第三話 汝の隣人を愛せよ(9)

 その日の夜、懐かしい夢を見た。

 わたしは眠ったふりをして、サンタが来るのを待っていた。そのためにたっぷりと昼寝したからいつもはとっくに寝ている時間になっても全然、眠くならなかった。

 いきなり目を開けて驚かせてやろう、などと意地悪なことを考えていたら、少しずつ足音が近づいてくる。わたしは期待に胸を膨らませながらその瞬間を待ち構えた。

 やがてドアが音を立てて開き、わたしは入ってくる何者かを薄目でそっと見る。

 目深に被ったサンタ帽に真っ白な顎髭。ぶかぶかのサンタ服がちょっとヘンテコだったけど、最も奇妙な特徴に比べたら些細なことだ。

 そいつの口髭は虹色に染められていた。

 とても良い子にプレゼントを配る人とは思えず、慌てて体を起こすと虹髭は困ったような笑みを浮かべた。

「ダメじゃないか、起きてちゃ。良い子は寝てないといけないんだ、分かるよね?」

 父さんの声だった。友達が言っていた、サンタの正体が親だっていうのは本当だったんだ。

 そのことはショックだったけど、父さんの格好があまりにもへんてこで可笑しくなってきた。

「困ったな、そんな嬉しそうに。わたしは本当なら子供に見られちゃいけないんだ。わたしを見たことはみんなに黙っていてもらえないだろうか」

 虹色の髭を取って遊びたかったけど、父さんがあまりに必死なものだから、しょうがないなあと思いながら頷いた。

「分かった、サンタさんに会ったことは忘れる。わたしは良い子だから」

「うん、ユウ……きみはとても良い子だ。よく知っているよ」

 父さんの手がわたしの頭をそっと撫でる。わたしはえへへと微笑み、そっと横になる。それを見た父さんは袋からプレゼントを取り出した。

「これは朝起きてから開けるんだよ」

 わたしは小さく頷き、目を瞑る。プレゼントが何かどきどきしたけど、小さな子供だったから思考が尽きるのも早く、すぐに眠ってしまった。

 翌朝、わたしはプレゼントの包み紙を開けて小躍りした。戦隊が巨大ロボットを呼び出すときに使っている剣のおもちゃだったからだ。今ではすっかり離れているが、わたしは戦隊ものや仮面ライダーが好きな女児だった。

 乱暴に扱ったからすぐに壊れたけど、小さいから気にしなかったのだろう。物心がつくかどうかの出来事だったから、父さんが扮したサンタの記憶は玩具と一緒に捨ててしまったのだ。



 父の病室を訪れたのは翌日の夕方だった。お見舞いがてら入院に必要なものを届けに、それから部屋の机に置いてあった読みかけの本も持って行った。ずっと忙しくしてきた父に何もせず過ごすだけの時間は苦痛だと思ったからだ。

 はたして父は四人部屋の右手奥のベッドで横になり、ぼんやりと外を眺めていた。頭と手足に包帯が巻かれていて痛々しい。

 わたしが来たことに気付くと、父は申し訳なさそうに顔を伏せた。

「みっともないことになってしまったな」

 少しの間があって、第一声がそれだった。

「暴漢に襲われたらしいが、何も覚えていない。目撃証言の一つでも話せれば良かったんだが」

「悪いのは暴漢で父さんじゃないよ」

 わたしがそう言っても父は納得していない様子だった。酒の入っていない父は普段から内省的だが、今日はそれに輪をかけて自分を責めている感じがした。

 もしかして、虹髭になっていた時のことを覚えているのだろうか。キララやその両親は天邪鬼に憑かれていた時のことを覚えていたし、あり得る話だった。

「そういやさ、プレゼントのお願いを書いといたんだけど。見てくれた?」

 あの時のことを覚えているならこの一言で反応するだろうと思い、訊ねてみる。

 すると、父は申し訳なさそうに頭を下げた。

「会社に置いてあるんだ。サイトで注文して、会社近くの宅配ロッカーに届けてもらって。イブの日に持って帰るつもりだった」

 わたしは小さく息をつく。父はどうやら虹髭になっていた時の記憶が全くないようだ。

「覚えていてくれたなら良いよ」

「ああ、忘れるはずがない。その……」

 何か言いかけて父は一旦、口を閉じる。わたしのほうでもかける言葉がなく、一分ほどの沈黙があり、父はようやく続きを話し始める。

「ここ一ヶ月ほど、記憶が飛び飛びなんだ。酒のせいか、この歳で痴呆症になったのか、別の要因か。治療を受けたとき、記憶障害のことを話したらそちらも調べてくれたんだが、検査結果によっては入院が長引くかもしれない」

 そこまで口にして、父は首を横に振る。

「それがなくてもしばらく休職しようと考えているんだ。会社にはもう話してある」

「休職……辞めるわけじゃないんだ」

「今の仕事が嫌いなわけじゃないからな。実は断酒治療を受けようと思ってる。大袈裟かもしれないけど、わたしは意志があまり強くないから。オフィス周りに居酒屋があるし、飲みに誘われて我慢できないかもしれない」

「そっか……うん、良いと思うよ」

「元々好きじゃなかった。飲むと一時的に忘れられるから頼ってただけで」

 そこまで言って、父は深く息をつく。

「今更な話だと思ってるんだろう」

「そんなことないよ」

 口にしてみて空虚だなと思い、言い直す。

「いや、ちょっと嘘。理由くらいは知りたいな」

 思っていたよりも不機嫌そうな声が出た。イブさんにはあんなことを言っておきながら、父に対する反感が残っていたらしい。

「プレゼントが欲しいって、書いてくれたよな」

 話が上手く繋がらず、わたしは曖昧に頷く。

「ユウコが不自由のない暮らしをするだけの金を貯めたらそれで良いと思ってた。だから酒が入って見境がなくなるのも治そうとしなかった。でも、ユウコは今でもわたしからのプレゼントを欲しいと思ってくれている。それで急に耐えられなくなった」

 あのとき、適当な気持ちで書いたことがそんなにも父に刺さっていたのか。

「覚えてないかもしれないけど、小さい頃はサンタに扮装してプレゼントを届けてたんだ。ユウコの目が覚めていても大丈夫なように、念を入れていたわけだが」

「サンタと会話した記憶があるよ。夢だと思ってたけど、あれは父さんだったんだ」

 なんとも白々しい嘘をついた。ばればれだったと言ったら悲しい顔をされそうだったからだ。

 父は懐かしさに顔を綻ばせていたが、すぐに真剣な表情に戻り、わたしの顔を見据える。

「許してくれなんて言うつもりはない」

「そうだね、すぐには許してやらない」

 わたしはもう父を恨んでいないはずだった。親として期待していなかったと言うべきだろうか。でも、こうして向き合っていると無性に腹が立ってきた。どうしても許せなかった。

「いつか許せるかもしれないけど、期待はしないでね」

 イブさんは一度殴ったほうが良いと言ったけど、それはしなかった。既に特大の一発を心に見舞っていたと分かったからだ。



 病院を出てすぐのところで見知った顔を見つけたわたしはそっと近付き、明るく声をかけた。

「うちの寮の子だよね。もしかして誰かのお見舞いに来たの?」

 タカシくんはいきなり声をかけられ、可哀想なほどに肩を震わせた。

「いや、前に来た時は面会謝絶とか言われて断られたし、まだ無理じゃないかな?」

「キョウイチくんなら意識は戻ったし、一般病棟に移ったみたいだからもう大丈夫だよ」

 骨が何箇所か折れ、内蔵にも損傷を受けたがあの建物の屋上から飛び降りたにしては驚くほどの軽傷で済んだ。虹髭はサンタの使命に駆られて人を殺そうとしたが、本来は死ぬはずだった少年を助けた。どんな存在であってもなにかしらの功をなす可能性はあるということなのだろう。

「友達がお見舞いに来れば喜ぶと思うけど」

「うん、そうだけど……そのさ、あいつと酷い喧嘩をしてたから顔を出しにくくて」

「そっか……ところでわたし、キョウイチくんの家の隣に住んでてさ。年上ってことで相談を受けてたんだよね」

「相談って、どんなことを?」

 彼の声が強張り、そして後ろめたそうに視線をそらす。

「好きな人がいるって話だった。告白するかどうか迷ってるって。心当たり、あるよね」

 追求をかけるとタカシくんは慌てて逃げ出そうとする。そんな気がしていたから、咄嗟に腕を掴んで軽く捻り上げる。逃げる気力を失わせるには分かりやすい痛みが効果的だ。

「責めるつもりじゃない。弁解するつもりなら、やめておけって言いたいだけ」

「弁解なんかしないって!」

 タカシくんはわたしの手を払い、挑むように睨みつけてくる。強がってはいるが、荒事に慣れていないのは凄んだ声が震えていることから明らかだった。

「酷いこと言ったから謝りたかった。でもさ、俺が顔を出して……あいつに付き合ってくれと言われても断るしかないし。それでまたショックを受けて、同じことされたらと思うと……」

「キョウイチくんの気持ちに応えられないのは男だから?」

「ちげーよ、あいつと付き合うこととか真剣に考えてみたんだけどさ、タイプじゃないんだよ。俺はやっぱナツキみたいなのがタイプでさ、振られちゃったんだけど」

 その時のことを思い出したのか、タカシくんは鼻をすする。失恋の記憶が甦ったらしい。

「恋愛対象として見れないやつとさ、相手の気持ちを考えて無理に付き合うのは違う気がする。キョウイチのことを追い込んでおいて言えた義理じゃないかもしれないけど」

 その気持ちをちゃんと伝えていれば、ショックを受けたかもしれないが自殺まではしなかっただろう。いきなり想いを打ち明けられて、これまでに恋愛経験がろくになかったなら、取り乱すのも仕方ないのかもしれないが。

「そういうの、自分の中で拗れる前にきちんと伝えたほうが良いと思うな」

 わたしがそうだったから。父に対する気持ちを押し殺し続けた結果、本当の気持ちがどんどん失われていった。父がどんなに辛い目に遭っていたとしても、わたしは罵声を浴びせられるのは嫌だったし、殴られるのは辛かったし、蔑ろにされたことを怒っていたのだ。

 タカシくんは曖昧に頷き、病院に向かおうとして足を止める。再び歩き出してまた止まる。

 わたしはその場から立ち去った振りをしてその様子をしばらく見守っていたが、タカシくんはやがて決心したように頷くと迷いなく病院に向かう。だからもう大丈夫なんだなと分かった。

 家に帰る道のりのあちらこちらで華やかな装いが目に、祝福の歌が耳に入る。クリスマスがもう間近に迫りつつあるのだ。

 それなのにわたしは今日、父を許さなかった。

 だからわたしは悪い子で、プレゼントは少し遅れてやってくる。

 そう考えると全てがしっくりきて、わたしは清々しい気分で冬の道を行くのだった。



   汝の隣人を愛せよ 終

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