第四話 黒い靄(6)

 病院を出ると十件のメッセージが入っていた。そのうちの六件はわたしの仕事関連の知人で、赤い空と燃える街の夢を見た人が何人かいるとの報告でほぼ統一されていた。やはりわたしの周りだけでなく、もっと広範な影響を与えていたようだった。

 残りの四件はヒナタ、ヒカゲ、キララ、ユウコから一件ずつだった。

《モトコを護るって言ったのに初日から遅刻してごめんなさい》

《次の日からはどんな夢を見ても遅刻しない》

 会話だけでなくメッセージでもニコイチの発言なのがヒナタとヒカゲらしかった。わたしは二人にグッドの絵文字を返し、次にキララのメッセージに対応する。

《男子八名、女子三名、例の夢を見ている人がいました。他にももっといそうですね》

《赤い空を見ている人は?》

《そちらは男子が一人だけですね》

 どちらも黒い靄が原因だとしたら、この偏りはおかしい。

 赤い空と炎の街の夢は同じ原因が見せていると考えていたが、もしかしたら別の要因によるものかもしれない。

《分かった、夜の配信でも訊いてみて。あと、夢の中でゆうやけこやけの歌を聞いた人がいるかどうかも確認して欲しい》

《ゆうやけこやけの歌って、山のお寺の鐘がなるってやつですよね。分かりました、そっちもリスナーに聞いてみます》

 キララへのメッセージを返し終えると最後にユウコのメッセージを確認する。

《父から少しだけ話を聞けた。街が燃えていて、どこにも逃げ場はない。人が次々に悲鳴や苦悶を残して死んでいき、最後には自分一人になった。燃えた人たちは黒い靄になり、空に消えていく。それでも炎が収まることはなく、夜なのに夕焼けの街を歩いているようだった……とまあ、まとめて見たらそんなところだな》

 ユウコの父親が見たのは非常に鮮明で残酷な夢だったようだ。かつてユウコを散々苦しめたけど、その報いにしてはあまりにも惨い代物だった。

 それはさておいて、ユウコのメッセージには気になる点があった。

《ありがと、ユウコ。ところで、炎に燃える街を夕焼けと表現するなんてかなり独特な気がするんだけど》

《わたしもそう思って訊いたらさ。どこかから歌が聞こえてきたんだって》

《もしかしてゆうやけこやけの歌?》

《うん、サオリの言う通り。悪夢の最中にそんな歌が聞こえてきたら、そりゃ引きずられるよね》

 祖父の夢とユウコの父の夢は同じものか、極めて近いものである可能性が高くなってきた。事件の中心に祖父がいることはどうやら間違いなさそうだ。

《喧嘩仲間にも話を振ってみたけど、燃える街の夢を見たのは男が五人、女が二人》

《男女比はかなり男に偏っている。となるとバレンタインのチョコ経由って推測が当たっていると見るべきか》

《そうじゃないかな。一番酷い夢を見たのは男五人の中で一番もてるやつだから》

《夢の強さ、鮮明さは黒い靄を取り込んだ量に比例する。物質的ってことか》

 神や霊は物質によらない。特に力のある神ならほぼ際限なく御霊を分けることができる。もし黒い靄にそれができるなら、わたしたちは何をする間もなく詰んでいたに違いない。

 また一つ敵の正体に迫る情報が手に入った。だが事件の解決にはほど遠い。まだ情報が足りないのか、それともこちらで気付いていない何かがあるのか。

 神社に戻ってからイブに祖父との会話の内容、方々を当たって集めてきた情報を共有する。彼女はそわそわと視線をあちこちに向け、指でテーブルをこつこつと小刻みに叩く。ひどく真剣で、こちらから声をかけられるような状況ではないから、じっと黙ってイブの様子をうかがい続けた。

 数分ほどして考えがまとまったのか、イブは相変わらずの真剣さでわたしに訊いてきた。

「サオリはどうして夢を見るか知ってる?」

 いきなりの話に戸惑いながら、わたしは自分の中にある知識を引っ張り出した。

「眠ってるときに脳が記憶の整理をしてるからって聞いたことがあるけど」

「ええ、その通り。夢は睡眠時の脳内活動の副産物として見るものなの」

 古い天狗のくせにイブの解釈は現代の科学に基づいている。もっと古風な解釈を出してくると思っていたわたしは若干拍子抜けしてしまった。

「悪い夢というのは抑圧の軽減作用によって見てしまうものだとされている。人間の脳は進化による偶然の産物であり、脆くて壊れやすいものだけど、意外と上手くできているのよね」

 他人事のように語っているが、重大な示唆であることは伝わってきた。

「おじいちゃんの悪夢を多くの人に見せているのも同じ効果を狙ってのことだと言いたいの?」

「可能性の一つだけどね」

「だとしたら黒い靄は祖父の心的外傷を癒そうとしているの? 何のために?」

 祖父を救うため、というのはいくらなんでも甘すぎる考えだろう。それなら虹髭を生み出す必要も、ヒナタとヒカゲを暴れさせる必要もなかったはずだ。

「抑圧の終了としての開放。黒い靄が狙っているのはそれかもしれない」

 イブもまた甘いことは考えてはおらず、いつもよりも低い声で持論を口にする。

「夢を見なくなったのは業からの開放だと言ったけど、おそらく真相は逆なのよ。ストレスを解消せず、強い抑圧によって心を制し続けてきたの。悪心はずっと花婿様の胸のうちでくすぶり続けていたに違いない」

「イブの言うことが正しいとしたら、この街の人たちが見る夢はおじいちゃんを悪に堕とすの?」

「かもしれない。ただ、これはあくまでも推測の域を出ないし、花婿様の内にある黒い靄がどうして急に活動を活発にし始めたのかは未だに分かっていない。サオリの部屋で何かを見たと言ってたけど、花婿様の心を千々に乱す一体どのようなものを見たのかしら?」

「その頃のことが一部どうしてもはっきりしない。祖父の入院、天邪鬼の件と面倒が重なったとはいえ、わたしは象と同じくらいには忘れないはずなのに」

「ちょっとスマホを見せてもらっていい? わたしならもっと情報を読み取れるかもしれない」

 スマホの中身を見せるのは少し躊躇われた。他人のプライバシーを晒すことになるし、顧客情報も少し入っているからだ。それでも他に手はなさそうで、イブに渋々スマホを渡した。

「見るとこ見たらすぐに返して頂戴」

 イブは大丈夫大丈夫と言いながら受け取り、軽快な操作でメールやメッセージを確認する。自称数百年を生きてきたとのことだが、そのふるまいは現代人とまるで変わらない。この適応力は祖父と似ているところがあるなと思うしかなかった。

 十分ほどチェックしてから、イブはスマホを返してくれた。わたしは悪戯メールやメッセージを送ってないかどうかを確かめ、それから笑いを堪えているイブを睨みつける。

「天邪鬼に悩まされてた後輩を死ぬほど心配していたというのはよく分かったわ」

「それ以外で特筆すべきことはあった?」

「花婿様の入院のこと、迫り来る年末に向けての準備が大変なこと、ユウコへの虐待をどうやったら止められるのか悩んでいたこと」

「どれも記憶しているし、認識している」

 イブはふむと頷き、顎を掻く。この分だとあまり芳しくなさそうだ。

「あとは十一月に一度、夜不可視の活動を計画していたことくらいかな」

 そう思っていたら記憶にないことがイブの口から飛び出した。

「十一月に夜不可視の活動は行わなかったはず。十二月の間違いじゃないの?」

「いや、確かに書いてあった」

「テーマはなんだった?」

 十二月の活動テーマは虹髭のサンタクロースを見つける、十月は体育祭を中止にするため放たれようとしている呪いの正体を探り当てるだった。

 キララはいつも、何らかのテーマを決めて活動を行う。今月予定していた無目的な夜回りは、何も見つけられない状況が続いているからこその苦し紛れだったはずだ。

「分からない。夜不可視の活動をするとだけ書かれてて……」

 イブは気だるそうに頭を振る。他のことを思いだそうとしたが、上手くいかないようだった。

「駄目、思い出せない……いや、読んでるし、覚えてるけど認識できてないのかな」

「つまりスマホには詳細が記録されてるってこと?」

「おそらくは。記憶し続けるのは難しいけど忘れさせる、認識を阻害するのは割と簡単にできるの。情報同士の繋がりをいじくれば良いだけだから。程度の低い妖怪や悪霊でさえ多用してくるし、手慣れてるやつなら強力な神仏や妖怪でさえ時には手玉に取ることがある」

 キララの家族を襲った天邪鬼がその典型だった。認識していてなお、捻くれたものの考え方、逆さまに向かう気持ちに抗うことができなくなる。わたしがあいつを楽に倒せたのは機先を制したからというのが大きい。

「認識の阻害を解決するには時間がかかるの。医療技術が発展すれば脳の全マップと記憶されている情報の照合、適切な信号の送信によって即時解決できる見込みがあるけど」

「人ならざる者の特別な力とかないの?」

「人の何十倍、何百倍もの記憶を持ってるってだけだし、むしろ人間より解決に時間がかかる場合もあるのよ。力のある神や妖怪なら多重化処理で回避できるけど、非常に面倒な術だから律儀にやってるのは記憶と認識が最重要な一部の閻魔くらいね」

「なにそれ、サーバの冗長構成みたい」

「逆に言うと人ならざる者だけが成し得る領域に、人間がどんどん踏み込んでいるということ。人が神に近づきつつあるなんて考えは傲慢なんて声もあるけど、残念ながら事実なのよね」

 イブはそう締めくくり、へらへらと笑う。そんなもの、自分にとっては大したことではないと言いたげに。

「努力はしてみるけど、もっと周辺証拠を集めたほうが良いかもね。矛盾が増えていくほど、認識阻害は働きにくくなる傾向があるから」

「分かった、キララとユウコに訊いてみる」

 これまでの話を早速メッセージでキララとユウコに送信する。キララからはすぐに答えが返ってきた。

《十一月に何も活動を行っていないのは、言われてみれば確かに変ですね。現に一月二月と何もできなかったことに焦りを感じていますし》

《実際には何かをやった、あるいはやろうとしたけど認識できなくなったってことだと思う》

《ふむ、覚えていないのとは違うわけですね。ちょっと待ってください、当時の情報を調べてみます》

 そしてキララと入れ替わるように、ユウコからの返信があった。

《言われてみれば確かに変だけど、何も覚えてないなあ》

《では、印象に残っていることは?》

《キララの家族に起きたこと、父さんの暴力のこと、イブさんがやってきたこと、サオリの生傷が絶えなくなったこと……あと、サオリにクイズを出されたこと?》

《クイズってどんなもの?》

《それが全く思い出せない。クイズを出されたことは覚えているのに質問内容が浮かんでこない、なんてことあり得るんだろうか?》

《いくつか症例は浮かぶけど、ユウコには当てはまらないと思う》

《だろうな。すると誰かに忘れさせられた?》

《可能性は高いと思う。わたし、ユウコにどんなクイズを出したんだろう》

 キララには同じ質問をしたんだろうか。メッセージで訊いてみると、少し間を置いてから返ってきた。

《そんなこともあったような気がしますけど、何も浮かんでこないですね》

 とっかかりになると思ったが、キララはユウコのようにクイズのことを認識できていないようだった。

 三人して発言が止まり、手がかりが途切れたかと思ったらキララが、

《一つ見つけたかも》

 とメッセージを送ってきた。

《十一月の配信をチェックしていたんですが、一個飛んでるんですよね。例の天邪鬼騒動が起きる直前の回だと思うんですが》

《何か用事があって配信をやらなかったとか?》

《天邪鬼のことがあったからその週の金曜日は配信する気分じゃなくて一回飛ばしたんですが、火曜日は配信したと思うんですよね。いや、記憶はないんですけど》

《キララがそう思ってるなら正しいのかな?》

《多分、割と熱心にやってる趣味だし》

《ですです。今日の配信でそのことも訊いてみますか?》

《うん、お願い。矛盾が増えるほど認識阻害は働きにくくなるようだから》

《了解しました。もうすぐ配信を始めますからたまには観てくれていいんですよ》

 友人がキャラを作ってやってる配信は観ていて気恥ずかしくなるからあまり覗かないのだが、今日の配信は確認しておいたほうが良さそうだ。

 パソコンを起動し、キララちゃんねるのライブ情報を確認する。あと五分ほどで開始とのことなので、ページを開いて待機する。

「こういうの、わたしもやってみたら楽しいのかもね」

 隣で様子をうかがっていたイブが素っ頓狂なことを口にする。

「どんな配信するのよ。不思議な力を持つ天狗ってキャラで売ってくわけ?」

「それはなんだかありきたりじゃない?」

「ありきたり……いや、言いたいことは分かるけど」

 人外を自称してそれっぽいアバターで配信するなんて、ここ数年ですっかりありふれた。もう一つか二つは個性がないと完全に埋もれてしまうということだろう。

「そうね、誰も知らない日本の歴史ってどうかしら。書物に残るようなことって限られてるし、有名人のちょっとした失敗とか恥ずかしいことをぶっちゃけるとウケそうじゃない?」

「資料に残っていないことってどれだけ真に迫っていても、詳細に語っても信じてもらえないと思う」

「そっかな、それっぽく語れば意外に信じてもらえそうな気もするけど」

 などと馬鹿なことを話しているとライブ配信がアクティブになり、チャンネルのロゴが表示される。タイトルコールやオープニングもあるし、高校生の個人作成としてはなかなかに凝っている。

 オープニングが終わると金髪に眼鏡をかけた、幼そうな容姿のキャラが現れる。ホラーや都市伝説を語るにしては明るい色合いだが、キララはこのギャップが絶対に必要と力説していたし、実際に同接も結構来ている。コメントは割と頻繁に書き込まれているし、キララは変声器で高めに調整した声を操って愛想良く返答していく。

「へえ、手慣れてるのね。今度配信のコツとか教えてもらおうかしら」

 などと呟いているイブを無視し、キララの配信に神経を集中する。

「昨日はバレンタインだったけど、みんなどうだった? わたしは誰からももらえなかったんだけど」

 イブはくくっと笑い、わたしは小さく息をついたのち、ホワイトデーにお返しするからとメッセージを送った。

 コメントは女子だから渡す側じゃん? 女子でも仲の良い友達同士でチョコを渡しあったりするとか普通だろ、などといった話題で盛り上がる。

「それで一人寂しく夜道を歩いてるといきなり、空が赤くなってさ。どっかで火事でも起きてるのかと思ったら、急に怖くなって小走りで家に帰ったんだけど」

 するとリスナーが俺も、わたしも、ぼくも見たとコメントに書き込んでくれた。

「でさ、そんな空を見たせいかその日の夜は怖い夢を見ちゃって。街が炎に包まれる夢なんだけど」

 キララは上手く話を組み立て、リスナーの反応を誘導していく。燃える街の夢を見た人は赤い空を見た人よりずっと多く、二つの現象が非対称的なものであることを浮き彫りにしていく。

 多くの人が似たような夢を見るという話題はオカルトやホラー好きが集まるチャンネルだから、すぐに火がついた。

 相手の素性を深堀りしないというチャンネルの決まり事があるから住所までは分からないにしろ、チャットの内容からわたしたちが住んでいる街の周辺に限られた現象であろうことは何となく伝わってきた。

 ああだこうだと意見が飛び交うのを、わたしはじっと目で追っていく。

《なんか久々だよな、こんなに盛り上がるの》

《今年になってからだらだら雑談するだけの回が多かったもんな。俺はそういうのも好きだけど》

《最近って、心霊写真や謎のサンタクロースで盛り上がったとき?》

《それも盛り上がったけどその前の月にやったやつ。●●●●●●●のこと》

《ああ、あれは盛り上がったな。きっかけってなんだったっけ?》

《確か赤スパのコメントだったような》

《そうそう、ここって高額のスパが飛ぶようなチャンネルじゃないじゃん》

《太っ腹って思ったもんな。それでさ、●●●●●●って色々あるなって思ったな》

《定番そうに見えて案外色々なバリエーションがあった》

《●●ってやっぱそういう話が集まりやすいよね》

《夜とか結構怖いんだよな。●●●を取りに行くときとか、足音が妙に響くし。窓や鏡にちらっと映った自分の影が怖かったり》

《●●の●●でよくあるパターンのいくつかってそれだよね。自分の見間違い》

 流れていくコメントの中に明らかに目が滑る、読んでいるのに記憶も認識もできない言葉がちらほらと出てくる。夜不可視の十一月のテーマが黒い靄の正体に迫るカギであることは間違いなさそうだった。

 わたしは前後の文章、話の流れから何をテーマにしようとしていたのかを必死に探ろうとする。

 話の調子からしてかなりの定番、バリエーションが豊富で、おそらく夜にはあまり踏み込まないような場所。窓や鏡が多い、暗くなると不気味な雰囲気になる。

 あれこれ考えていると頭の中がちかちかしてくる。まるで認識をかき乱す何かが脳を直接弄っているかのようだ。気持ち悪くて目が回りそうになり、呼吸を浅くしてなんとか堪える。

 キララの配信は二時間にも及び、最後にエンディングテーマが流れて終了した。

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