第52話 はじめての帰国
陸橋に敷かれた砂利の上を、一列に並ぶ五台の馬車が踏み鳴らし、カタカタと小気味良い音を立てて直進する。
一週間前に水の国を経ち、数百キロはゆうにあろう道のりを駆け抜けた精鋭達。起伏の激しい獣道を抜け、雨風に晒され、我が物顔で自然を彷徨う魔物達の包囲網も切り抜けて来た。
海を越え、山を越え、国を越え、話を掘り下げる度に気が削がれるような苦難を乗り越えて半年。ただ、目的である姫の救出を成し遂げる為だけの半年。
それももう幕切れ間近。
ここは彼らの故郷への入口。その一同を代表するように、同席する世話役のロレンタさんや護衛のマルクトさんは、憑き物が取れたような清々しい表情を浮かべていた。
「姫様、長旅お疲れ様でした」
「……ご迷惑を、申し訳ございません」
「謝る必要は皆無。何が何でも生きる、それがステラ様の使命。その為の我々、その為の王なのです」
マルクトさんが力強く宣言した。納得こそ出来ないが、こうやって謝るたびにいつも同じように諭される。それはロレンタさんや他の従者も同じだった。
下地がフカフカな馬車の中で体を丸くしていただけだ。それなのに誰も俺を糾弾しない。それが王としてあるべき姿なのだと、道中、身を挺して示され続けて来た。
俺の生きた十七年と半年とは真逆で、あまりに心が痛くなる生活だった。
「もうすぐつきますよ」
「いよいよ、ですね」
「……母さん、元気してるかな」
従者のひとりが、ぽつりと呟いた。
より武に長けた従者はしんがりを、知略のある従者は旅路を示し、給仕の得意な従者には姫の世話を……本当に全員がそれぞれに出来る仕事をした。
結果、姫である俺は傷一つ付くことなく、非同盟国から放たれる気候変動をも乗り越え、遂にこの国境へと辿り着いたわけだ。そう言いたくなる気持ちもわかる。
「帰ったら、私はどうなるんでしょう?」
「大目玉かもしれないですね。皆心配しているので。しかし、全員が祝福するでしょう。皆姫様が大好きですから」
「……そうですか」
陸橋の下を覆う湖はアホみたいに澄んでいて、小さく波打つ水面は激動の日々をやさしく水に流してくれる。……それに杞憂している。奇襲が当たり前の旅路が染み付いているせいで、未だこの環境に順応出来ないでいる。
「姫様、見えて来ましたよ」
「……あれが」
自然と人々の生活が調和した街並み。
俺の知らない故郷。
ステラが生まれ育った場所。
きっとこの場にいる誰もが待ち望んだ感動的な瞬間。余韻に浸り、中には涙を目尻に浮かべる人達がその証明。
「……綺麗ですね」
「久しぶりの故郷、我々は帰って来たのです」
その中に、俺はいない。
一際空高く
ネットに転がる写真しか見てこなかった俺からすれば、城の頂上から掛けられた群青の垂れ幕も相まって、その壮大さに圧倒される。写真なんて比にならない、文化遺産と言われても余裕で鵜呑みにする。
「……きっと、全部夢だったんだ」
「え?」
「なんでもないです」
「呆けていては困りますよ。城に帰れば姫様のお仕事はてんこ盛りですので。このロレンタの手腕、存分に奮わせて頂きます」
「はは、手厳しい」
生まれ故郷は煌びやかとは縁遠い街の外れ。車が多少出入りするだけで、若い奴らは殆ど都会に行ったきり。通ってた高校も隣町だったな。その影響もあって新しさとは疎遠で、何世代前の型落ち家具とかも平気で使ってた。ボロ屋を自分で手直ししたりもして。
だからこそ、こんな綺麗な光景が信じられない。
そんな葛藤など他の誰かが知るわけもなく、俺を乗せた馬車はゆったりとした足取りで、ついに陸橋を超えた。それから次々と現れる関所を顔パスで通り、祝福と共に門戸が開かれる。
ふと、馬車が止まった。
「……やっと、帰って来た」
従者のひとりがぽつりと呟いた。
そこに広がっていた日常は、テレビドラマでしか知らなかった穏やかな街並み。殺伐ともせず、神秘的な何かも持たず、とにかく平穏を映像化したような生活の数々。
ただ、そこに暮らす人たちが談笑して、共に仕事をして、余生を送って、みんな輪の中に居る。
自分らしい生活を体現してるような、そんな街だった。
「ステラ様!!」
「えっ……」
「ずっと皆待ってたんですよ、ステラ様の帰りを」
馬車から顔を覗かせた俺を見つけると、街の住人達はぞろぞろと近付いて、次々に労いや賛美の言葉を言い始めた。
「我々民はステラ様の帰りをずっと信じてました!」
「ステラ様ぁ……良かった、生きてて! 不在と知った時は肝が冷えましたよ!」
「ステラ様! 先の短い老いぼれに多大なる幸運を、感謝してもしきれません」
「これは……」
「これこそが国王陛下や王妃殿下が勝ち取った信頼。その貢献者には当然、姫様も加わっているのです」
富豪、騎士、平民……立場や身なりは色々なのに、どれも嘘のない笑顔。王族だからではなく、これがステラが積み上げた信用だというのか。納得は出来る。しかし、そこに至るまでの積み重ねは想像も付かない。
それもそうか、誰かの為が人の為になったことなんて、俺には一度も無いのだから。
「さあ、国王陛下、王妃殿下がお待ちです。このまま進みましょう」
「ええ」
俺はステラにならなければならない。
皆を騙すと、そうしてでも生きることで罪を償うとあの日誓ったのだ。
街を抜けて、帰るべき場所まで残り僅か。近付けば近づくほど背景だけでなく、その裏に隠れた部分も鮮明に描かれる。
鮮明であるほど、ステラとして生きる決意が確固たる物へと変わる。
もう目の前まで来ていた。
俺達を上から見下ろす巨大な二枚扉。そして前に立った瞬間、俺を待ち侘びていたように、金属の擦れるような音を響かせて封を解いた。
「待ち侘びたぞ、ステラ」
「ステラ。生きててよかった」
出迎えたのは王冠をかぶった壮年の夫婦、この人達が両親だとすぐにわかった。生きていく中で自然と積み上がった重荷がごっそり剥がれ、この時だけは子供でいられそうな、そんな暖かさがこの人達にはあった。
だからこそ、自分が情けなくなる。
俺がそんな二人に返せたのは、どこまでもすっからかんな「ただいま」だけだった。
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