第38話 赦しの牢獄 その2
傭兵の資質、というものがある。
流れるように生き、人知れず死ぬのが常の彼らは、畏敬は受けても隙を見せることを許さない。
誰も信じず、誰にも依存せず、己の力で生を勝ち取る。それこそが傭兵に求められる資質であり、その泥臭い生き方に人は時にカリスマ性を見出す。
セスという男には、元々傭兵の資質はなかった。
農家の一人息子として生まれた彼は、元来殺生を好まない性格であり、田舎の片隅で兄妹や両親で穏やかに暮らすことを喜びとしていた。
(……情報が頭に流れてくる。文字、音、背景……これは、過去の記憶?)
(ここは、あらゆる垣根が消えて一つになった世界。僕が生きた時間が情報となって君に流れてるのさ)
村という閉鎖社会では人口も少ないので、自ずと互いの心的距離が近い。その中でより希少な子供となれば、同類との関係がより深くなるのも自然。
狭い社会の掟、価値観というのは無垢であるほど浸透する。
煙が立たないよう生きていく。外敵に抗う力がない村の生存戦略は、セスの生き方に根深く染み付いていた。
「セス、聞いて!」
「どうしたんだ、ルミ」
「今日、また傭兵さんの魔物退治が見れた!」
「危ないんじゃないの? とばっちり喰らいそうだけど」
「ヘーキヘーキ! 何回もやってるけど、バレたことないんだから!」
青髪を短く切りそろえた少女、ルミは目を輝かせて意気揚々と語る。どうやら山ほどの大きさで、全部踏み潰してしまいそうな怪物をたった数名の人間が討伐したらしい。
己の武器一つで肉薄する剣士、敵を呑み込む雷を放った魔導士、それらを全て守り切った補助魔導士。
彼女はその一部始終を、震えるほどカッコ良かったんだと何度も口にしていた。
(夢にでも出てきそうな話だ)
(……この眩しい夕日も、オレンジ色の空も、変わり映えしない毎日も。全部夢のようだったよ)
「の、わりには僕には何も見えなかったけどね」
「ひ、ひょっとして寝てたんじゃない。お腹膨れてもう食べれませんー、って」
「ご飯は食べたけど、仕事があるのにそんなのするわけないでしょ。また、いつもの?」
「ほ、ほんとだもん! ルミにはそう見えたんだもん!!」
「はいはい」
「ちょっとー! 少しはルミの話を信じてよ!!」
膨れっ面のルミに、少年セスは悟りを説くように
「あのさ、どうしてそんな危ない橋渡ろうとすんのさ」
「え?」
「だってさ、ルミの話が本当なら傭兵の人達が死に物狂いになって戦ってるんでしょ。素人のルミが近づいたら死んじゃうよ?」
セスには分からなかった。人生で一番大事なことは死なないこと。物心付いた時には親にも村長にも口酸っぱく教えられて来た。生きて、この中の誰か一人でも村を存続させるのだと。
「良いと思ったんだもん」
「は?」
「こんな窮屈な思いするより、色んなものを見て、肌で感じて、死んじゃいそうな怖い思いをする方が、ずっと生きてるって感じがするんだもん!!」
もう暇すぎて気でも触れたのかとセスは心配になった。しかし、当のルミはさらにその上を行くトンチキを口にした。
「ねえ、冒険者ならない?」
「え?」
「わたしね、思ったんだ。このまま村の中で生きてたら、ずっと外の世界も知らないまま死んじゃう」
何を言ってるんだ。セスがそう口にする前に、捲し立てるようにルミは続けた。
「だってさ、窮屈じゃない」
「皆、今の生活に満足していると思うけど?」
「ダメだよ、そんなの。自分の殻に閉じこもってるのと何も変わらないじゃない。それに……」
「それに?」
「誰かが動かないと駄目なの」
「……どうして?」
「今こうしてられるのも、きっと偶然。魔物がこっちに来たら大人も誰も守ってくれない。いざという時、誰かを救えるような強さが欲しいの」
本当なら力の強い大人がそうするべきだ。しかし、当の大人達と言えば、その日暮らしに満足しているだけで、次の日、その次の日に何をするかは考えていない。大人ですら今を生きるので精一杯なことを、隣で一緒に仕事をしているセスは痛感していた。
そんな手の届かない次を、自分と同い年しかない少女は見据えている。
セスは、自分がどれだけ小さな人間かを痛感した。
「……でも、僕はそんなに強くなれない。家族の明日を守るだけで限界だよ」
そう簡単に人は変われない。スケールの小ささに自嘲したくなるが、その明日があるという安心がどれほど大切かをセスは知っているつもりだった。
それを見越したのか、ルミは諦めたように小さく笑って、
「だよねぇ~、言うと思った。セス家族大好きだもんね。……じゃあさ、一個お願いがあるの」
今度は神妙な面持ちに変わった。
「もし、ルミがいつかこの村を守れるようになったら。その時は……」
「その時は、僕がルミを守るよ。約束する」
ルミはその言葉に安堵したのか、緊張をくずして「約束だよ!」と満面の笑みを浮かべた。
結局、この日から一年も経たずにルミは村を旅立つ。その間、文通だけはしようと約束していて、どんなに忙しい毎日でも状況だけは共有し合っていた。
けれど、ある日を境に音沙汰無くなった。胸騒ぎがしたセスは村を飛び出し、ルミと会う為に各地を渡り続けた。
再会を果たした時、ルミは傭兵になっていた。理由は聞かなかった、彼女を守れるだけで十分だと本気で思っていた。
「まさか、こんなことになるなんてね。セスが傭兵になるなんて」
「だって君、返事をよこさないから」
「色々あってね、しんどかったんだよ。けど、セスが来てくれたお陰で大分良くなった」
「……村に帰ろう、君は十分頑張った。そんなやつれてまで続ける旅じゃ無いだろう」
「ごめんね。けど、やりたいことがあるんだ。それを終わらせたら帰ろっかな」
「その時は一緒に、だ」
「ありがとう。セスが居て本当に良かった」
(村を離れて数年、十八になったルミは面影を残して大人の女性になっていた。それなのに、僕が見てきた中で一番もろく見えた。ずっと隣で支えないと簡単に崩れるんじゃないか、そう思う程に)
(……でも、そのルミって人は)
(ああ、死んだよ。最後の戦いで魔物に踏み潰された。わかってるさ、彼女の選択が招いた結果だ。僕に介入する余地はない)
(じゃあ、何で勇者を)
(許せなかったんだよ、ルミを見殺しにしたあの男が何食わぬ顔で生きているのが。それを指咥えて見てるだけの自分自身が)
セスは結局、単身村に戻りルミの家族に訃報を伝えた。兄のガリアには気が滅入るほど殴られた。それから、復讐を果たす鬼になった彼の旅に付き合うことになった。
皮肉なことに、ガリアは傭兵の素質を大いに持ち合わせていた。頭角を表すのに二年も掛からず、名声を受けるのもそう時間は掛からなかった。
その力でガリアは勇者を傭兵ギルドから追放、二度と再起できないようギルドの仕組みを変えた。
(僕は結局何もできなかった。そして今も、過去の残滓に囚われながら生きている)
(同情はしませんよ)
(そんなもの求めてない。それに、君は最初から知っているんだろう?)
(は?)
(僕も君も、結局は過去のしがらみに捻じ曲げられた人間。他者に正されることでしか、正しい道は歩けない)
(アンタと一緒にするな。俺は人生に後悔なんてしてない)
(強がりだな。親を殺すという行為は倫理に反したのかもしれないが、ここは人殺しが往々にして存在する世界。そんな中で君は一度でも罪悪感にかられたか?)
(当たり前だ)
(くだらない見栄だな、その手に染まった透明な血を、洗い流してしまえば楽になれるというのに)
そして、少年の前に一つの輪郭が現れる。
どこまでも真っ白で、人型に世界をくり抜いたような、そんな異物。
(でも、もうこれで終わりだ)
(何を言ってるんだ、お前は)
(これで良いんでしょう? 神様。そうすれば僕に圧倒的な力を、二度と後悔しない力をくれるんでしょう?)
(おい、話が見え……)
ソレは少年に顔を向けると、口角を三日月に歪ませた。
『さあ、おいで』
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