第五章 逆波
第44話 平穏
水の国、ミネリアル。
その名は、まるで水晶みたく透明なこの大地を由来にしたものらしい。それを証明するように、足元では今日も水の流れがガラスのように澄み渡り、神秘的な光が煌めいている。
その上を白衣をまとった住民たちが珊瑚を成形したような研究所や家を行き来し、小難しそうな文献を手に抱えて話題に花を咲かせている。
生活に学問が密着しているようだった。
「久しぶりだな。こんなにひとりになったの」
ここに来て早一週間が経った。
あれだけ騒がしく、死と隣り合わせだった生活が嘘のように静けさを保っている。それもこれも、全て俺の従者と名乗る人達のお陰だった。
身辺の世話も殆どしてもらい、衣食住も整えられた生活は不便一つなく、むしろ時間を持て余す始末。野宿だの仕事だの散々な日々が嘘のようで、野生の魔物なんて現れもせず、命の危機はもってのほか。張り詰めた毎日が堕落するのに、そう時間は掛からなかった。
「澄んだ風が気持ち良いね」
誰も答えない。当然だ、俺はひとりなんだから。
勇者とはあれから会っていない。何をするにしても付いて回って来た存在だから、いざこういう状況になると、肩透かしを常に受けている気分になる。
「やることも無くなったなぁ」
ベンチに座って、道行く人たちを眺めながら、特段何もしない生活。それを過去の俺は羨ましく思っていたが、一週間もあれば飽きも出始める。
やるべきことはないか、と時には魔法の練習で茶を濁したが鳴かず飛ばず。疲労とモヤモヤだけが無限に溜まるので、いっそ放り出そうともした。かといって、他にやることが思いつかない。堂々巡りで時間だけがすり減っていった。
「勇者とどう戦うか、の方がずっと難しかったんだけどなぁ」
思い返すのは、勇者と共に過ごした縛りだらけの旅路。
アイツ、人の話聞いてるようで聞いてないから、勝手に問題起こしては俺が尻ぬぐいみたいなことしてたんだよな。戦術面もサバイバル知識ゼロの俺が担当してたし。こちとら一国の姫だってのに。
過去にそれとなく負荷がしんどいとボヤいたが、「済まない」と申し訳なさそうな顔だけされて終わり。「君は凄い」「いつも救われている」だの、チヤホヤされたら調子づいたのが敗因か。
「まあ、魔王を倒すとか息巻いて、探し出す方法が気配辿る位しか無い脳筋だもんな。期待するだけ間違ってるか」
と、色々愚痴を零してみたが、それだけだと少しだけ申し訳ない気がした。しょうがないので少しは助かったよ、と心の中で呟く。まあ、アイツに救われたことも指では数え切れない。体を張ってピンチを庇った奴をこき下ろすのは流石に良心が痛む。
「って、何回目だよこの妄想。いっそルーティンにでもなってるんじゃないか」
何か別の事を考えよう。そうだ、俺はいずれアイツを置いていかなければならない。さらにはお姫様である以上、多分一国のお偉いさんと結婚して国の発展に尽力しなければいけない日がやって来るはず。
『十日後、この国を出ます』
そうだ、今日の朝にマルクトさんから出発日を伝えられたんだ。どうやら俺、自分で知る限り相当な重症だったはずが、医者に診てもらった結果、二週間も安静にしていれば問題ないと太鼓判を押されてしまったのである。
人に刺されたと言ってみれば、「冗談では?」と鼻で笑われた。付き添いのマルクトさんが人殺しの形相で医者を睨みつけていたので、その後、大丈夫かと聞いてやれば、「不敬な奴め。今すぐにでも剣の錆にしてくれる」とか、物騒な事をつぶやいていた。揉め事とか勘弁なので死ぬ気で宥めて何とか収まった。
この世界にやって来る前の俺は結構な口下手で、人に意見なんて到底出来なかった。それでいて、何かしようものなら空回りばかりするから、常に誰かの顔色を気にし、失礼なことを言ってないかばかり気にしていた。だが、そんな余裕もない状況にずっと身を置いていたら、嫌でもコミュニケーション能力は成長するらしい。
正直、俺が人の面倒を見ていることすら奇跡な気もするんだがな。
それもこれも、
「駄目だな。もう習慣化しちまっている」
かつて、人に知られないよう息を潜めることが日常だった自分。それは面影こそあれど、今となっては常に誰かの目に晒され、表に出る存在になっていた。
人なんて変わらないと思っていたが、存外そうでもないらしい。そして、呪いのように染みついていた筈の何かも、不思議と声を小さくしつつある。
「変わってしまったのかもな」
ほんの少し、怖くなった。
大事にしていた何かも、今ですら無くしているんじゃないか、と。
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