第三話 汝の隣人を愛せよ(8)

 翌日、わたしは学校を休んだ。

 四〇度近い熱に全身の筋肉痛という、インフルエンザによく似た症状に襲われたからだ。

「普通の人間が強化されたり傷を急に治されたりしたら、そりゃ反動もきついわよね」

 床に伏せるわたしにイブさんがしれっと告げる。

「一日二日休めば動けるようになると思う。まあ、なるんじゃないかな」

「それなら父さんよりは軽いわけか」

 父は路上で倒れている所を通りかかった人に発見され、救急車で運ばれていった。殴打の跡が散見され、財布を漁った痕跡があったことから強盗に襲われたとの結論がくだされたようだ。

 イブさんはわたしの代わりに警察への対応、父の入院手続きを行ってくれた。

「あれだけのことをされたのに、それでも父親が心配なんだ」

「父さんの暴力なんて大したことないよ。虹髭になったのだって何かに取り憑かれたからだし。そういや、あの黒いやつってなんだったの?」

「結局のところ分からないままね。道端に転がす前に調べたんだけど、燃えかすのようなものが僅かに検出できただけ」

「燃えかすかあ。そういや父さんの体から抜け出すとき、灯油が燃えるような臭いがしてたな」

 消防訓練で消火の実演をやるときに嗅ぐ臭いに近かったような気がする。

「そう、油を燃やした時の臭い。他にもいくつか混ざっているようだけど、何らかの人工物の可能性が高いと思われる」

 イブさんはそこで話を一度切り、迷うような素振りを見せる。

「わたしはそいつを追っているの。花婿様を拐かそうとしているやつだから」

 そのことを打ち明けるべきかどうかを考えたのだろう。話してくれたということは、わたしにもその手伝いをさせるつもりなのだ。

「サオリを鍛えているのもそのためか?」

「ええ、どんなやつが相手だろうと戦える力を身につけてもらう必要があるから。本当はもっと厳しくしたいけど、現代っ子だから加減しないと」

「わたしを鍛えようとしているのも同じ理由なのか?」

「そうね、上手く育てれば使い捨ての盾くらいにはなると思ってたんだけど」

 イブさんはしれっと口にして、悪い笑みを浮かべる。

「使い捨てはやめた。わたしが思っていた以上に使えることが分かったから。剛力の術も治癒の術も普通の人間ならもっと副作用がきついの。あなたは人ならざる力に対する耐久力が高いのね」

「あの術をかけてくれれば、次からも戦力になれるのか?」

「サオリは嫌がるはずだけどね。あの子は一度気に入った相手に対して甘いタイプだから」

「知ってるよ。わたしみたいなのをどうして気に入ってくれたのかは分からないけど」

「さあ、どうしてかしらね」

 イブさんは意味深な言い方をしてから、わざとらしく手を打った。

「そうそう、家捜ししてたら興味深いものを見つけたの。あなたの父親がどうして虹髭になったのかが分かるものよ」

「勝手に家捜しするのは感心しないけど」

 イブさんはわたしの抗議を無視して部屋を出る。一分ほどして戻ってきた彼女が持ってきたのは小さなアルバムだった。

「引き出しの奥に一つだけしまってあった」

 ぎくしゃくする腕で受け取ると、わたしはアルバムをめくる。生まれたばかりのわたしが写真の中で少しずつ大きくなっていき、小学六年生の時で止まっていた。幼い頃の写真を、父は少しだけ残していてくれたのだ。きっとわたしのためなのだろう。

 半ばまで進むとサンタに扮した父の写真があった。今よりずっと若い時のものらしく、この父も虹色の髭をつけて少し恥ずかしそうにしている。隣ではにかんでいるのは若い頃の母だった。

 同じページにはトナカイの顔をつけた自転車に乗る父の姿があった。似たような年頃の男女がちらほらと写っていることから、友人かサークル仲間を集めてのクリスマス会なのだろうと察しがついた。今の真面目な父からは想像できないほどふざけており、こんな時代があったのかとしみじみしてしまった。

 最後の集合写真の右下にはミス研のみんなと、と書かれていた。

 もっと父の昔を知りたくてアルバムをめくったが、何も挟まっていないページが続いた。きっと父が引っ越しのとき、捨ててしまったのだろう。母との思い出は若い時の数枚だけで、他には何も残されていなかった。

 最後のページには三枚だけ写真があった。わたしが中学校に入学したときと卒業したとき。そして高校に入学したとき。わざわざデータを現像していたとは知らなかった。

「父さんはわたしのことをちゃんと考えてくれていたんだ」

「親が子供のことを考えるのは当然でしょ」

 イブさんは湧き上がる感動に容赦なく水をかけてきた。

「考えていても、酒に酔って暴力を振るうんじゃどうしようもない。一時の優しさも、不自由のない暮らしができていることも、免罪符にはならないの」

「かもしれないけど、構わないよ」

 わたしが十二歳のとき、母は家を出ていった。父より十歳も若くてハンサムで、母を楽しませることのできる人と一緒に。本当なら父は慰謝料をもらう側なのに、母にお金を払った。離婚しても母は時折訪ねてきて、父はそのたびにお金を渡していた。

 一年後、母は自殺した。理由は不明だが見当はつく。わたしが今よりもっと荒れていた頃、家庭を無茶苦茶にしたハンサム氏に復讐しようと考えたことがあって、調べてみたら行方不明になっていた。まずい女に手を出したらしく、今はコンクリ詰めされたドラム缶の中じゃないかなと言われた。そういう生き方をしていた男に引っかかってしまったわけだ。

 イブさんを説得するため家庭の事情をかいつまんで話したが、鼻で笑うだけだった。

「その程度で同情するような良い子は、これから生きてくのが辛いわよ」

「わたしは悪い子だよ。虹髭に力が通じたのはイブさんのお陰と、実の父だったから」

 そう考えるのがもっともしっくりくる。イブさんはなおも何か言いたそうだったが、わたしのおでこを指で弾くだけだった。

「それにさ、父さんが酷い親だとしてもそれを埋め合わせるくらいの出会いに恵まれてる。キララがやってるゲーム風に言うならSSRを連続で引いたようなものだよ」

「ポジティブねえ。わたしとしては一度くらい、素面の時にぶん殴っておけと勧めるけど」

 その提案にわたしは苦笑を浮かべ、イブさんはそんなわたしを見て不機嫌そうに鼻を鳴らすのだった。



 夕方になると熱は大分引いてきて、スマホで着歴や未読を確認する気力が湧いてきた。

《風邪を引いたと聞きました。この時期は体調を崩しやすいからゆっくり休んでくださいね》

《わたしに黙って虹髭を退治したそうじゃないですか! 簡単な事情はサオリ先輩から聞いてますけど、蚊帳の外というのはちょっと寂しいです。次からは、仲間外れはなしですからね!》

 これがキララからのメッセージ。

《キララに虹髭退治の件を話した。正体が父親だったこと、あの三人の関係のこと、黒い靄のことは伏せておいた》

 そしてサオリからのメッセージ。キララには次から気をつけると軽く返し、サオリには色々気を遣わせて申し訳ないと返しておいた。

 サオリから筋肉質の男が気にすんな! と親指を立てているスタンプが送られてくる。チャットだとたまに茶目っ気を見せるのが微笑ましい。

《約束ですからね、破ったらハリセンボンを千匹飲ませますから》

 キララからは物騒なメッセージが返ってきた。表現がいちいち大袈裟なのはいつものことだし、了解のスタンプを送ろうとしたところでキララから続けてメッセージが届く。

《ところでクリスマス会をやりませんか?》

 前後の脈絡を無視した提案だった。

《サオリ先輩から家を使って良いと許可を得ました》

《また唐突なことを。というか神社でクリスマス会をやって良いものなのか?》

《イルミネーションを披露する神社だってありますし、そもそも神仏習合は日本の宗教の得意技じゃないですか》

 身も蓋もない発言だったし、不安が払拭されたわけではないが、それ以上は反論しなかった。虹髭の件で仲間外れにした後ろめたさがあったし、サオリが許可しているならわたしがあれこれ口を挟む必要はないと思ったからだ。

《でもさ、クリスマスって家族と過ごすんだろ。わたしやサオリはともかく、キララは予定がありそうだけど》

《うちはイブが本番で、当日は何もしないんですよね》

 祝祭への敬意が感じられない発言だが、日本ではイブのほうが大事な日になってしまったから、クリスマス当日の予定が空くなんてことも割とあるのだろう。アメリカではクリスマスを一緒に過ごさないと、育児放棄と見なされるくらいには大切な日なのだが。

《ユウコ先輩のほうでも事情があるでしょうし、無理強いはしませんが》

《いや、参加するよ。息抜きとかしたかったし》

 父は入院でクリスマスには帰って来ない。今年に限れば家にいる必要はなかった。

《ありがとうございます。それではクリスマス用のバズレシピに目星をつけておきますね》

 キララとのメッセージのやりとりが終わり、スマホを横に置く。十分程度の操作で腕がだるくなってきた。

 気だるい体を引きずるようにして台所に向かうとご飯が炊けており、コンロの上に置かれた鍋の蓋を開けると野菜メインの煮物が入っていた。イブさんが作ってくれたのだろう。

 煮崩れが多くて見てくれは悪かったが、疲れ切った体にしみる味だった。丸一日食べてないこともあって、鍋には結構な量が入っていたのにほぼ平らげてしまった。

 片付けを終えてからイブさんに感謝の言葉を送るとすぐに返信があった。

《わたしの良妻力をもってすれば容易いことよ》

 面倒見は良いが、やはり変な人だなと思った。

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