< 第二章 > - 第四節 - 「洋食」


 昼過ぎに県知事との打ち合わせをするために、藤本隆一と工藤美咲は、列車に乗り込んだ。木更津きさらづ行きの2両編成の普通列車だが、平日のこの時間はガラガラで、二人はロングシートに並んで座った。

 千葉駅までは、木更津駅での乗換えを挟んで、およそ2時間ほどの行程である。


 藤本隆一はいつもの通り、外出用の道袍どうほうで、紺色の大褂だいかを身につけた、まるでカンフー映画の登場人物のような年寄りだ。それに対して、隣を歩く工藤美咲は紺色のパンツスーツ姿で、いかにも仕事ができるという感じの若い女性であるため、二人の出で立ちがあまりにもチグハグで、周りの目を引いていた。

 駅に来るまでも、コスプレヤーか、観光PRか何かと勘違いした観光客らしき若者が、遠慮会釈なくカメラを向けてきたが、二人とも我関せずで、いつものことと撮られるに任せていた。まるで彼が上手く撮れないことを知っているかのように。


 列車が発車して暫くしてから、

「田中君の様子はどうだい。」

と、周りに人がいないことを確かめ、藤本は工藤に話しかけた。

「はい、現在は源藤さんについて現場を廻って、彼のサポートをしています。まだ日も浅いので、基本的には業務の流れや作業内容について学んで貰うのと、協力会社やお客様と交流して貰い、取引先に顔を売って貰ってます。現場で一つずつ学んで貰っている段階なので、コンサルタント業務を始めるには、もう少し日数が必要かと思います。」

「そうか。あまり焦らせないように、彼のペースでな。それと、診断結果の方はどうだった。」

「上々ですね。良い結果を示してます。経絡けいらくにおける気の流れも素晴らしく、おそらく当たりだと思います。」

「そうか、一目見た時から、良い体躯をしていたし、気の流量も目を見張るものがあったから、おそらくはと思ったけど。そうか、当たりか。」

「あとは彼次第ということになりますが、会長のおっしゃるとおり逸材ですね。磨けば光る原石と言えます。彼自身はまだ自覚がないようですが。」

「そうだな。それならなおさら焦らずに事を進めなければいけないな。折角の逸材に逃げられては、目も当てられないからな。」

「そうですね。まずは、業務に慣れてもらわなければ話が進みませんので、それからということになりますね。」

「彼の宝貝ぱおぺいは準備できているんだろ。」

「はい、後は本人に合わせて調整するだけですので、いつでも大丈夫です。」

「そうか。ならば、様子をみながら進めてくれ。」 

「わかりました。」

 田中が聞いたら、何を企んでいるのかと思うような会話をしていた二人は、その後も、時折車窓に見え隠れする東京湾や、その奥に見える富士山を眺めながら、話を続けた。


「そう言えば、田中君を見ていると、君との出会いを思い出すな。」

藤本が目を細めながら、懐かしそうに話題を変えた。

「そうですか。私にとっては、会長が工藤家に出入りされていたお客様のお一人だったので、変わったお召し物をした方だと言う以外は、特段印象なかったんですけどね。」

なんとなく想像がつきながらも、どうして藤本が出会いを思い出したのか訝しみながら、工藤はそう返す。

「それは手厳しいな。まあ、丁稚のおちびちゃんにとってはそんなもんだろうけどな。」

「まぁ酷い。どうせ、私はなんにも知らないおちびちゃんでしたよ。」

二人して、声を上げないようにクククと笑った。


「それにしても、当時君に会った時は本当に衝撃的だった。美しさは言うまでもなく、君が発する気の流れを見た時は、心の底から震えが止まらなかったよ。」

「まあ、そんなことおっしゃって、今ならそれセクハラですよ。」

「そうだな、おちびちゃんに美しいはないわな。可愛いかったと言うべきだな。」

「まったくもう。ああ言えばこう言うなんですから。」

と工藤は頬を少し膨らませ、藤本を睨みながらも、

「でも、会長が私の気をそんな風に見ていたなんて、ちょっと恥ずかしいですね。」

と言って顔を少し赤らめた。

「生まれ持った流量と言うのはその人の素質に関わるからな。君の気の流量は本当に驚愕したよ。なにせ光背こうはいのように気が溢れ出ていたからね。」

工藤の様子を見て見ぬふりをしてか、藤本は続けた、

「だから、田中君を初めて見た時は、本当に驚いたよ。まさに君に匹敵するだけの気の流量が見えたからね。」

「会長には、私の気の量があんな風に見えていたんですね。」

「そうだな、もしかしたら君を凌駕するかも知れないぞ。」

「それは、うかうかしてられませんね。」


 工藤は田中が面接に訪れた日のことを思い返していた。

 部屋の外で感じた気の気配に、長年気を練ってきた彼女自身が、その気配に恐怖すら感じたのだ。そして部屋に入って、田中を一目見て、その身に纏う気の量に圧倒されたのだ。

 田中本人は表向きは朴訥な感じではあったが、内にはなにか燃えたぎるマグマのようなものがあった。しかし、田中自身は自分から溢れ出る気についてはまったく気づいていないように、工藤は感じたのだ。

 確かに藤本が言うように、工藤自身も気の流量は人並み外れたものがあった。藤本の教えを受けてから自覚したのだが、流量だけで言えば、藤本をも凌駕する程と言える。しかし、その工藤を凌駕する田中の気の量は、まさに計り知れないのだ。

 そんなことを感じて、工藤は面接のあの時、藤本に判断を委ねたのだ。彼女には田中を推し量る力量はないと判断して。

 

「そうだな。やっと工藤君にもライバルと呼べる逸材が現れたのだから、これからもしっかり頼むよ。」

そう言って笑う藤本に対し、

「新参者に道を空けるほど、落ちぶれてる場合ではありませんからね。」

そう工藤は返したが、田中の前途を期待する反面、彼にどう対峙して良いか、言い知れぬ不安のようなものが去来していた。


 千葉駅に着くと、午後からの面会時間までは少し余裕があるので、どこかで少し早めの昼食を摂ることにした。

 千葉駅まで来ると二人に無遠慮な視線を送る者はいても、さすがにカメラを向ける者は皆無だった。しかし目立つ出で立ちであることには変わりないようで、映画のスクリーンから飛び出てきたような格好の藤本は、嫌でも目を引く。行き交う人々は、大半が彼に物珍しいものを見るような視線を送ってきていた。


「千葉駅も随分様変わりしましたね。」

エスカレーターに乗り込みながら、工藤が藤本に話しかける。

「確かにな。駅ができたばかりの頃は、何にもなかったのが、いつの間にかビルが建ち並んで、モノレールができて、県庁所在地に相応しくなったというのか、随分栄えたものだよな。」

他人のふりをしないところが工藤の優しさなのか、図太さなのか、周りの視線を気にしない工藤の心情を、藤本は計りかねながらも、そう応える。

「とても、この街が一度は焼け野原になったとは思えませんね。」

「そうだな。駅も確か元々はこの位置じゃなかったよな。」

「ええ。東千葉の辺りでしたね。東京へ行くには、スイッチバックしなければならなくて、待ち時間で買った駅弁が懐かしいです。蛤とか浅蜊のお弁当とかあって、美味しかったんですよね。今でもあるんですかね。」

「たしかにあれは美味かったな。名前は変わってるかも知れないけど、今もあるんじゃないかな。」

「あそこに駅弁屋さんがありますから、ちょっと覗いていきませんか。」

二人はホームから上がってきて、駅ナカにあった老舗の駅弁屋を見つけて覗いてみた。しかし、お目当てのものはなく、

「懐かしいものがなかったのは残念だな。」

少しがっかりした表情で、二人は駅弁屋を後にする。

「残念でしたね。美味しそうなお弁当は並んでいましたが、また時代が変わってしまったと言うことですね。」

「そうだな。懐かしむ間もなく、古いものが無くなっていく。残念だが致し方ないな。」

「では、お昼は新しくできた駅ビルにしますか。」

「そうだな、時代の波に乗るとするか。」

二人はそう言って、改札口から外に出て、新しくできた駅ビルの中へと向かった。


 エスカレーターでレストラン街まで上がると、折角ならとなかなか食べられないイタリア料理のお店を選んだ。

 店内は落ち着いた感じで、壁にはイタリアの風景写真やポスターが飾られ、イタリアの音楽だろうか、聞いたことのないBGMが程よい音量で流れていて、ちょっとしたイタリア気分を味わえた。

 平日の昼間と言うこともあり、既にOLのグループ客が何組かいて、彼女たちがかしましく会話をする声や、カチャカチャと食器が当たる音がそこかしこからしていた。店内には、肉の焼けた香ばしい匂いや、パスタにかかるソースの芳醇な匂いなどが香っていて、食欲をそそる。


 二人が店内に足を踏み入れると、皆が一斉にこちらを見て、一瞬静まりかえった。二人の出で立ちは否が応でも目立つ。一人は髭を蓄えた中国人風の老人と、もう一人はピシッとスーツを着こなした若い女性の二人組である、店内の客たちは何か異質な存在として、奇異の目で二人を見たが、すぐにそれぞれの会話や食事に戻っていった。


 二人は席に案内されると、工藤がメニューを藤本に手渡しながら、

「会長、本当にこちらで良かったのですか。」

と藤本の表情を読み取るような目をして、聞いた。

「もちろん。イタリア料理なんて、宅配ピザかナポリタンぐらいしか食べたことないからね。たまにはこういうのも良いんじゃないか。」

ニコニコしながら、まるで待ちに待った外食に来た子供のように、楽しそうな表情で藤本が応える。

「イタリア料理が時代の波とは言えない気もしますが。」

そんな藤本に、工藤は念を押す。

「まあ良いじゃないか、時代の波でなくても、食べたことないと言うことは乗り遅れていると言うことだよ。」

笑顔で応える藤本の答えを聞いて、工藤は納得し、

「まあそうですね。まずは食べてみろというこうですね。」

「その通りだよ。」

そう藤本が応じ、二人はメニューを見て、料理を選び始めた。


 程なくして水を置きに来たウェイトレスに、二人はバスタとお肉のグリルがセットになったランチメニューを注文した。写真付きのメニューを見ながら、二人は慣れないながらも慌てることなく注文できた。


「こういうところに来ると、初めて洋食を食べに東京へ行った時のことを思い出すな。」

店内を見渡しながら、藤本が話を続ける。

「会長に連れて行ってもらったのが、まるで昨日のことのようです。」

工藤も当時を思い出したのか、懐かしそうな表情になる。

「奮発して銀座で食べた洋食は、今でも忘れられないな。字ばっかりのメニューで何を頼んで良いか分からずに、あたふたしたのが恥ずかしくてな。」

「料理名すら分からずに頼みましたからね。出てきたのが、当時はまったく知らなかった、確かハンバーグにステーキ、パスタとパンと言う、ものすごい組み合わせでしたね。残すのがもったいなくて、必死で食べましたからね。ナイフとフォークの使い方もよく分からずに、苦戦したのも良い思い出です。」

工藤はそう言って、恥ずかしさが蘇ったのか、はにかむような表情で笑う。

「あれはさすがに恥ずかしかったな。後でコースと言うのがあると知った時は、本当に顔から火が出そうだったよ。」

藤本も照れくさそうに笑って、続けた。

「あの頃は色んなものが新鮮だったな。ヨーロッパから色んなものが入ってきて、見るもの聞くものすべてが物珍しく、洋と付けば皆飛びつき、南蛮ものだ、モダンだ、ハイカラだと言っては熱狂したものだからな。」

「当時は鉄道もなくて、何日もかけて歩いて行くか、激しい揺れに耐えて馬車に乗るか、東京湾を船で行くかでしたからね。今みたいに日帰りで東京に行くなんて考えもつかない、そんな時代でしたね。」

五大力船ごだいりきせんとか押送船おしょくりぶねには良く世話になったなあ。今にして思えば、乗り心地は最悪で運賃も馬鹿高かったけど、何日もかけて歩いて行くことを考えたら、当時は充分ありがたかったものだ。」

「ですね。今や2時間ほどで千葉まで、3時間もあれば東京に出られるんですから、時代も変わると言うものです。」

「そうだな。この先どんな時代が訪れるのやら楽しみだな。漫画やSFの世界じゃないが、そのうち瞬間移動ができるようになって、交通機関が軒並みなくなるなんて時代が来たら、まさに驚きだけどね。」

「確かに自動車も鉄道も船もなくなったら、旅情を味わいながらゆっくり旅をするなんてこともなくなるんでしょうね。駅弁を食べながら車窓を眺めて、なんてこともできなくなるのは嫌ですね。」

「そうだな。それはあまりに味気ないだろうな。まあそんなことになるのは、まだまだ先の話だろうけど、なってしまったら、すぐにそんな時代に慣れてしまうんだろうな。旅行先ではゆっくりできるから、現地での時間を楽しむとかね。」

「そうですね。でも時代が変わるって言うのは、なかなか受け入れられないものですよ。千葉に鉄道敷設の計画が持ち上がった時だって、当時の県知事を筆頭にして反対してましたからね。そんなの不要だとかなんとか言って。どうせ利権絡みだったのでしょうが、結局時代に取り残されて、陸の孤島とか言われるようになってしまって。」

「まったくだな。結局割を食ったのは、我々庶民。折角便利なものがあっても、それを享受できない。今の知事にはそんなことのないように願いたいものだな。」


 そんなとりとめない話を二人がしていると、注文した料理が運ばれてきた。

 見たことのないチーズフォンデュとやらが付いてきたので、どうやって食べたら良いのか店員に聞き、二人は食事を始めた。

 チーズを絡めた野菜はシャキシャキとした食感にとろりとしたチーズのうまみが相まって、そんな食べ方をしたことのない二人は目を合わせて驚いた。

 パスタも良いゆで加減で、ソースも芳醇で絶品だった。

 そしてグリルパンから漂う肉の焼ける香ばしい匂いは、否が応でも食欲をそそり、軟らかな肉を一口噛めばうまみがあふれ出し、口いっぱいに広がっていく。

 二人は、懐かしい話やら、これからの未来に思いを馳せながら、このイタリア料理を堪能し、会話を楽しんだ。

 

 こうしてお昼に満足した二人は、県庁へ向かうために、駅ビルから連絡通路を通って、千葉都市モノレールの駅へと向かった。

 以前は地上からバスで向かっていたのが、今はモノレールができ、ビルの5階ほどの高さにあるホームへと上がる。窓の外には千葉の街並みが広がり、眼下にはJRの線路が地上を行き交っている。


 県庁行きの列車が到着すると、ほとんどの乗客が降りていった。ホームには10数名の乗客が待っていたが、県庁行きの列車に乗り込んだのは、藤本と工藤の二人だけだった。車内も数えるほどしか客は乗っておらず、二人並んで座ることができた。


 二人が座席に着くと、程なくして列車が走り出した。

 この千葉都市モノレールは懸垂式の車両で、車両の上にレールがあり、ぶら下がった状態で走る、国内ではかなり珍しい形式のモノレールである。車窓を見ていると、空を飛んでいるような感覚になるのは、下が丸見えなためだ。

 そう言う感覚になるのが苦手な人や、乗り慣れない人、または高所恐怖症の人には堪える感覚だろう。

 しかし、乗り慣れた二人にとっては、いつものことであり、小声で会話を続けていた。


「このモノレールもできた頃はビックリして、乗るのにも緊張したものですが、今やすっかり慣れてしまいましたね。」

そう工藤が切り出すと、

「確かにな。さっきの話じゃないが、時代が変わって古いものが無くなっても、こうして新しいものができ、想像もつかないものが現れて便利になる。良いことではあるんだが、古き良き物がなくなるのは少し寂しいな。

 当時の知事は利権だけで鉄道に反対したのだろうが、その気持ちは、こんな些細な寂しさからだったのかも知れないな。」

「そうかも知れませんね。ただこうして、新しい波に乗れているのですから、そんな寂しさを味わいつつも、新しい時代を楽しめばよろしいのではないですか。こんな未来都市が、この千葉にできるなんて、想像もつかなかったのですから。」

「そうだな。汽船に、陸蒸気、自動車や電気鉄道と色々できたけど、そのたんびに驚かされて、古いものがなくなる寂しさを感じながらも、新しい波に乗り続けてきたのだから、これからもそれは変わらないってことだな。」

「このモノレールに初めて乗った時も、恥ずかしい話、おっかなびっくりだったのが、今や何の躊躇もなく乗れるようになるほど、慣れてしまいました。新しいものは確かに恐ろしく、おっかないものですが、慣れればそんなことはなくなる。そんなものですよね。」

「そうだな。これからも新しい波に乗り遅れないように、年寄りのノスタルジーは物置にでもしまっておかなきゃな。」

「またそんなことをおっしゃって。」

二人は声を出さずに笑った。

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