第39話 闇夜の勇者
『さあ、おいで』
差し伸べられた手は、汚れ一つない陶器のような白さだった。かつて俺が息を吹き返した時に鏡越しで出会った、凛々しい少女の素肌と同じもの。それに反して、俺の手は同じ体な筈なのに、シワだらけで手垢に塗れている。
拭っても拭っても消えない。戦えば戦う程に傷だらけになっていた。
「……俺は」
『まだ、未練が?』
仮面でも貼り付けたような笑顔だ、人の血なんて通ってないようだ。それでも俺には光に見えた。眩しくて、また目を逸らそうとして、それでも光源の中心に吸い込まれそうになって。それなのに途方も無い深淵を見ているようで、何から何まで俺とは違う存在。
『恐れることは無いのです。貴方はもう一度、罪を償う資格を得た。さあ』
「楽に、なれるんですか」
『すべての苦しみを消し去ってあげましょう』
何かに後押しされるようにゆっくりと光の向こうを目指した。
焼かれるような、泣き叫んでしまいそうな痛みが全身を駆け巡って文字通り発狂したというのに、俺の体は赦しを求めて歩き続ける。
進めば進むほど楽になった。心地良い、体にへばりついた重しが剥がれ落ちて、真っさらになっていくのがわかる。
『もう少しです』
光が絡みついて汚れた体が同化する。全部消えてなくなる。
それで良い。最初からわかっていた、本当はこうなるべきなんだって。
『さあ』
「ははははは」
俺に与えられた役割は見せしめ。人を殺し、罪を公にすることで他の誰かに踏ませない為の轍。
あれ、罪って何だっけ。俺、何か悪いことしたんだっけ。
でも、なんでだろう。なんでこんなにも虚しいんだろう。
別に良いか、俺は死んだ方がいい人間だから。
「――」
ん?
「―ア」
誰かの声が聞こえた。
「ィア」
何かを、呼んでる?
「シア、……シアッ!」
シア……人の名前か?
「目を覚ませ!」
雑音はノイズのようなものから、次第にはっきりと人の声に変わっていった。
シアって人のお仲間か何か? こんなところにいるとは思えないけどな、もうあの世の一歩手前だろうし。肌感でわかるんだなぁ、こういうの。ひょっとして死にかけの仲間を助けようとしてるとか?
だとしたら、会えるといいな。ずっと仲間を探し続けるなんてしんどいからさ。俺みたいに最初から味方なんていませんでした、なんてオチは悲しすぎるからさ。
でもまあ、いいか。俺には関係ないし。
「シアアアアアアアアアアアアアアアアアァッ!」
もうちょっとで光の深淵に触れようとしたその時だった。
殆ど消えたはずの腕を引っ張られて、振り向くとそこには傷だらけのローブの青年が必死の形相で俺を何かから引きずり出そうとしていた。随分みすぼらしい姿だと思った。この人が先に救われた方がいいだろうと思うくらいには。
「なんですか? 多分お仲間はここにいないと思いますよ」
「勇者だ。この偽物の天獄から君を救う、勇者」
「……はぁ?」
何訳のわかんないこと言ってるんだろう。うさん臭さが尋常じゃないので手を振り払おうとした。しかし、勇者と名乗る男はこっちの腕が痛くなるほどガッチリ掴んで離そうとしない。
「君を救いに来た」
「……人違いでは?」
「そうではない、俺は君を探していたんだ」
関係のない俺を、自称勇者はまじまじと見つめる。
「ずっと俺は君をただのかよわい少女だと、才に恵まれた聡いだけの人間だと思い込んでいた」
『聞く必要はありません。貴方は罪を償うのでしょう?』
「君はかつて俺に言った。自分の人生を誰かに委ねるような奴は好きじゃないと」
『聞く耳を持ってはいけません。貴女は救われるべきなのです』
「始めて否定してくれた。ただ目的の為だけに生きる人生を」
『戯れ言です。捨て置くのです』
女の人の綺麗な声に対して、男の方は随分と辿々しかった。話すのに慣れていないのか、途中つっかえる様子も垣間見えた。けれど、俺は何故か男の方に耳を傾けていた。
どうしてなんだろうな、俺にはまるでわからなかった。
「きっと、このまま進めば君は救われるかもしれない」
「じゃあ、良くないですか。それで」
「でも、それは君の望んだ未来ではない」
『進みなさい。立ち止まっては駄目』
「立ち止まることの大切さを教えてくれたのは君だ。誰かに押し付けられた正解ではなく、不格好だろうが自分で道を作ることが大切だと教えてくれたのは君だ」
『……人形の分際で。我々の邪魔をする気か』
見ず知らずの他人が俺の知らない誰かを熱く語るし、かといって俺を救いたいって言う饒舌な何かはただ前に進むことを促してくる。
(わかんねえよ、何が正しいかなんて。こんなクソの掃き溜めみたいな環境で生きて来た人間が、お前らの望む答えなんて出せる訳ないだろ)
今度はタールのように黒く濁った何かが俺の周りを漂い始めた。やり場のない感情が俺に流れてくる。ひょっとして、これは俺の意思なのか?
「なあ、あんた。俺を裁くってことは神様なんだろ」
『はい。我々は人を正しい道へ招き、罪を断つ者。救いを求める者へ道を与えることを
「そうか。じゃあさ、あんたは俺にどうなって欲しいんだよ」
『貴方は実の親を殺し、自ら命を絶つという最後を遂げました。それは決して許されるべきものではない。しかし、相応の苦しみを貴方は耐え抜きました。よって、全ての罪を
(ハハハ、馬鹿にしやがって。何が相応の苦しみだ、字面でしか知らない癖に)
「なあ。あんた、勇者って言ったよな」
「ああ」
「俺って、どんな人間だったんだ」
「そうだな……君は」
勇者は何か言葉を選ぼうとして、まごついている様子だった。それをいつも通りかよ、と鼻で笑う俺。
他人じゃないのかよ、じゃあ一体何なんだよ俺は。
「臆病な人間だと思った。誰とも目を合わせないし、合ったかと思えば逸らそうとする。壁も作って遠ざけてもいた。人を怖がっているんじゃないか。そう思った」
(ここまで来て辛辣かよ。笑えてくるな)
「相当酷い人間だったんですね」
「違う、彼女は俺なんかよりずっと立派だった」
勇者の顔が歪む。
「……俺は羨ましかった。勇者という責務を果たすことだけを考えて生きて来た人間には、泥を
(あんた、いつもスカしてたろ。そんな百面相してこなかったろ)
「君は俺を救ってくれた。生き方を示してくれた。それだけで、君を助ける理由にならないか」
(もういいよ。俺のことなんて忘れろよ。アンタの人生を生きればいいだろ)
「世界を回ってみたい。自分が見過ごしてきたものを、君と一緒に取り戻したい。そして君に」
(それだけで十分だよ。もういいんだ)
「生きてて良かったと、言わせたくなった」
忖度の余地もないくらいに酷い笑い方だ。しおれたミミズみたいな口角して、どう見ても下手くそと口を刺したくなる崩れっぷりだった。
馬鹿だよなあ、何で俺なんかの為に……
そうか、俺は。
『赦しはもう目の前です。さあ』
「どうか、俺に君の時間をくれ」
俺っていう人間は、どうやら罪深いわりには同情されるべき人間で、変な道しか進めない阿呆らしい。
かしこぶった所で、生まれながらの不器用さは隠せないってわけか。
「神様」
『何です』
「俺、一つわかったことがあります」
言葉にするのが怖い。きっと戻れなくなる。
それでも若気の至りは止められない。
「俺の罪は、多分アンタの赦しって奴でも消えない。裁かれるべき瞬間から逃げたから、俺は一生それを抱えて生きていかなきゃダメなんだよ」
『詭弁ですね。本当は逃げたいだけなのでは――』
「多分、親父だった奴にも大切にすべき何かが居て、そいつらから愛されてたんだと思う。俺はそいつらから親父を奪った、どんな理由であれそれは変わらないんだ」
『何が言いたいのです』
すうっ、と息を吸い、ゆっくり答えた。
「俺は俺の形で罪を償うよ。一生それを背負って、生きていく。それが俺に出来るたった一つの償い方だ」
だから、
「勇者、頼みがある」
「聞かせてくれ」
「少しばかり、力をくれ」
自分で啖呵を切っておいて、随分情けない台詞だな。それなのに勇者は否定するでもなく、怒るそぶりを見せるでもなく、ただただ小さく笑った。
コイツは俺がどういう奴か知っているらしいしな。そりゃあ無駄に濃い時間過ごしてないもんな。
そうだろ? 勇者。
「任せろ」
そう言って、勇者は俺を光の中から連れ出してくれた。
ちゃんと思い出せたよ、本当にありがとな。
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