第51話 眩暈(めまい)

 全身ずぶ濡れでリビングに入ると、部屋の隅で年を重ねた女性の従者が机上の書類を睨み付けていた。姿勢良く椅子に座る姿はきっちりした空気を醸し出し、忙しなく何かを書き連ねる様はどことなく多忙さを滲ませている。

 俺を見つけて終わり、じゃあないんだろうな。励ますとか煽りもいいとこなんで絶対にやらないが。


「すみません。タオルってありますか」


 従者はすぐさま顔を上げ俺を見るや、途端に目をぎょっとさせた。


「タオル……って、どうしたんです!? そんなずぶ濡れになられて」

「ああ、すみません。ちょっと」苦笑しながら頭をかいて、適当に言葉を濁す。

「しょ、少々お待ちください。すぐにご用意を!!」


 従者は慌てて部屋備え付けの収納棚からタオルを取り出すと、直ぐに俺へ手渡してくれた。それで濡れた頭をふき取っていると、急に従者の顔がぬっと現れる。


「す、すみません」


 怒られるか? 軽く身構えたがその時はやってこない。その代わり、暖かな手でかじかんだ手をやさしく包んだ。


「ああ、どうか凍える彼女にいくばくの熱を。水よ、どうか自然に帰り給え」


 すると、従者の手を介して実体のない何かが体に流れ始めた。かと思えば、すぐにびしょ濡れの体から水気が消え、暖かさが全身を駆け巡ったのである。そのせいか、強張った体も心なしかリラックスし始めた。

 それが気のせいでないと理解したのは、着ていた服がコインランドリーの乾燥機に突っ込んだ後みたく、羽毛のようにふわふわした肌触りに変わっていたから。


「これは一体……」

「この位我々には造作もありません……おや?」


 従者が眉をひそめた。


「何やら私とは異なる魔力の残り香がします。魔法の練習でもしてたのでしょうか?」


 最悪だ、いきなり地雷踏んだ。急いで辻褄を合わせなければ。


「そ、そうなんですよ。失敗しちゃって」


 照れた笑みで動揺を隠す。昔は使えなかったのに、とか揚げ足取られようもんなら終わりだ。しかし、そんな杞憂に反して、従者はやさしい顔で俺に尋ねた。


「なるほど。しかし、またどうして?」

「今回を機に、自分が狙われる立場だと痛感しました。だから、最低限の護身はできるようにと思いまして」


 俺の答えに従者はとても申し訳なさそうに、俺へ深々と頭を下げた。


「大変申し訳ございません。我々が不甲斐ないばかりに」

「そういうことじゃないんです。皆さんはとても良くやってくれています。ただ、私はあまりに無防備です。また同じ目に遭う可能性も考えると、みすみす足手纏いになりたくないんです」


 そう言うと今度は目を見開いて固まった。一つ一つの所作を観察されているようで肝が冷える。また失敗したか?

 と、思ったのだが、これまた予想に反する出来事が起きた。

 女性の従者が涙ながらに抱擁してきたのである。


「こんなにも立派になられてっ」

「え、ちょっと。抱き着かなくても」

「ああ、姫様ぁぁ。私は、私はとても嬉しゅうございます……!」

「……いつまでも甘える訳にはいかないので」

「滅相も無い。我々はずっと心配していたのです。目が覚めてからというもの、ずっと何かを思い詰めているように見えて。しかし、我々如きが内情を探るなど無礼千万、どのようにしてお気持ちに寄り添えるかを悩んでおりましたっ」


 声が震えている。そんなに心配だったんだろうか。よっぽど顔に出てたんだな、自分では隠してるつもりだったのに。

 

「そんなことないですよ。いつも助かっています。本当にありがとうございます」

「ひ、姫様っ。このロレンタ、感服致しました!!」


 抱き着く力が強くなるほど、明確な暖かさと命の鼓動がそこにはあった。それがステラとの関係性を示しているようで。

 さらに、追い打ちと言わんばかりに今度は玄関の扉がバンッ、と勢いよく開かれると、


「な、何事です。ロレンタ様……姫様?」

「ああ、姫様ぁあああああああああああ。私は嬉しくて嬉しくて仕方がありませんんんんんんんっ」

「姫様がお困りです! お気を確かに、ロレンタ様ぁああああああああああ!!」


 結局、俺とロレンタさんを他の近衛兵達が囲い、円陣を作って大合唱。ヴェーミール王国万歳とか言ってたので恐らく国家。ロレンタさんもそりゃあひどく号泣しながら綺麗な声で歌い上げ、兵士達の低音は近所迷惑よろしく、爆音で室内に鳴り響いた。ひとりだけ付いていけない俺はシラフで取り残されて、引きつった顔を浮かべるしかできなかった。

 それでも、居辛さこそとんでもなかったが、悪い気はしなかった。よほど慕われていたんだろう、ステラという少女は。


 そんな少女の皮を被って、この人達を利用する。

 せめて、これは自分への賛辞ではないと何度も言い聞かせた。皆が満足しきったのを確認して、


「皆さま」


 俺の言葉で一斉に静かになる。皆、背筋を立て、視線は俺に向けていた。誰一人動く気配は無い。今日この拠点に皆が集まることはマルクトさんから聞いていた。

 俺は、それを狙っていた。ずぶ濡れは想定外だが。


「今回は私をお救い頂き、誠にありがとうございました。どんな礼で報いるべきかわかりませんが、この出来事は国王に必ず報告させて頂きます」


 深々とお辞儀すると、頭を下げる王族がよほどレアなのか、従者達はびっくりするほど取り乱していた。他人事として受け止め、話を続ける。


「今回の経験で、己の無力さを酷く痛感しました。そして、この結果は運が良かっただけであることも。皆さんの尽力や、この幸運がなければ、どう足掻いても人攫いの魔の手からは逃れられなかったでしょう」


 傾聴というやつだろうか、この場にいる全員が俺に注目している。息を呑む音がする程の集中、都合が良すぎるといっそ恐ろしくなる。だが、止めない。


「私は皆さんに寄り添いたい。誰かに頼るのではなく、誰かの支えになりたい。その為には、私をお守りくださった皆さんの経験や知識、そして目指すべき物を教えて頂きたいのです。どうか、皆さん。私に力を貸していただけないでしょうか」


 深く頭を下げると、誰一つ迷いなく「お任せください」と答えてくれた。

 揺らぐことのない忠誠、見事だと思った。俺には到底無理な領域だ。しかし、その無理筋の手綱を握るには、俺も自分を超えなければならない。

 みっともない思惑なんて欠片も知らない皆は、それぞれが歩んできた人生や今後の夢を快く話してくれた。


 商家の生まれの人。


「私は商家の生まれでした。特段裕福でもなく、生活できるだけの蓄えを残し、残りは従業員に渡してました。父母は言いました。人の上に立つものは、下で支えるものを救わねばならないと。姫様に忠誠を誓った身である為、家業を引き継ぐことはないでしょうが、支える者と与える者の大切さは今でも心に留めております。それが私の生きがいです」


 金銭面に困ってる人。


「オ、オレ……自分は流浪の民です。物心つくころには飢えと共に生きる毎日でした。毎日家族はお腹を空かせて苦しい思いをしてばかりで。近衛兵になればお金がもらえるので、志願して入隊しました。いつか、お金を貯めて自分たちだけの家を買おうと思ってます。まだ借家しか借りれないので」


 家を守ると誓った人。


「私はカーラッド家の嫡男です。貴族としての体はありますが、実の所は風前の灯火。多くの武勲を挙げ、名を広げてかつての繁栄を取り戻すことを夢にしております。姫様への忠誠と共に、復活を遂げたあかつきには名実共に我が国の発展に貢献してみせます。己の剣に誓って」


 家計を支える、借金を返す、適職を探す、家を守る。理由なんて人それぞれ。ここに居る人たちは、皆何かしらの夢や覚悟を持ってここに立っている。


「凄いですね、大人というのは。私のような出来すぎた肩書きとつまらない能書きだけの世間知らずとはまるで違う、どこか達観した何かをお持ちでいられる――」

「それは違います、姫様」


 否定された。彼らの好意に絆されて言葉を誤ったかと、冷や汗が額に浮かんだ。しかし、当のロレンタさんはどこまでも穏やかに笑っている。そこには、俺が今まで出会った大人からは見たことのない眩しい何かが滲み出ていた。


「姫様。この場に立つ者達は、私ロレンタを含め、姫様や国王様、王妃様に忠誠を誓っております。それを担うだけの恩を受けてまいりました。我々はそれを返しているに過ぎない。そして、姫様も我々を想ってくれることが何よりも光栄です」

「それは……」

「小さな感謝だけでも、己の選択を間違ってなかったと誇りにできる。我々はそんな人間の集まりなのです。そして、姫様は我々を束ねるだけの物がある」


 全員が、そうであると肯定した。

 言葉なんていらない、俺達を見ろ。そう言われた気がした。


「ありがとうございます」


 ああ、眩しすぎる。捻じ曲がった自分の性根に、それは毒だ。

 結局俺は、かき集めた好意を受け入れることもできず、後日、逃げるように水の国を旅立った。



第五章 逆波 終

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