エピローグ 黄昏の終わり(1)

 わたしはハナコとおじいちゃんの友人が入院している部屋で目を覚ます。

 室内を見渡せばユウコとイブ、そしてハナコがいた。キララがいないのは戻ってきたのが魂だけで肉体のほうに合流したからだろう。

「ようやく戻ってきたわね。首尾は……上々といったところか」

 キョウカはわたしの心を読んで先回りすると深く息をつき、近くに置いてある椅子に腰掛ける。心を一つにまとめ続けるのは相当の重労働だったらしい。

「いや、疲れたわけじゃない。個性の強い心が混ざって、なんとも言えない読み心地で……」

 複数の絡まった心を読むのが好きというのにも限界はあるらしい。労いの言葉をかけるべきかと思ったが、そんなわたしの心を読んだらしくにやにや笑いを浮かべたから、喉の奥に引っ込めた。 

 ハナコはベッドで眠る過去の友人を見て安堵の表情を浮かべる。ここに来た時は酷い有り様だったが、今は穏やかに寝息を立てている。カルテの内容によればこれからもガンの治療を続けないといけないわけだが、夢の中でかつての友人に殺されるよりはマシであると信じたかった。

「じゃあ、一足先に帰るかな。あの約束、忘れないでね」

 キョウカはキララの安否を確かめることなく、ふらふらと部屋を後にする。疲れたわけじゃないと言っていたが、彼女もまた力を尽くしてくれたのだ。

 この場をハナコに任せるとわたしたちはキララの様子を見に向かったが、その少し前で立ち止まり、咄嗟に身を隠す。キララの病室に医師や看護師が入っていくのを見たからだ。

「どうやら無事に意識が戻ったみたい。今は医師が色々と質問してる」

 最悪の可能性はイブがすぐに否定してくれて、わたしとユウコはほっと息をつく。

 一刻も早くキララのもとに駆けつけたかったが、わたしたちは不法侵入者だ。そんなことをすれば無用の混乱を生むことになる。それに一報を聞いた両親が大急ぎで向かっているはずだ。

「目を覚ましたなら急ぐ必要もないし、落ち着いた頃を見計らって見舞えば良い」

 イブとユウコが揃って頷いたところでわたしのスマホに電話がかかってくる。表示されている番号はわたしたちがいる病院のものだった。

 人気のない所まで移動して電話を取ると病院の関係者で、祖父がたったいま目覚めたことを教えてくれた。わたしは自宅にいる振りをし、すぐに向かいますと答えてから電話を切る。

「おじいちゃんも目を覚ました」

「花婿様が? なら今すぐ向かわないと!」

 興奮するイブの口を慌てて塞ぐ。さっきまで思慮深かったのに、祖父が無事と知ってすっかりと緩んでしまったらしい。

「今から支度して、公共交通機関で病院に行くということにした。すぐに顔を出せば無用な疑いを招くことになる」

 一から説明するとイブは理解を示し、わたしの手をやんわりと外してから咳払いする。みっともなく取り乱したことへの恥じらいは持ち合わせているらしい。

「病院を出て、適度に時間を潰す」

 そんなわけでわたしたちは影に隠れながらこそこそと病院を後にした。

《無事に目が覚めたようで良かった。近いうちにお見舞いに行くから》

《今からお見舞いに行く》

 それからキララと祖父にそれぞれメッセージを送り、夜遅くでもやっているファミレスに入ると、軽く摘めるものをそれぞれに注文する。

「今回は本当に駄目かと思った」

 周りに人がいないことを確認してから、ユウコがしみじみと呟く。

「生きて帰れたのはサオリとハナコのお陰だな」

「さっきも言ったけど、わたしが勝てたのは良い条件が重なっただけ。実力からは程遠い」

 本心を口にすると、イブはまったくだと言わんばかりの顔をした。

「そうそう、運が良かっただけよ」

「何も良いところなく氷漬けにされたのはどこの誰だったっけ?」

 茶化してくるイブに棘を刺すと早々に口をもごつかせる。今回ばかりは本当に、反論のしようもないようだ。

「色々弁解したいけど、言っても虚しいだけね。わたしの力は黒いハナコに通用しなかったもの」

「でも、それ以外では十分に役立った」

 イブが暗い表情を浮かべたので少しだけフォローする。それに彼女の力が要所要所で役立ったのは間違いのないことだ。

「そうそう、今回も虹髭の時みたいな超人ムーブができた。イブさんには感謝してるって」

 ユウコもわたしに続いてイブを持ち上げる。

「そう? なら良いんだけど」

 いつもならここで鼻を高くしていつものペースに戻りそうなものだが、イブは自嘲の笑みを浮かべるだけだ。

「それだけでは満足できないの?」

「二人の気持ちは嬉しいけど、圧倒的な力で敵をねじ伏せられない程度のわたしが花婿様に勝てるかなと思ったの」

 なるほど、イブが憂慮しているのはこれからのことなのだ。

 祖父に戦いを挑み、正面から打ち勝ってお山に攫うという当初の目的を諦めていないのは見過ごせない事実だが、今の祖父に天狗を調伏できるとはとても思えない。

 だが、そのことを口にはしなかった。祖父の素晴らしさを延々と説かれる気がしたからだ。

 程良く時間を潰したところでファミレスを退店すると、改めて病院を訪ねる。夜間受付で事情を話すとやって来た看護師に案内され、わたしたちは祖父が入院している部屋に足を踏み入れた。

 覚醒後の問答がちょうど終わったらしく、担当の医師はわたしたちが入ってくるのを見ると祖父の容態をこと細かに説明してくれた。

 ここ数時間ほどで衰弱が進み、一時は最後が来たのかと覚悟したらしいが、急激に持ち直して覚醒まで進んだとのこと。体は弱っているが二週間近くも眠り続けたにしては驚くほど意識がはっきりしており、受け答えも明瞭。明朝に検査を実施してから今後の方針を決めたいとのことだった。

 医師の説明が終わり、少しだけ話をして良いとの許可をもらったので祖父が眠るベッドの側に近寄る。栄養を点滴だけで補っていたためかやつれてはいるものの、わたしを見る目はしっかりしていた。

「儂はどうやら、みんなに盛大な迷惑をかけたらしい」

 まるで他人事のような祖父の物言いに、わたしは思わずむっとしてしまった。

「かけた。物凄くやらかした。今日は細かく説明できないけど世界を滅ぼしかけた。でも大事には至らなかったし、誰も迷惑とは思っていない」

 わたしの畳みかけるような物言いにユウコは仕方ないといった調子で頷き、イブは仄かに顔を赤くしながらこくこくと頷く。

「足の治りも良くなるはず。だからリハビリをしっかりとこなして元気になること。おじいちゃんには向き合わないといけない相手がいるから」

 そう言ってイブの脇腹を小突くも、指をもじもじとさせて恥ずかしそうに俯くだけ。こいつは祖父の前だと置物にしかならないようだ。

「分かっとる、決闘だろう」

 祖父はわたしの少し後ろで立つイブに、溌剌とした視線を向ける。

「すまないが、あと一ヶ月だけ待って欲しい。万全とまではいかないが、満足に戦えるよう心身を整えておく」

 イブは一呼吸おき、ふんと鼻を鳴らす。その顔はいつもわたしやユウコに見せるような自信に満ちていた。

「ええ、当然よ。わたしは元気なあなたと戦って勝ち、堂々とお山に連れていくの。そして、半世紀前に果たせなかったけ、けっ……」

 イブはごほんと咳払いする。ばっちり決めようとして盛大に噛んだらしい。

「眷属として迎え入れましょう。そのことを光栄に思うべきね」

「おお、それは怖いなあ。心してかからないと」

 祖父のイブを見る目は優しい。だがそれは、わたしを見る目とそう変わらない。五十年余の年月はイブに対する感情を想い人から愛し子へと変えたのだ。

 イブにとっては残酷な事実だが、わたしは少しほっとした。祖父が今もなおイブに強い想いを抱いているのだとしたら、どう接して良いのか迷うところだったから。

 いまできることは少ないし、夜も遅いからあまり長居をするわけにもいかない。明日の午後に改めてお見舞いに来ることを伝えると、入口付近で待機している医師や看護師にバトンタッチして、わたしたちは病室を、そして病院を後にする。

 イブは決闘の約束を取り付けてすっかり浮かれており、ユウコはといえばぼんやりと考え事をしていた。

「どうしたの、心配事?」

「うん、父さんのことを考えてた。悪い夢のせいで気が滅入ってたけど、良くなるのかなって」

「心労の原因が取り除かれるのだから、改善されていくとは思うけどね」

 わたしが答えに悩んでいると、イブが横から口を挟んできた。

「自罰的な性格だと引きずるかもしれない。要観察かな」

「ごめん、わたしのことばかり心配してた」

 忘れていたわけではないが、唯一の家族である祖父のことを最優先にしたのは間違いない。ユウコにも大事にしている人がいるのに、考えてあげられなかった。

 そんなわたしの謝罪をユウコは軽く笑った。

「サオリのじっちゃんは命の危機だったし、放っておけばもっと多くの人が死ぬことになった。優先するのは当然だよ。でも、無事に解決したし、お言葉に甘えて父さんの様子を見てくるかな」

 ユウコはわたしが気に病まないようフォローしてくれたし、気分を害している様子もない。だから、いつも通りに接するしかなかった。

「分かった。その……力を貸してくれてありがとう」

「サオリにはいつも世話になってるから。これで少しでも恩を返せたかな?」

 わたしがユウコに貸している恩なんて本当に些細なものだし、わたし自身の打算や邪さが多分に含まれている。感謝される筋合いはないが、そのことを口にしてユウコに何故と訊かれたくなかった。今はまだ、その答えを言葉にしたくはない。だから、曖昧に頷くだけだった。

 ユウコが家に帰り、二人だけになるとイブはわたしの脇腹を肘で突いてきた。

「うざい。言いたいことがあるならはっきり言ったらどう?」

「別に。ただ、なんでもそつなくこなすくせにこういう時だけ不器用だなと思って」

 イブにだけは言われたくなかったが、それを口にすれば墓穴を掘ることは分かっていたから黙って睨みつけるに留めておいた。イブはおおこわいこわいとわざとらしく身震いし、夜道を楽しそうに歩いていく。

 イブにも改めて感謝の言葉を送るつもりだったが、胸の奥に引っ込めた。

 そしてこの天狗を祖父がこてんぱんにやっつけるよう、心の底から祈るのだった。



 その祈りは一月後、見事に叶うことになる。

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