第11話 血塗れの凱旋

side 親愛なる生け贄


 慣れた手つきで大木をよじ登り、枝の上で腰を据える。坊主頭の中年男は、ここから五十メートル程離れた洞窟を一心に睨み付けていた。黒いマスクの下に抑えられない怒りを隠して。

 男は、この樹海にある集落で酒屋の店主をしていた。切り盛りしている店は、狩りを終えた仲間達の溜まり場である。互いに手柄を見せ合い、讃えながらも喜びを噛み締める日々を送っていた。

 バドマルクが人の村でなくなったのは、彼や仲間達がこの集落に住み着いて直ぐである。


「早く来い」


 昨日、仲間が帰って来なかった。きっと狩りで遠くに出たのだろうと楽観していた。なので、同胞の帰還を歓迎するべく、毎日のように品出しの準備を始めていた。

 そんな矢先のことだ、突然押しかけて来た"奴"と出会ったのは。


 ライカンスロープ、通称狼人間。

 人と狼の二者に変化でき、かつ狼より知能が高く、類型種族の人間に比べ何倍も身体能力が高い点が特徴。人間からは魔族という枠組みで区別されている。

 店主であるこの男もまたその一族に属していた。そして、男はかつてない程に激怒していた。


(先程、店を尋ねた奴から同胞の匂いがした。アレは人間のモノだ)


 行商人を名乗る男が、これ見よがしに同胞の毛皮を見せびらかしてきたのだ。それも道で拾ったと言って。

 その時の出来事は男の記憶に鮮明に刻まれていた。


(我等は誇り高き一族、食物連鎖の頂点に君臨すべき存在。その仲間を殺し、あまつさえ売り物にしようとは。絶対に生かしては帰さん)


 ニトロツムジダケは強烈な幻覚作用を持つ。まともに匂いを嗅いでしまえば、あっという間に幻惑に堕とされ、じっくりと時間を掛けてキノコの養分にされる。そして夢を見たまま目覚めることも無く死ぬ。

 そうして出来上がった死骸を八つ裂きにして、見せしめに村で吊し上げる。何度もその未来を願った。全ては死んでいった仲間に報いる為に。


(さあ来い。貴様のような悪魔はここで滅ぼしてくれる)


 総勢四十名弱。出払っていた同胞達も全て呼び戻し、男が「味方が殺された、復讐の時だ」と決意を示す。皆は直ぐに同調した。

 故に今現在この辺り一帯は、顔をマスクで隠し、木陰で待機するライカンスロープ達が目を光らせている。彼らもまた、男と同じく悪魔が現れるその瞬間を待っていた。


「来た」


 うっすらと洞窟から人影が現れる。それに反応した前衛の数名が変身。人間から二足歩行の人狼へと変貌を遂げると、すぐに入口付近にまで躍り出た。


(退路は絶った。あとはキノコの養分になるか、それとも俺達に八つ裂きにされるか)


 狩りの時よりもじっくり、綿密に、執念深くその時を待つ。当然己が獲物と認識される可能性は微塵も頭に無い。


(さあ、顔を見せろ。薄汚い人間よ)


 ふと、嗅ぎ慣れた匂いがした。

 気になった男は隣の木に隠れる仲間に目合わせする。同じく気付いたのか縦に頷き、身を投げようと体を前に傾けた。男も後に続こうとした。


「……待て」


 その時、前衛の一人が静止。掌を見せ後衛に停止の合図を送る。直後、


「――まずい、逃げろッ!!」


 叫んだ仲間に覆い被さるように、入り口の穴から突如爆炎が放出。波みたいに押し寄せては、仲間達を次々と呑み込んで焼き払う。誇り高き一族は、敵に背を向けみっともなく命乞いを叫び、逃げ惑いながらあっさりと死んでいった。


「な、なんだ。あれは……」


 炎の波と得体の知れない恐怖が辺りを支配する中、そこから姿を現したのは人間の男と女の二人組だった。

 内、片方は赤いローブを纏い、背中に巨大な剣を携えている。鷹の様に鋭い眼差しは、見るだけで男を震え上がらせた。


(どういうことだ。我が目にした時、あんな殺気は微塵も無かった。一体あの男は――)


 そうやって膨れ上がった筈の恐怖が、


(え?)


 あっさりと塗り替えられた。

 それも、たったひとつの所作で。


 雪の様に白い肌、すらりとした細身。離れていても色艶が目立つ金の長髪は、まるで彼女の周りを別次元に変えるような輝きを放っていた。

 だが、彼女の歩く様は、研ぎたての刃のようにどこまでも鋭く、皮肉にも仲間達を殺していく炎によって、その迫力が際立っていた。

 男はその一瞬で惑わされていた。ありきたりな布服は、その道の巨匠が手がけた真っ白なドレスと見間違える程に。

 女は、人間を蔑視べっしする男ですら見惚れる程に、あまりに美しかった。


(なんと、なんと美しい)


「あ、ああ……」


 叫び声を上げ死んでいく男の同胞達。彼女はそれに目もくれず、無表情でただ前だけを見据えて歩き続ける。


 そして、男は彼女を正面から見てしまった。


「ひ、ひぃっ」


 酷く冷たい顔だった。あんなふるまい当然のことだと本能で分からされた。死んでいく仲間達なぞ、最初から命としてカウントされていない。虫を掃うのと同じ、一匹残らず駆除すると言われているよう。


「う、うわああああああああぁ!!」

「よせ!!」


 おぞましさにてられた仲間が、安全地帯である木の枝から飛び降り、女目掛けて襲い掛かる。

 途端、後ろで控えていた勇者が前に出た。


「勇者、敵を細切れにしろ」

「了解」


 次の瞬間、爪を振り上げた仲間はバラバラに切り刻まれ、肉片に変えられてしまった。


「う、うわあああ。うわあああああああああ!?」


 男は必死で逃げた。体に宿る全神経で硬直した体を動かし、枝という枝に飛び乗り、集落へと急いだ。ライカンスロープとしての誇りはとうにない。あの血だまりと共に死んでしまったのを自覚しながら、見栄も捨て、とにかく生きることだけを考えた。


(何なんだ。何なんだ、あのバケモノは!?)


 涙すらあふれた。もはや犬っころと言われても否定できなかった。

 それでも本能が逃げろと訴える。理性はお前が正しいと警鐘を鳴らし続ける。蓄積された復讐心も本能による恐怖に比べればあまりに脆弱、簡単にねじ伏せられた。

 少しでもあの姿を消し去りたい。しかし、後ろ髪を引かれるように振り向けば、離れていく筈の歩き姿がもっと色濃く脳裏に焼き付いてしまう。

 高く伸びる木の幹にぶつかりながらも、男は必死に手足を動かす。帰巣本能に踊らされていることも知らずに、無我夢中で逃げ続けた。


「ハァ、ハァ、み、見えた……」


 見えた、己の帰るべき場所。小さな家。

 男は急いだ、あと少し頑張れば元の生活に戻れるのだと信じて。そして、辿り着いた自分の家に入り、空の酒樽の中に隠れた。


(我は夢を見たのだ。そうだ、我は誇り高きライカンスロープ。たかが人間に劣るなどあり得ない。そう、あれは現実じゃない。死んでいった仲間など初めからいない。そう、我は――)


「逃がさないよ?」

「はぇ」


 凛とした女性の声だ。

 そう知覚した耳は、樽ごと斬り捨てられ、やわらかい肉でも削ぎ落とすように胴体と頭は分断された。それが全部自分のものだと知る頃には、血だまりで一杯だった。


 消えゆく意識の中、男は後悔した。

 手を出すべきではなかった。あれは本当に悪魔だったのだと。


 この日、国から一つの村が消えた。

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