第36話 断罪

 老人のひとり歩きというものは、こんなにも寄り道だらけなのだろうか。

 付いて来いと言われたのでその通りにすれば、嫌がらせかと言わんばかりに人目に付く場所ばっか歩きやがる。白い目で見られるものだからバツの悪さは増長する。


「普段人は連れないからのう、嫉妬してるんじゃよ。お主に」

「……人目に付く必要はないと思いますが」

「趣味じゃ」


 とんだ嫌がらせである。

 無表情で不愉快に蓋をする俺に、仰々しく人の機微を見つけてはニヤニヤと笑いやがる。このクソジジイ、なかなかにいい性格してやがる。


「本当に話聞いてくれるんですか?」

「聞くも何も、喉から手が出る程欲しい情報じゃからのう」

「それにしては寄り道が長すぎやしませんか。花壇とか眺めて随分余裕ですね」

「ふふ。若き傭兵、お主にはこれが


 ブロック塀に囲まれて、その中で陽の光を全面に浴び続ける色取り取りの花の姿。どう花壇じゃないと解釈できるのか。


「それは、本当に正しいモノの見方なのかね?」

「他に何か?」

「確かに人は花を咲かせる姿に慈しみを覚え、心の汚れを洗い流すだろう。しかし」


 研ぎ澄まされた視線が俺を見据える。


「他の生物にとっては、それは自身が得る筈の栄養を奪い取る悪魔にすら見えようよ。それも、同じ色や姿をした花からすれば、な」

「あ、チョウメイ様。花壇に水やり終わりましたぁ~」

「ありがとうのぉ、レミィちゃんはいっつもかわいいのぉ~、ほっほっほ」

「またまた、冗談が上手いんですからぁ」


 従業員の制服を着た、俺と同い年くらいの女と乳繰り合うジジイ。「やっぱ、花壇じゃないですか」と言うと、ゴキゲンに「当たり前じゃ」と返された。

 何なんだコイツ、しかもレミィちゃんって女の人、滅茶苦茶こっち睨んでくるし。


「命あるものは、立ち位置によって物の見方を変える。それはつまり――」

「つまり?」


 女が老人に抱かれると、ポン、と気の抜けた音がこだました。途端、女は形を変えてひと房の花束となり、今度は茨が絡み付いた一輪の薔薇バラへと変わった。

 老人は愛おしげに薔薇を抱え、そっと花弁に口付けして、


「この世のありとあらゆる存在は、培った、ないし植え付けられた先入観の中で生きている。そして、この世界において"魔王"とは空想上の存在でしか認知されていない。魔王なんて言葉を真剣に語ろうものなら、嘲笑の的にしかならないのだよ」


 視界がぐねり、とねじ曲がった。

 目紛めまぐるしく流動する会話に呼応して、世界も新しい何かへ移転する。夏が冬になるように、真昼が夜に変わるように、外の景色も気付けば薄暗い密室へと塗り替えられてしまった。

 客間だ。長机の両側を黒いソファが整列して、机の中心にはあの花束とそっくりの一品が生けられていた。

 瑞々しい姿は踊っているようで、それでいて、そこでしか生きれない無常さを訴えているようだった。


「会ったのだろう? 先代に」


 心臓を鷲掴みにする穏やかでしわがれた低音。見るからに地雷、けれど踏んでしまったものは二度と取り返しがつかない。

 そこに、ふと奇妙な懐かしさを覚えた。

 ずっと離れていたから忘れていた。目を逸らせば、油断すれば死ぬ。そんな生活。


「勇者、神託、そして魔王。それらは所詮、一つの存在に対し各々の文化が付けた呼称に過ぎない」


 何処かで勇者の言葉を話半分に聞いていた。勇者だの魔王だの神託だの、挙げ句の果てには罪が世界を作るとか、空想好きでも鼻で笑い飛ばしそうな世界観。そんなものおとぎ話だと話半分で切り捨てていたんだ。


「滑稽な話よ。己が身も知らずれ言に踊らされて、のこのこと姿を現しおって」


 もっと違和感を持てば良かった、自分がどういう世界に生まれたのか。どういう形で生まれたのか。後悔先に立たずという言葉が呪詛のように脳内に散りばめられて、それ以上に怖いという感情が脳のリソースを喰いつぶす。


『こわくないよー、こっちだよー。君の進むべき道はそっちじゃないよー』


 姿が見えない。なのに居る。

 ノイズとしか思えない煩わしさで満ちた異物感。それなのに随分と優しい声、纏わりついて離れない。


「サタニカ=エクス、上層世界より舞い降りた罪人殺しの使徒。それを人は神と呼び、標的である罪に塗れた存在を魔王と呼んだ。そして、魔王と呼ばれる存在は、同類のみ感知できる独特の匂いを放つ。さらに、その匂いとはということ」

「何を言って――」

「見つけましたよ、我らが神。さあ、この愚かな羊に裁きを」


 老人が掌を俺にかざす。すると、急に体がぼうっと熱くなり始めた。異常だらけの時間で置いてけぼりにされる思考、警戒しようにも簡単に解かれる。

 湯舟にでも漬かったみたく、作為的なリラックスを強要させられる。


『ちょーっといたいけど、いっしゅんだから。少し目をつむるだけで、ぜーんぶなかったことにできる。それが$|B$f$k$9$C$F$3$H$5(B』

「おい、お前。一体俺に何をしたッ。さっきから変な声が……」


 引け、引いてくれ。耳を塞げ。

 しかし、どこまでも染みる聞き心地のせいで、脳内の警鐘はバックグラウンドに追いやられ、挙句恐怖ですら"ゆるし"を得られた嬉しさに寄生されていた。

 体がまるで動かない、考え方そのものが書き換えられる。最早、喰い殺される瞬間を待ちわびる死に体に変えられてしまった。


『$|B$"$J$?$r<O$7$^$9(B』

「ま、まて。誰か……」

伽藍堂がらんどう。さあ、潔く罪を償え」


 冗談だよな? 夢だよな?

 思考が追いつかないまま、死への恐怖は安息に書き換えられる。

 光に吸い寄せられるようにぼうっと見上げれば、暗闇の中で燦然と輝く巨大な槌が俺目掛けて振り下ろされた。

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