第48話 日常

 目覚めと呼ぶには、最高に気分の悪い幕開けだった。

 部屋には太陽の光が差し、風の音すら聞こえるような静けさが際立つ。丁度ベッドが陽だまりになっているせいで、中途半端に暑苦しいのが余計に苛立つ。

 世界の全てが敵に見えて仕方がない。それでようやく俺は元の居場所に帰って来たんだな、と実感した。


 勇者に別れを告げて鮮明に覚えていることと言えば、あれから勇者が俺を追いかけることはなかったことくらい。そのまま拉致されるか、いっそ闇討ちされることも覚悟していたが、帰り道は不自然なくらい何もおきず、すんなりと部屋に帰れたのが記憶に新しい。

 単純に何かを忘れてるだけかもしれないが、それを思い出そうと躍起になるほど記憶を掘り返したい内容でもない。これが自然なんだと言い聞かせて、今に至る。


「ステラ様、朝食を用意しました」

「そこに置いてもらっていいですか。後で食べます」

「……わかりました。くれぐれもお大事に」

「私は元気ですよ。貴方こそお大事に」

「そうですね、失礼しました」


 ここ最近、やたら俺を心配そうに観察してくる。帰って来てからずっとこうだ、お前の負担を無くしてやったというのに、何て不敬な奴だ。

 そんな愚痴は心に締まって、礼を済ませる。「大丈夫ですか」と聞かれたが、大丈夫だと返した。初めから答えを用意していれば、俺みたいな奴でも淀みなく返せるんだなと知った。


 マルクトさんが部屋を出てすぐ、俺は寝転がった体を起こし、ベッドに座った。

 俺が一番意識しないといけないのは、サタニカ=エクスという化け物。あの竜すら殺す連携を用する一級傭兵のガリアを殺し、それを上回る勇者ですら歯が立たなかった存在。そいつとどう向き合うか、ということ。

 事実を並べるだけで眩暈めまいがする程の災厄。こんな奴に勝てる方法なんて思いつけるわけないし、それどころか俺は独りじゃ戦えない雑魚と来た。

 正直に言うと、ただ絶望しているだけなのは精神衛生上は良くないが、考えなくていいという点と他の嫌な事を忘れられるという点で、わりと気楽だ。

 しかし、それが許されない状況が今であり、俺に課せられているのは、あの化け物を倒す、もしくは国を逃亡するかのどちらかである。


 ひとり、ないし国を巻き込んでサタニカ=エクスに勝つ。それが俺の今の目標である。その為に鍛えるべき力こそ――


「ぼちゃん」


 掌の上に小さな水泡ができて、そのまま落ちた。湿った感覚が広がって、太ももに水滴がしたたり落ちる。冬とは思えない生暖かさが感覚を侵食していった。

 元々は水を生み出す為に実体のない何かを無理矢理ひねり出す、という工程で発動する認識だった。しかし、どうやら想像と唱えた言葉がリンクしていることが重要らしい。内で燻っていた力はすんなりと水の形を作り上げた。


 魔法。

 前世を偲んで滲み出た独り言が進化に導いた。


「これでどうしろってんだよ」


 これで俺は敵を倒さなければならない。それなのに、これが俺の知り得る最適解。死にたくないのに、死にたくなる。


「何が足りない」


 焦る気力はない。不満を垂らすことしかできない。ただ息を吸うために目標を立てる生活。居心地は良くない、しかし住みやすい。


『お前は俺の言うことだけ聞いていればいいんだ』

『もっと周りにあわせてよ』

『なんで人の事を考えないの』

「お前ら、俺の事一秒でも考えたことあったのかな」


 ずっと泳いでいないと死んでしまうから。余計なものを思い出して、取り込んで、自分で自分を殺してしまう。忘れるべき成功体験、お前はこんな場所では生きられないと笑っては消え、笑っては消え。それが、少しずつ本当の自分を呼び起こしているようで。


「目標を達成する為に必要なことは、結果を想像すること。結果から逆算して、対応するべき過程を導き出す。自分の状況、周囲の状況、敵の状況……全てが自分の利になるように」


 忘れるわけがない。

 忘れられるわけがない。

 俺は成功した。自由を手に入れた。幸せを手に入れた。

 不幸なんかじゃない、蔑まれるいわれもない。だって、


『気持ち悪い』


 おまえらのおかげで、じゆうをてにいれたから。

 おまえらのせいで、じゆうがすきになったから。

 そうだろ。

 にくくて、にくくてしかたのない、おまえたち。


◇ ◇ ◇


 時は二十一世紀初頭。地球という星に人類が根付き、文化を作り上げて一万年超が経過したある日。世界的な経済危機により、多くの人間が職を失った。

 十数年前にバブルが弾け、それでも自分達の生活を立て直そうと必死になって自身を奮い立たせ、ようやく回復の兆しが見えた矢先の出来事である。

 自分達には関係ないと高をくくっていた人間も一定数存在した、しかし遅効性の毒のように、ゆっくりとゆっくりとその傷は表に現れ出す。それは、日本という一国でも例外ではなかった。


 少年の父は銀行員だった。

 しかし、不況が現実となり、早期退職制度、いわゆるリストラにより首を切られた。役職も持たず、業績も平凡。彼に抗う術はなかった。三十歳を過ぎ、再就職が困難な年齢での出来事だった。


 少年は当時、三歳であった。

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