第45話 自己投影

 脱、勇者生活を始めてしばらく。

 残された時間はあと六日、自由でいられるのも残りわずか。俺はやり残したことがないかを、過去の記憶からどうにかこうにか掘り起こしていた。

 しかし、相変わらずベンチで黄昏ながら、街並みを眺めるだけの生活。良い身分だと自嘲しつつ、頭を悩ませる出来事に向き合う。


「ふおおおおおおおおおおお」


 思いつきで掌からエネルギーを放出する。すると、ぽよん、という抜けた音を立てて、ちっちゃい雲――それも心なしか黒みがかった奴が生まれた。俺の精神を表しているようにフワフワと浮いては、パサパサと小ぶりの雨を降らしている。


「おお、虹が出来てる……はぁ」

 

 小さな幸せがやって来ましたー。と口に出そうとした途端、横っ風が吹いて雲と共にさっぱり消えてしまった。昔使ってみたいと憧れた魔法、それにしてはあまりに貧弱。軽く項垂れながら、ぼうっと水平線を眺めていると、


「何をしているんだ」

「……生きてたんですか」


 綺麗に見えた水平線を遮る様に、勇者の顔が上からぬっと現れた。凄い悪運だなと思いつつ、横にけて座れるスペースを作る。勇者はしょぼくれた俺をまじまじと見つめると、隣にぽつんと座った。


「元気だったか」

「ええ、それなりに。まだ安静にしろって医者に言われてるんですけどね」

「外を出歩いて大丈夫なのか?」

「まあ、出歩くくらいなら」

「……そうか。無事でなによりだ」

「お互い様ですよ」


 俺達の世間話はどこまでも底が浅かった。やれ人生だの、やれ人としてだの、こっぱずかしい会話を繰り返してたはずだが、平穏って奴に身を置いた経験が希薄過ぎて、天気が良いですね。って会話も出来やしない。

 それは相手も同じらしく、バツが悪そうに水平線をじっと見つめていた。


「傷も塞がってるので思ったより早く治りそうです」

「それは本当か?」

「はい、自分でもわからないんですが直っているみたいです」

「……そうか」


 神妙な顔をして黙り込んでしまった。随分と見慣れた奴だ、神妙って言葉が分からなくなる位には。


「ところで」

「何ですか」

「後ろの街灯に隠れてこちらを覗き込む男は、君の知り合いか?」

「ああ、俺の側近ですね。早めにこの街出た方がいいですよ、殺す気マンマンみたいですし」

「大丈夫だ、俺は死なない」

「いつも通りですね、尊敬します」人の気も知らずに、このやろう。


「ガリア達の話、聞いてもいいですか」

「詳細には話したくない。最愛の許婚を失った男と、実の妹を失った男の末路だ。片方は力に飢え、片方は力を身に付けた。片方は力に溺れ、悪魔になった。もう片方は残された人の心で仲間を守ろうとして悪魔になった。助けようとした仲間も道連れにしてな」

「救いのない話ですね」

「俺が全てを背負えていれば、こんなことにはならなかった」

「アンタひとりで何が出来るんです。俺達は神様じゃない、身の丈に合わない問題はどうにもならないんです」

「……わかっているつもりだ。だが、俺がこんなでなければ未来も変わったと思うと、やるせなくなる。こればっかりはどうしようもない」


 勇者って何だろうと思う時がある。この世界にやってきて半年、正直毎日が戦争で溢れているとか、国が滅んだとかそんな話はまるで聞かない。むしろ俺等が関わることで何かしらの問題が浮き彫りになっている気がする。

 勇者ってのはもっとこう、争いを無くしたり、被災で苦しんでいる人を助けたりと、人を救うことが全面に出ると思っていた。しかし、現状はただ道なき道を歩いて、魔王という存在を追っかけて、稀に命を賭ける……結果、神様とやらに殺されかけて、命を狙われる。そんな生活である。

 魔王というのものを知れば知るほどわからなくなる。アレが出て来たところで、何か事件が起きるわけでもない。この世界の人達も多くは気にしてない。

 殺されかけてなんだが、いたところで何の問題がある?

 そう聞かれると首を傾げるくらいしかできない。


 じゃあ、このやり切れなさをどう消化する?

 ガリア達の仇でも取るか? 悲しいことに思い入れが無い。生きるのに精一杯で、それを言い訳にすればいくらでも割り切れて仕方ない。


 じゃあ、何のための勇者だ。

 この旅は、一体何のための旅だ。


「君は芯が強いな」

「どうしたんです、急に」

「あんな目にあったのに、いつもとさして変わらない。もっと絶望するものだと思っていた」

「多分ね、きっと慣れてるんですよ」

「何にだ」

「絶望に」


 そう見つめるなよ。こっちだって、それなりに酷い半生だったんだぜ。


「後悔しているか?」

「何にです」

「人生に、だな」

「どうでしょうね。ただ、何のために生きてるかは正直わかりません」


 例えば世界を救うとか、最強の女王になる、とか。そんな人生を賭けた壮大な夢があれば、こんな迷ったりすることも無かっただろう。しかし、俺にはそれがないんだ。もう人生終わったと思ったのに、新しい人生がやってきたかと思えば、死にたくないという本能だけで生きている。

 夢があるわけじゃない、生に対する執着が人一倍あるわけでもない。

 じゃあ、生きてる理由って何なんだ。


「君は何歳だ?」

「たぶん、十七歳です」

「十七といえば成人して一年後、世間からすれば一人前の大人だろう。しかし、大人になってたった一年。そんな状態で自分の軸なんて持てるだろうか」

「持ってない奴に聞きます? まあ、ユートさんは持ってそうですけど」


 ふう、と溜息が出る。がらんどうには潮風が染みる、なんて。


「俺は――」

「はい?」

「俺は確かに道を持っている。だが、そこに己は介在しない」

「……どういう意味です?」

「人は答えを知っていても、それを容易には納得できない。ということなのだろうな」

 そこに、もう一人の俺がいる気がした。ぼうっと眺めていると、それを打ち切るように「何でもない。忘れてくれ」と言って、勇者は物言わぬ銅像みたく静かになってしまった。


 不思議なものだった。

 俺は、遠くを眺める勇者の横顔に、見慣れた何かを感じていた。

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