< 第一章 >  - 第四節 - 「現場」


 田中健太の転職初日はつつがなく終わった。

 建設部のメンバーはわちゃわちゃしていたが、源藤を中心とした、チームワークの良い、仲間と言った感じだった。


 田中よりも若い者が多いが、皆それぞれ現場を任されているプロ集団であった。

 現在建設部が担当しているプロジェクトは3カ所で、一つは鹿野山かのうざんにある大学の研究施設でのビオトープ建設、一つは自治体主導の自然公園整備、もう一つが東京湾の海底公園整備である。そのほかに個人宅の庭園整備をいくつか請け負っていて、戸建てや別荘の造園を手掛けていた。


 メンバーは現場監督として、それぞれ分散して対応している。仙道は森野を連れて鹿野山のビオトープ建設を、京極は自然公園整備を、そして千葉は海底公園整備をそれぞれ担当していた。それぞれの現場は自然環境建設株式会社の建設部が担当し、実行部隊として動いていた。そしてそれをすべて把握して、纏めているのが源藤で、それぞれの現場を必要に応じて査察しながら状況を把握していた。


 現場だけではない。裏方ももちろんプロジェクトにとっても重要な役割である。自然環境建設株式会社には建設部の他に、資材部、技術部、設計部があり、資材部は文字通り建設資材の調達を担当、技術部は建設用作業車等の保守メンテや建設作業に必要な技術を開発、実践を担当、設計部は文字通りプロジェクトの設計を担当する。

 これを纏めて監督するのが、自然環境研究協会の建設部であり、田中が加わった部署である。

 ちなみに、協会の建設部は社内では管理部と呼ばれ、建設会社の建設部と区別している。ただ、建設部と言えば建設会社と協会の建設部をひっくるめた総称を指すのが通例になっている。


 建設部の業務は現場監督だけでなく、プロジェクトのスケジュール管理から、設計、資材、機材、作業員の調達、調整、そして資金の遣り繰りに至るまで、すべてを管理しているのだ。プロジェクトの成否は監督の双肩にかかっていると言っても過言ではない。

 そんな重要な部署がこの建設部なのである。


 彼らが見せた掛け合いは、そんな重圧から少しでも気持ちを和らげる、彼らなりのストレス解消法なのかもしれない。

 田中はそんな部署に配属されたことを知り、確かに給料が良い訳だと納得しつつも、責任の重さに改めて身が引き締まる思いがした。

 

 翌日から早速、田中も現場に行くことになった。源藤についてそれぞれの現場を順番に見て廻ることになったのだ。支給された作業服と履き慣れたスニーカーで出勤し、源藤を助手席に乗せて、社の軽トラで現場へと向かった。

 人を隣に乗せて運転するのは久々のことだったので、運転も慎重になる。幸い、源藤は、黄色信号は突っ込めとか、遅い車はドンドン抜かせといった、違反を促すような人物ではなかったので、慌てることなく自分のペースで運転できた。


(良くいるんだよな、荒っぽい運転を人にも強要するやつ。警察に見つからなきゃ良いみたいな感じで、事故ってからも後悔どころか、良い訳しかしないやつ。その点、この源藤さんはさすがだな。乗り込む時に「安全運転でな」と言ったきり、一切運転には口を出してこないのはありがたい。さすが優良企業の部長さん。事故らないよう気を引き締めて運転しなきゃな。)


 こんなところも優良企業たる所以なのかも知れないと、田中はハローワークの川名さんがこの会社を褒めていたことを思い出していた。


 到着した現場は鹿野山のビオトープである。仙道と森野が担当している現場だ。

「この現場が社で一番得意とする事業だからね。まずはどんな現場か雰囲気だけでも掴んでいって。」

車から降りると、源藤は自慢げにそう言った。

 まずは、現場の作業員にそれぞれ挨拶していく。建設会社のメンバーとは昨日顔を合わせることがなかったので、この日が初顔合わせとなる。

 源藤が声をかけると、

「おう、新人さんかい、よろしくな。」

「はい、田中健太です。こちらこそよろしくお願いします。」

皆手を止めて田中と挨拶を交わした。

 いかにも建設会社の作業員みたいに厳つい格好ではなく、皆会社から支給された作業服を着ていて、雰囲気は土木作業現場と言うよりも、御役所の現場監査のようである。


 作業員が忙しく動き回り、山の斜面を造成しているなかを、源藤に説明を受けながら、ぐるりと廻った。かなり広い現場で、建設会社のメンバーだけでは足りないので、下請けの業者やバイトの学生、更には依頼主の大学からも学生が授業の一環として作業に参加していた。


 作業内容は、造成と言っても、木々を片っ端から切り倒し、ブルドーザーで斜面を削り取っていく、いわゆる宅地造成とは違い、人工池や観察小屋などの場所を除き、自然のままにする。必要な場所のみ樹木を切り倒し、倒した樹木は社の製材所で加工し、木道や杭などにして利用する。また、残った切り株は別の場所へと植え替えるなどして再生を図る。

 切り株は非常に繊細なため、傷を付けないように慎重に掘り起こし、他の場所へ植え替えるのだ。人力に負うところが多いため、この作業が一番大変なようだ。

 またビオトープ内の通路は自然保護の観点から、木道にして、草木や樹木の根を人が踏まないようにする。現場には貴重な植物が自生している場合もあるため、作業には慎重に慎重を重ねる必要がある。そのため作業のほとんどが人力で、重機を入れる場合もかなり気を遣った作業になるようだった。


 今日、この現場には建設会社から13名が派遣されていて、それぞれがプロの仕事をし、下請け業者や学生たちを使って現場を廻していた。

 現在、建設会社の建設部には全部で32名が所属していて、それが今おこなっているプロジェクト3カ所と、個人宅の現場に分かれて作業している。それぞれの現場で、作業ごとに得意な人物を廻すため、日替わりで現場を変える者もいれば、同じ現場を最後まで任される者もいる。特に重機や免許の必要な作業に関しては、その専門者が請け負うので、そう言った者はそれぞれの現場から引っ張りダコとなり、源藤がその調整をおこなっている。


 一通り現場を廻り、途中で会った仙道と森野に事務所に来るよう声をかけて、源藤と田中は、現場事務所のプレハブ小屋に入った。

 現場事務所と言っても、PCが置かれた事務机一つと、部屋の中央に長机があるだけの殺風景な部屋だ。

 社員たちは、全員タブレットとスマホを持っており、作業内容は専用のアプリで確認できるようになっているため、現場で紙の図面を開いたり、書類を持ち歩く必要は一切ない。

 このアプリも協会の電脳部でんのうぶが作っていて、アプリのメンテやアプデも即おこなわれ、社内の要望をすぐに反映できるので、社内の情報共有はこのアプリなくしては成り立たなくなっている。

 このアプリで現場の情報は、社内全体で共有されていて、他の現場から日替わりで来る社員も、現場でいちいち情報を確認する手間が省かれている。

 そのためか、テレビドラマやドキュメンタリーで見るような建設現場の事務所に良くあるホワイトボードや、書類を山積みした机や棚、資料などと言ったものが一切存在していない。殺風景を通り越して、もぬけの殻のようだ。

 

 田中は老舗の企業と聞いていたので、現場も旧態依然としたやり方なのだろうと思っていたが、ITを活用した最先端の作業方法を取り入れた現場に、驚きを隠せなかった。

「会長がこう言う新しい物好きでね、ITとかそう言うものには投資を惜しまないんだよね。だからほら、現場事務所なのに、紙っぺら一枚ないだろ。あるのはトイレットペーパーぐらいなもんだよ。」

 源藤は事務所のパイプ椅子に腰掛けながら、そんなことを笑いながら言った。


 確かに完全ペーパーレスだ。そう言えば入社した時に書いた書類と、社訓と規則のファイル以外は、社内で紙を見ていない。完全ではないがほぼペーパーレスだ。

 前職の会社はそれなりに規模も大きく、業界でも先端を行く企業だったが、それでもペーパーレス化は進まず、6割がまだ紙の書類を扱っていた。

 それが、この会社は九分九里ペーパーレス化を達成している。さすが自然環境を社名に冠するだけある。環境保護には積極的なようだ。

 昨日支給されたスマホには、勤怠管理を始め、社内での情報共有に必要なアプリがインストールされていて、このスマホ一つで事足りるようになっている。

 実は、このスマホも社員証代わりになっていて、機種番号と電話番号が社員IDと紐付けされて管理されている。指紋登録されているため、他の人は使えないようになっている。

 

 田中も事務所のパイプ椅子に座って、源藤から、会社のこと、現場のこと、仕事のことなどをいくつか聞いていると、事務所の扉が開き、仙道と森野が入ってきた。

「お疲れ様です。」

といち早く田中が二人に挨拶する。

「おつかれ。」

とぶっきらぼうに仙道、

「お疲れ様です。」

とアルトボイスで森野、

「二人ともお疲れさん。」

とバスボイスで源藤が、それぞれ挨拶した。

「状況はどうだ。順調か。」

源藤が仙道に状況を確認する。

「順調よ。スケジュール通り進んでるし、問題ないわね。例の赤樫あかがしの切り株は、朝一で掘り起こせたから、スケジュールに影響はないわ。」

仙道が簡単に報告する。

 例の赤樫の切り株とは、根の張り方が異常で、掘り起こしに苦労していたようだ。

「そうか、さすがは我が社のエリート。あいつはしつこかったからな。厄介なやつが片付いて万々歳だな。」

と源藤が言うと、

「持ち上げたってなにも出ないわよ。」

仙道は虫でも払うような手つきで応える。

 いつもの掛け合いなのだろう、田中にとってはこんなやりとりも新鮮である。何せ前職では何でもハラスメントだったからか、社員同士の会話は味気ない、必要最低限のものばかりだったから。

 その後も、現場の状況を一通り確認し、情報の共有をした。田中には、森野が情報共有用のスマホの使い方を教えていた。


 情報共有が一段落すると、 

「ところで、今工藤さんが進めてる新プロジェクトについてなんだが、出る前に話があってな、このプロジェクトが終了したら、取りかかるそうだ。場所は館山たてやま神余かなまりで、まぁこのプロジェクトが終了してからだから、まだ先の話だけど、具体的なスケジュールとか、詳細が分かったらその時は共有するから、そのつもりでいてくれ。」

と、源藤が話題を変えた。今朝出かけ際に、秘書の工藤が源藤を呼び止めていたので、その際に話されたことだろう。

「了解。あの人が手掛けてるってことは、会長絡みでしょ、また気を遣う現場になりそうだな。」

憂鬱そうに仙道は溜息をついた。

「まぁそう言うなって、仙道君しか任せられないんだから。」

そう言って、源藤は右手でサムズアップをし、にかっと笑った。

「どうせ都合の良いように使えるとか考えてるんでしょ。」

仙道はジト目で源藤を睨む。

「そんなことないって、勘弁してよ。」

源藤は顔の前で小刻みに手を振って否定する。

「まぁ私がやるしかないんでしょ。香織ちゃんあなたも連れて行くから覚悟しておいて。」

「えええええ、私もですか。」

「当たり前でしょ。私とあなたは一蓮托生。私の骨はあんたが拾うんだからね。」

「そんなぁ。縁起でもないこと言わないでくださいよ。」

源藤、仙道、森野の三人は大声で笑っていたが、田中だけがついて行けずに愛想笑いをするしかなかった。


「それにしても工藤さんてすごいですよね。会長の秘書で、仕事もできるし、その上美人で、見た目も若々しいし。才色兼備ってあの人のためにある言葉ですよね。」

森野が羨ましそうにそう言うと、

「あの人『永遠の17歳』なんだって。私がバイトで来た時からそんなことを言ってたわよ。最近は聞かなくなったけど、確かに17歳とか言われても、ちょっとしっかりした女子高生と言っても通じるわよ。セイラー服着せたら、その辺の女子高生よりも似合うんじゃない。」

高校の頃からここでバイトとして入って、長年工藤を見てきた仙道がそんな風に言う。


(永遠の十七歳?今時そんなことを真面目に言っている人がいるのか?まぁあの工藤さんなら17歳でも通りそうだけど。確かに見た目は20代か30代前半かなとは思ったけど、話を聞いてるとおそらく40代でしょ、いくら何でも無理があるだろう。)

田中は口には出さないが、二人の会話に突っ込みを入れた。


「ですよねぇ。肌も綺麗だし、無理して若作りしてるって感じがないし、化粧でごまかしてるとかそんな感じでもないでんすよね。少なくとも仙道さんよりも年上ですよね、いくら永遠の17歳とは言っても。それであれだけ綺麗なんて、どうやったらあんな風になれるのかなぁ。」

森野がキラキラした目で、胸の前で両手を重ねて拳を作り、羨ましそうに言う。身体は大きいが、中身は二十歳はたちそこそこの乙女だ。

「あんた私に喧嘩売ってる?あんたには無理よ。あの人の節制ぶりを聞いたら、絶対真似できないから。」

と仙道が水を差す。

「えええええ、どうしてですか。そりゃ私はこんななりですけど、頑張れば少しはって思うじゃないですか。」

口をとんがらかして森野が返すと、

「努力するのは自由だけど、あの人、酒タバコは一切しないし、食事も制限かけてるから、決まった時間の三食だけだし、ビーガンじゃないから、しっかり肉や魚も摂るけど、それ以上に野菜を大量に摂ってるの。当然、ジャンクフードのたぐいは一切口にしないのよ。あなたそんなストイックなことできる?野菜より肉、飯よりお菓子好きのあなたが。」

「無理ですぅ。」

仙道にまくし立てられ、一気に意気消沈した森野に、

「あなたはそのままでも可愛いんだから、変な努力しないで、自分の中身を磨きなさい。まぁお菓子を制限する努力はするべきだと思うけど。」

と励ましとも、追い打ちとも取れる言葉を仙道が投げかける。

「分かりましたぁ。って仙道さん、お菓子の制限だけは勘弁してくださいぃ~。」

「じゃ諦めることね。」

「そんなぁ。」

お菓子を取るか美を取るかで、森野は悩み始めたが、

「はい、休憩終わり、続きの作業始めるよ。」

仙道は森野に引導を渡して、作業に戻ろうと立ち上がると、

「部長、田中さんも現場見て貰うんですよね。」

と源藤に確認を取る。

「あぁ、一応簡単にぐるっと回って説明してあるけど、詳細は任せた。田中君、彼女に色々教えて貰って。現場のことは、彼女が一番詳しいからね。」

「分かりました。仙道さん、よろしくお願いします。」

田中が頭を軽く下げると、

「そんな畏まらなくて良いですよ、その代わりビシビシ行きますから。」

と言う仙道に、田中がえっと驚いた顔をすると、

「冗談ですよ、冗談。何でも聞いてください。これでも部長の『次に』古参なんで。」

と仙道は「次に」を強調して言う。

「おいおい、人をまた年寄り扱いして。」

と拳を挙げる源藤に、

「さぁ、お年寄りは置いといて、行くよ。」

と仙道はどこ吹く風で、事務所を後にした。田中と森野は慌ててその後をついて行った。

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