< 第一章 > - 第二節 - 「面接」
履歴書を取りに自宅に戻ると、身だしなみを整えるために、さっとシャワーを浴びた。
浴室から出て、クローゼットを開けると、中から薄緑のポロシャツと白のパンツを取り出した。このポロシャツは比較的最近購入した一枚で、まだ縒れもほつれもなく、色も派手さを抑えた感じで気に入っている。
パンツはいつもの白だ。彼が持っているパンツはスーツやジーンズを除いてほとんどが白だ。なぜ白が好きなのかは、彼自身考えたこともないが、とにかくパンツを買う時は大抵白を選んでいる。
そして、上からライトグレーの薄いジャケットを羽織り、少しフォーマル感を出して、靴は黒のオフィスカジュアルにした。
家を出て、バスでJRの駅に向かい、そこで乗り換えてから、さらにバスで先方へと向かう。
最寄りのバス停から、少し歩いたが、さほど苦になるような距離ではない。暫く続いた垣根の脇を行くと、5分ほどで正面玄関に到着した。
入り口は鉄製のゲートで閉じられ、脇の通用門の門扉も閉じられていた。門柱には大きく「自然環境研究協会」と書かれた板が掲げられていた。
彼が、門柱に備え付けられているインターフォンで来訪を伝えると、通用門の門扉が自動で開いた。
敷地内に入ると、正面右には十台程の駐車場があり、トラックやクレーン車、ショベルカーなどが数台置いてあった。
正面のロータリーを抜けた先に、これが社屋なのだろう、三階建ての建物があった。白い外壁は清潔感に溢れ、およそ50mほどはある正面は風格さえ感じる大きさである。奥には駐車場に面して、三階に届くほどの大きなシャッターが備え付けられており、建設車両や資材の搬入をするのだろう。
ロータリーの左側から社屋の奥にかけて竹林が広がり、傾きかけた日差しが差し込んでいた。
竹林の神秘的な雰囲気と、白い巨大な建物との雰囲気は、どこかアンバランスでもあり、調和が取れているようにも思える、不思議な違和感を見る者に与えていた。
大きなガラス扉の正面入り口を入ると、女性職員が出迎えてくれた。
「田中様ですね。お待ちしておりました。こちらへどうぞ。」
彼は女性の後に続いて、応接間に通された。
暫くこちらで待つように言われ、出されたお茶に礼儀として一口口を付けた。
就職面接なんて二十数年ぶりのことなので、少し緊張はしたが、持ってきた履歴書を準備して、面接官を待った。
暫くして、ドアにノックがあり、グレーのスーツを着た若い女性と、その後ろからあまり見慣れない服装をした白髪の男性が、杖をつきながら入ってきた。
椅子から立ち上がって、彼らを迎えると。
「どうぞおかけください。」
どこか透き通るような声で女性が着座を促してくれ、見慣れない服装の男性のために椅子を引いていた。
二人が座るのを見届けてから、彼も椅子に座った。
「
やはり、透き通るような声で、女性が名刺を差し出した。
キビキビとした感じから、仕事ができる女性感が伝わってきたが、嫌みな感じはなく、むしろ好感の持てる感じの女性だった。
「
こちらの男性は、なにか物腰の柔らかい、どっしりとした声で、老人特有の掠れや震えと言った感じはなく、見た目に反して若々しい声をしていた。
工藤美咲と名乗った秘書の女性は、一般的なグレーのスーツにパンツ姿で、できる女性感があった。
しかしそれとは対称的に、会長の藤本隆一は、一見作務衣のように見えるが、よく見ると日本ではあまり見たことのない、ちょうど中国の武侠映画にでも出てきそうな服装をしていた。
全身白を基調とした生地で、独特の襟とゆったりした長い袖が付いた服装だった。前面をチャイナボタンで留めていたので、田中は作務衣と見分けが付いたのだ。そして頭には見慣れない形の小さな白い帽子を被っていた。
口から顎にかけて白く長い髭が蓄えられ、会長というよりは長老と言った面持ちで、年の頃は七十代から八十代にも見える。
中華風の装いをした藤本隆一は、杖をついてはいるものの、
一見穏やかな好々爺と言った感じの、物腰も柔らかい老人に見えるが、その一方で、自己紹介の声には重みのある響きがあり、眼光は鋭く、田中は自分のすべてを見透かされているのではないか、という錯覚に襲われ、言い知れぬ不安感が増していった。
田中が履歴書を差し出すと面接が始まった。
「田中健太です。43歳になります。前職は人材派遣会社で人材管理を主におこなっていました。趣味はハイキングと読書で、週末には近くの山に良く行きます。連休があれば、足を伸ばして神奈川や山梨の方までバイクで出かけて、泊まりがけで山登りを楽しむこともあります。」
彼は名前や年齢、経歴、特技、資格などを緊張しながらも一通り紹介し、事業内容を詳しく聞いた。
「この会社の基本業務はコンサルタントです。自然環境研究協会という名前の通り、環境保全に関する研究やコンサルタント業務を主におこなっています。
例えば自治体の自然公園の管理や、自然保護区の管理業務に関するコンサルティングなどをメインにしていまして、大学との業務提携などもしております。
また、自然環境建設株式会社と言う子会社があり、自然公園やビオトープなどの管理保護区のような場所を建設し、野生動物や植物の生息をサポートする事業もおこなっています。」
工藤美咲が詳しく事業内容を説明してくれた。
確かに会長の名刺には、自然環境研究協会の隣に自然環境建設株式会社の名称も入っていた。秘書の名刺にはなかったが。
「田中さんにしていただきたい業務は、当面の間、自然環境建設株式会社の業務を管理していただきます。その傍ら、私たちのコンサルタント業務について学んでいただき、徐々にコンサルティングできるようになっていただければと考えています。現場に出ていただくこともありますので、出勤はスーツではなく私服でかまいません。作業着などはこちらでご用意いたしますので。」
一通り業務内容の説明を受け、いくつか質疑応答を済ませると、それまで田中をじっと見ているだけで、最初の自己紹介の時以外、ずっと沈黙していた会長の藤本隆一が口を開いた。
「田中さん、すまないがそこに立って、全身を見せてくれないか。」
どっしりとした重い声で彼に起立を促した。
面接で全身を確認されるなんてことは初めてだったので、少し戸惑ったが、彼が立ち上がると、前からも後ろからも、全身を暫く観察された。
あの眼光鋭い目で見つめられていると思うと、ライオンの前に差し出された小動物のようで、生きた心地はしなかったが、それにもめげず、求められるままに全身を隈無く見せた。
「田中さんどうもありがとう。どうぞおかけください。工藤くんどう思う。」
田中に椅子を勧め、ようやく鋭い眼光から彼を解放した藤本は、工藤の方を向いて確認をした。
何を確認され、どう思われたのか不安に思いながらも、田中は椅子に座り事の成り行きを見守った。
「会長がよろしければ、私に異存はございません。私も逸材だと思います。」
工藤も会長の方を向き、穏やかな微笑みとともに、頷き返した。
「そうか、彼は良い体躯をしている。自然に親しむ心もお持ちのようだ。」
顎髭をしごきながら、藤本がそれに応じる。
暫く工藤と藤本が相談していが、どうやら結論に至ったようだ。
「そうですね、我が社の社風にも馴染んでいただけそうです。」
「そうだな。では合格としよう。」
目の前で自分の採用に関する相談を見る羽目になり、内心生きた心地がしなかったが、結局二人は田中健太の採用を決めたようで、藤本が田中の方に向き直り。
「田中さん、あなたを採用することにしました。これから我が社でその能力を遺憾なく発揮してください。期待していますよ。」
重みのある声で採用を告げた。
採用を告げられた田中は、多少のプレッシャーを感じながらも、採用と決まった喜びで、思わず立ち上がった。
「ありがとうございます。よろしくお願いします。」
そう言って、深々と頭を下げた。
こんなに早く採用が決まるとは思っていなかった彼は、戸惑いながらも、翌週から働くことに決めた。
それまで無口だった藤本が話しかけてきて、田中は彼と雑談をしながら、工藤が提示する書類に署名をして、最後に出勤日時を確認し、その日の面接を終えた。
なんとも呆気ない採用となり、この半年苛々と戦いながら過ごしてきたのが嘘のように晴れやかな気持ちで、帰宅の途についた。
会社から出て暫くしたところで、ハローワークに電話を入れ、川名さんに直接お礼の言葉を伝えたら、川名さんは自分のことのように大喜びしていた。なんか面映ゆい感じがした。
ハローワークを出る時に感じた言い知れぬ期待感や不安感が、今や前向きな期待感と不安感に変わり、心の中のマグマ溜りが冷えていくのを感じた彼だった。
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