第13話 俺は故郷を後にする その2

 今、目の前には人が一人入れる程の穴がある。それは俺が草原の土を掘り、丹精込めて作ったお手製露天風呂である。それもお湯で崩れないようガワを固めあげた、ジャパニーズスペシャル。

 後ろには延々と広がる草原、前には次の国へ進む為の関所。ある種絶景と言えるロケーションに、どうしてこんなものを作ったのか。


 ――ああ、思い出す。これまでの苦しい苦しい旅路を。

 こんな思い二度としたくない。寝床とタメを張る、なんならそれ以上に命を賭けて解決した大問題。

 少なくとも女子にとっては死ぬ程クリティカル。それは、


『風呂に入りたい』

『フロ? 何だそれは』

『それ、本気で言ってます?』

『君は何を言ってるんだ?』


 死にそうになった。

 野宿しかしてこなかった勇者こそ非常識だと信じたいが、願ったところでここには俺と勇者だけ。しかも俺は別世界の住人で、この男以上にイレギュラー。常識である確率は向こうの方が上。冗談だと願わないと、つい殴って逆に殺されそうである。


『……水魔法と炎魔法を教えてくれませんか』

『上昇志向が強いのかなんなのか。一体何が君をそこまで動かす?』

『野宿慣れしたヒューマンにはわかりませんよ』


 変な目で見るな。生きると決めたからには、QOLを少しでも上げたいんだこっちは。


 俺は自分の生活に少しでも潤いが欲しかった。少なくとも生前は北風と太陽に晒され、文字通りひもじい生活ばかり。命懸けのサバイバル生活をまたやれと言われたら流石に心が折れる。

 だが、今の俺はあの頃とは違う。些細だが力を手に入れたんだ、少しくらい夢は見たいのである。目の前のだだっ広い草原からは夢模様なんて欠片も感じないが。


『それにしても、ユートさんは旅をずっと続けているんでしょう。汚れとかはどうやって落としているんです?』

『水辺を見つけて、そこで洗い流す。体もそこで洗う』

『……それまで一体どうしてるんです?』

『大雨が降った時に洗い流す。それ以外だと、我慢だな』

『マジで風呂作りましょう。精神がちぎれる』


 コイツの感性に付き合ってたら、王族じゃなくて蛮族になりそうだ。

 とにかく俺は野宿は我慢しても、汚物まみれは本当に嫌。これ以上ギトギトの体で動き回りたくないし、せっかくの美人を台無しにするのは心が痛い。いつでも清潔ツヤツヤで居続ける方法を思いついてやるのだ。


 そうやって辿り着いたのがこの露天風呂。最初は土でドラム缶風呂でも作ろうとしたんだけど、土の密度をコントロールするのが難しすぎて諦めた。妥協して勇者に頼ろうとしたが、


『俺の力は敵を倒す為のものだ。それ以外には使えん』

『じゃあ、何であの時俺の話聞いてキノコ燃やしたんですか』

『そういう約束だったからな』

『……お堅すぎですよ。疲れませんか?』

『……』


 そら見ろ。とはいえこの勇者、やはり強情。それから今に至るまでの体感数十分、ずっと不満そうに俺作の露天風呂を睨みつけるだけで、入ろうとはしない。


「土に熱湯を入れて何がしたいんだ」

「これで水浴びするんですよ」

「正気か?」

「まあ、流石に今回は足湯ですけどね。敵に襲われたらヤバいし」

「あしゆ……わからん、王宮ではこんなものが流行っているのか」

「そういうことです」


 無知という奴は本当に都合がいいな。俺も騙されないようにしよう。

 気を取り直し、俺は荷物からあるものを取り出す。それは、先の戦でもお世話になったニトロツムジダケの余りもの。それに魔法で火をつけ、水風呂へドボンした。


 ゴボ、ゴボボボゴボ。


「おお、上出来じゃないか。って、おっとっと」


 体から一気に力が抜けた。魔力を使いすぎた反動で疲れがまとめて来たのだろうか。が、それもスパイスになり、露天風呂への期待値は比例して膨れ上がる。なんなら、ほんのり香る薬莢やっきょうの匂いが良い感じに温泉を演出してる気がする。


「シア、一体何を始めるつもりだ」

「まあ、見ててくださいよ」


 そう言って、足をお湯につける。魂が潤った瞬間だった。


「キモチェーーー……」


 絶品だ。鉛のように溜まった疲れが根こそぎ剥がされる。さっきまでの自分は死んでいたらしい。この足湯のお陰で生きることの素晴らしさが少しわかったかもしれない。


「浸かってみます?」


 険しい顔で水面を睨みつけている。悩んでいるようだ。


「別に良いんじゃないですか。疲労困憊じゃあ魔王なんて倒せないですよ」

「それは、そうなんだが……」

「まあ、無理強いはしませんよ。俺はこの温もりを存分に楽しませてもらうんで」

「……」


 風呂の暖かさと自然の風による心地よさに浸っていると、根負けしたのか勇者はいそいそとブーツを脱いで地べたに座った。そして、俺が作った露天風呂にゆっくりと足をつけたのである。そして空を見上げると、深く息を吐いた。


「悪く、ないな」カッコつけんな、顔ふやけてんぞ。

「そうですか、そりゃあよかった。……ふう」

「どうした?」

「……いいや、何でもないです」


 風が気持ち良いと思ったのは、あの日崖から飛び降りた時以来だった。

 あの謀殺未遂事件からというもの、心臓にいくつかの毛が生えたので多少のトラブルでは動じなくなった。それが理由かはわからない、この世界にあふれる自然という奴に少しだけ向き合えるようになった。花を見て綺麗だと思ったり、空を見て心が洗われたり、この足湯で疲れが癒されたり。目に見えて余裕が出来始めたのである。


 地獄と呼んでいいのかわからないこの世界で、突如始まった魔王を倒すという旅。魔王が何かもわからず、生き方も定められず、死なないという理由一つで他人に命を預ける人生。それでも選ぶ道は全て自分で決めなければいけない。窮屈な矛盾を抱えた人生はどこまでも息苦しく、生を実感させる。


「……これが、次の国すか?」

「ああ、そういうことだ」


 空を貫き、山なんて簡単に飲み込みそうな程の巨大な壁は、壁と呼ぶには透き通り、世界中の風を凝縮したような唸りを見せていた。

 十七年の人生で見てきた何よりも天に向かって伸びるそれは、俺の人生に今までにない新たな色を付けてくれる気がした。


「間違ってないよな?」


 新しい国、新しい街、どんな世界が待っているんだろう。この息苦しさの代わりに手に入れた好奇心の使いどころが、きっと今始まろうとしている。



第一章 流天 終

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