冷たくなったとき、ぞっとしたわ。もう二度と話せない、二度と傍に立てない。あなたの幸せを願えない……これまで積み上げてきた全部が、色褪せて錆のように崩れていく。そこまでしてやっと、大切なものに気付けた」


 王妃は続ける。


「でもね、あなたが斬られるのを止められなかった。こわかったの、本当は恨まれているんじゃないかって、嫌われてるんじゃないかって。この後に及んで自分の保身を考えたの」

「それで良かったんだ。俺みたいなやつは路肩に捨てるくらいで十分なんだよ……っ!」

「出来るわけないわ。もう親だなんて名乗る資格はとうに失っているのに、もう二度とあなたの前に現れない方がいい。そう思っているのに」


 王妃はやさしく笑って、


「どうしようもなく、愛しているのよ。一秒でも長く、あなたといたい」


 ひとつひとつの言葉が愛を示しているのに、本当の想いを伝えようとしているのに、全てが嘘くさく聞こえてしまうのは、きっとすべてが遅すぎたから。

 もっと早く人を思う心があったなら、もっと早く伝える勇気があったなら、そんな後悔が勇者には手に取るようにわかった。

 彼も同じだ。紆余曲折あれど王女とは隣に立ち、背を預けあって来た間柄だ。しかし、勇者はもう王女に何かを伝えることは叶わない。牙を向き、剣を振るったその時から、その権利は捨ててしまった。


「なんでだよ、大人だろ。きりすてろよ。俺なんてどうでもいいだろ。なんで……」

「無理よ。わたしたちは、あなたのことを愛してるもの」


 勇者の手から剣が転げ落ちると、カラン、と虚しい音が辺りに響いた。もう一度手に取らなければ、そう思って落ちた剣を拾おうとする。だが、掴むことは叶わない。

 これは甘えだ。そう律して何度も拾い上げようとした。だが、剣はするりと手から抜け落ちる。


 使命より大事なものが生まれてしまった。

 そんな己を悟り、勇者は力無く呟いた。


「むりだ、これ以上きれない」


 勇ましくも独りよがりな者。彼の横には誰もいない。

 かつての仲間は皆いなくなってしまった。そういう選択を自分自身で選んできた、なので後悔は無い。そう思って生きて来たのに。


「何もかもが遅かった」


 力無く吐き捨てられた後悔は、小さな独り言として風と共に散っていった。呆然と立ち尽くす青年は抜け殻のようだった。



 狙っていたように白き人影が勇者の背後に現れる。

 王女に見せつけるように手刀を作り、勇者をそのまま

 

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