第四話 黒い靄(2)
祖父の入院、虹髭の出現、キララが配ったチョコレートに混入された異物。これらは同一の現象による問題である。
そのことを打ち明けるとキララは不満と不機嫌を混ぜたような表情を浮かべた。
「ずっと隠し事をしていたのはおこですが、やむを得ない事情であることも理解しました」
そして拳をぐっと握りしめる。
「何よりもわたしの気持ちに異物を混ぜるなんて許されることではありません」
「そう思うならいくつか質問を。まずは確認だけど、キララの両親に渡したチョコは問題なかったの?」
わたしの質問にキララは盛大に頷く。
「するとキララが家を出てからチョコを配るまでの間に何者かが異物を混入したことになる。学校に着いてから鞄を置いて一人になったことは?」
「いえ、着いてすぐヒナタとヒカゲに渡し、間を置かず先輩方の教室に来ました」
「となると通学途中か。キララは電車通学だから混雑に紛れることはできそうじゃない?」
ユウコの指摘にキララは首を横に振る。
「今朝はそこまで混んでいませんでした。もっとも人知を越える力の持ち主ですから、すれ違いざまに混入してきた可能性もありますが……」
そこまで言ってから何かを思い出したのか、キララは慌てて付け加えた。
「そういえば通学途中に、子供に話しかけられました」
「子供……どんなやつ?」
「十歳くらいでおかっぱ頭、サスペンダーつきのスカートを履いてて……そうそう、ちびまる子ちゃんの主人公みたいな格好です。その子が道端でぼうっと立っていて、妙にふらふらしてるから声をかけたんです。そうしたら朝ご飯抜きでお腹が減ってるって泣きそうな顔で言われました」
「もしかして、その子にチョコをあげたの?」
「ええ、余分に持ってきてたやつを。当日になって急に感謝したくなる人が出てくるかもしれませんし。何もなければ帰ってから自分で食べるつもりでした」
なんとも用意周到で、そしてキララの人の良さが感じられる話だった。
「その子は嬉しそうにチョコを受け取って、その場で食べたんですけど美味しいと言ってくれました。行儀良く頭を下げて、それから名前を名乗りましたね。大事なことだから絶対に忘れないようにって」
「妙な発言ね。その子の名前を教えてもらっていい?」
「いや……その、実は覚えてなくて」
キララは軽い調子で舌を出す。わたしもユウコも思わずずっこけそうになってしまった。
「絶対に忘れないようにって言われたのにさらっと忘れるの? 流石に粗忽すぎないか?」
「いや、面目次第もありません。実はついさっきまでその子に会ったことさえ忘れてまして」
どうにも引っかかる発言だった。以前に似たようなことがあった気がする。しかし記憶を探っても該当するような体験には辿り着かなかった。
「どうしたんですか? 変な顔をして。まさか心当たりがあるんですか?」
「いや、何もない。ないはずだけど」
「何か引っかかるってこと?」
ユウコに訊かれ、わたしは曖昧に頷く。
「サオリの勘は当たるんだから、突き詰めたほうがいい。大事なことに気付くかもしれない」
わたしの勘は理屈の後付けに近い。知らず知らず頭の中で考えていて、整理する課程で一つの考えとしてまとまるのだ。何もないところから結論は生まれない。
だから「善処する」としか答えられなかった。
「その子供が黒い靄に関係しているとしたら、これからもわたしたちを脅かす可能性が高い」
「すると今日の夜回りはやめたほうが良いか」
「ええ、危険過ぎる。やめるべき」
わたしとユウコで早々に結論を出そうとしたところで、キララが慌てて口を挟んでくる。
「でも、サオリ先輩が数ヶ月追いかけて未だに正体が掴めないんですよね。ここは攻めの姿勢で行くべきでは?」
「今は配信のネタを探してる場合じゃない」
釘を刺すとキララはわたしをきつく睨む。ポーズではなく真剣に怒っているのが伝わってきた。
「わたし、そこまで軽くありません。過去に軽率な行動を取ったことはありますが、でも!」
「ごめん、今のはわたしが悪い。キララはわたしのことを考えて、提案してくれたのに」
「サオリはキララを厄介ごとに巻き込みたくないんだよ。悪気があったわけじゃない」
上手く言えないわたしのかわりにユウコがフォローを入れてくれた。
「黒い靄が新しく誰かに取り憑き、そいつが襲いかかってきたとして、キララを守りながら戦うのは難しいと思う」
「つまり、わたしは足手まといってことですね」
口にしてからキララは慌てて手を振る。
「恨みがましさはありません。単なる現状分析です。わたしが力になれることはないと分かっているんです。それどころか先輩がたを危機に晒すことになりました。それがどうにも悔しくて……」
「黒い靄の正体は必ず突き止めて退治する。全てが終わったら三人でまた夜不可視をやる。それでいい?」
キララは大きく何度も頷いた。物分りの良い子で助かる。
「迷惑でなければ」
「迷惑と思うようなことには付き合わない。ユウコも同じ気持ちのはず」
キララは鼻を啜り、目頭を拭うといつもみたいにまっすぐな笑みを浮かべる。
「それならわたしは銃後の守りに徹します。できることといえば家の掃除に洗濯、食事を作ることくらいですが」
「十分よ。帰ってきて何もすることがないというのは気持ちが楽になる。あまり遅くまで仕事をさせるわけにはいかなくなるけど」
「神社からの帰りはわたしが送っていくことにするよ。それなら多少遅くなっても大丈夫だろ」
ユウコの提案に、キララは何か言いかけてから小さく頷く。本当は一人で大丈夫と答えたかったんだろう。
今後の予定と役割を再確認したところで、少し早いが解散とした。昼休みまでキララを独占したらあの双子姉妹がいよいよへそを曲げると思ったからだ。
あの双子にも事情を話してキララを守ってもらうべきかもしれない。そして、その役割に彼女たちほど相応しいものはいない。
わたしとユウコだけでは手に余るようだったら協力を仰ぐ必要があるだろう。いざとなったら頭を下げてでもお願いするつもりだった。
午後の授業が終わり、放課後になると三人揃って神社に向かう。ユウコとキララは家の掃除に取りかかり、わたしはプレハブ小屋の自室で副業対応と資産運用のチェック、確定申告の準備を平行で進める。こちらのいかなる理由もクライアントは勘案しないし、株や為替の価格は一秒単位で変わり、税の手続きは一刻の猶予も許されない。
二時間かけて一気呵成に済ませたところでキララ丁度、夕食ができたと呼びにきてくれた。
食卓に顔を出すと良い匂いが漂っており、ユウコとイブの二人が食事をテーブルに並び終えたところだった。わたしは席に着いてから手を合わせ、いただきますをするだけで良かった。
ああ、本当に家事をしなくて良いのは助かる。祖父が退院するまでという約束だけど、契約期間を延長しようかな。
そんなことを考えながらキララたちの会話を軽く耳に留めおく。いつ話題を振られても良いように備えておく必要があるからだ。
「それにしてもバレンタインチョコを利用するなんて陰険なやつだな」
「全くですよ、人の気持ちを台無しにして。クリスマスに悪いサンタを用意したことといい、みんなが楽しい気持ちになるイベントを狙ってるんですかね?」
ユウコは全くだと言わんばかりに頷く。
「うーん、それは通らない気がするなあ」
だが、イブはキララの意見に否定的だった。
「今回は割と的を射た推理だと思ったんですが」
「皆が楽しいと思うことを邪魔するなら正月にも何らかの事件が起こってないとおかしい。年末年始ともなれば親族が一同に集まり、大人はおせち料理と会話を楽しむ。子供は大人からお年玉をもらえてうきうきになる」
イブの指摘にキララはすっかり丸め込まれてしまった。
「むむむ、言われてみれば確かに。うちは親戚付き合いがないですけど、両親と行く初詣とおみくじってだけでもわくわくしますし、もちろんお年玉は嬉しいです」
「つまりクリスマスとバレンタインをピンポイントで狙ったってことか。それはなんかその……」
「非モテっぽいってことですか?」
「そうそう、それそれ」
そこまで単純な話ならとっくの昔に解決しているだろう。逆に言えばそんな与太話が盛り上がるほど敵の正体が不明なのだ。鼻で笑うのは簡単だが、今はどんな議論も遮ってはいけないと思い、黙って三人の話に耳を傾けることにした。
「あとは異国の祭りを嫌ったという可能性ですけど……」
キララの新たな意見に、イブはまたしても難色を示す。
「半世紀も前だったら可能性はあるけど、今は神社仏閣でクリスマスツリーを飾ったりイルミネーションを灯したりするし、バレンタインにかこつけた恋愛成就の祈願なんて当たり前。日本の神仏も概ねそれを許容している」
「我が国のことながら適当ですねえ」
「それが日本の良いところであり、悪いところでもあるのよね。あらゆるものをハレに変える一方、深刻なケを祓う風土を持ち得ない」
「それのどこが悪いことなのか、いまいちピンと来ないんですが」
「国全体が沈没するような事態に弱いってこと。最も分かりやすい例が過去の大戦ね。まあ良いや、なんとかなるだろうの積み重ねを続け、劣勢という陰を深刻に払おうとしなかった。その結果が国土の大規模な焼失、三百万を超える死者を出しての大敗北。歴史の授業で習ったでしょう?」
キララはイブの問いに重々しく頷く。習ってはいたが、そのような視点で戦争を捉えたことがないということなのだろう。かくいうわたしも、キララと似たような認識だった。
「キララちゃんみたいに考えるのも分かる。それに八十年近くの月日というのは人だけでなく、神仏や魑魅魍魎の尺度ですら遠いのよね。どんなに深い怒りも恨みも大半は失われる。ただし時の流れに押し流されなかったケは人の心や信仰に、あるいは書物に根を張って残り続ける。そうしたものと向き合うことを放棄すれば、憎悪はやがて実を結び、あらゆるハレを押し流す」
いつもの明るい調子はなりを潜め、キララは目元を拭い、鼻を啜る。己の至らなさを深く恥じ入ったのかもしれないし、深い苦しみに感じ入ったのかもしれない。どちらにしろ薬が効きすぎたのは間違いなかった。
「ごめん、こんなに深刻な話をするつもりじゃなかったのよ」
「いえ、謝る必要はありません。ただ、こうやって食事をしながら会話をする楽しい時間を誰かが全力で憎んでいたとして、わたしはそれに抗えるのだろうかって、そんなことを考えたら無性に怖くなってしまって……」
「キララの前向きさ、優しさを否定するような憎悪を許しはしない」
わたしがそう言うと、ユウコは力強く頷く。それでキララの恐怖も少しは晴れた様子だった。
キララは目元を拭い、鼻をかんでゴミ箱に捨てるとイブさんに話しかける。
「そういや、イブさんに渡した例のチョコですけど、何か分かりました?」
「いや、それが包みを開けたら何も入ってなかったの」
イブの答えにキララは首をかしげる。
「それはおかしいですね、梱包する前にちゃんと確認したはずですよ。正体を暴かれるのを恐れて逃げ出したんですかね?」
「あるいはキララちゃんの遭遇した謎の少女が盗んでいったのかもしれない」
「だとしたらいよいよ不届き千万なやつですね。次に出会ったら叱ってやらないと」
黒い靄の主だとすれば説教が通じるとは思えないのだが、キララは謎の少女を人間の尺度で捉えているようだ。わたしからすれば危うい態度だが、イブは微笑ましいと考えているようだった。
そうこうしているうちに食事が冷めてきたので一旦打ち切り、残りを黙々と口に運ぶ。食べ盛りが三人に健啖家の天狗が揃っているから、多めに作られた夕食もすぐになくなってしまった。
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