第三話 汝の隣人を愛せよ(6)

 だが、虹髭の一撃は振り下ろされなかった。サオリが割って入り、拳を受け止めたからだ。それだけでなく虹髭を素早く転ばせ、腕を固めて躊躇いなくへし折る。これには流石の虹髭もたまらなかったようで、サオリから素早く距離を取った。

「わたしとしたことがとんだミスだわ。光と物量に目を眩まされるなんて」

 トナカイの迎撃を終えたイブさんはわたしとサオリの前に立ち、次いでサオリに言葉をかける。

「わたしでも通じなかったのに、どうやって?」

 若干の驚きが込められたイブさんの問いに、サオリは素っ気なく答える。

「普通にやった。サンタにも骨や関節があることは分かっていたから」

 虹髭は折られた腕をもう片方の手で支えていたが、少しすると何もなかったように拳を構え、握りしめる。

「まあ、治っちゃうか。でも、どうしてサオリの攻撃が通じたのか……」

「さあ、わたしが良い子だからじゃない?」

 皮肉の効いた返し方だったが、イブさんはぱちんと指を打った。

「サンタは子供のための存在だから、子供相手だと実力が発揮できないのかもしれない」

「分かった、試してみる」

 サオリはそう言うと虹髭に躊躇いなく向かっていく。アスファルトを易々と砕くような相手に無謀はやめろと言いたかったが、サオリの攻撃に虹髭は明らかに怯んでいたし、イブさんに放った氷も使用する様子がなかった。

「もしかして、このままいけるのか?」

「いえ、そう上手くはいかない」

 期待を込めて口にしたが、即座に否定された。

「あれだけの召喚を行いながら、未だ力の目減りする様子がない。このままでは……」

 イブさんの言う通りだとすぐに分かってきた。サオリの攻撃は虹髭に効いているが、ダメージを与えた側から回復されている。このままではきりがないし、いくら超人的な体力を持つサオリでもいつかは限界が来る。

「もっとあいつにダメージを与えられる人材が必要よ。子供で、しかもとびきりの良い子で、格闘技の心得があるとなお良いのだけど」

 イブさんはそう言ってわたしに視線を向ける。

「いや、わたしの攻撃は全く通じなかったけど」

「そのための力ならわたしが分けてあげる」

「でも、わたしは良い子なんかじゃ……」

「あなたは自分の命と引き替えに他人を守ろうとした。それが善でなくてなんと言うの?」

 他人を守りたいなんて考えたわけじゃない。ナツキちゃんの命はわたしに比べて大事だろうと、そんなことを漠然と判断しただけだ。

 わたしは決して良い子なんかじゃない。

「なんとかやってみる、力を貸して欲しい」

 それでもわたしはイブさんの力を借りることにした。自分を信じたからではない、サオリを守るための力が欲しかったからだ。

 イブさんは炎の車輪を生み出したときと同じように手を動かし、何らかの言葉を呟く。

 全身に強い痛みと痺れが走り、一瞬で抜けていく。ただそれだけで、力が宿ったようには思えなかった。

「超人になったつもりで体を動かしてみて」

 難しい喩えだったが、参考にできるものが一つあった。わたしはイブさんの動きを頭の中に思い浮かべながら、そっと足を踏み出す。

 まるで自分のものではないかのように軽い。力が漲るというわけではなく、一挙手一投足の格が上がったといったところだろうか。

 軽く走るだけで足がもつれそうになるのを何とか堪え、より速く。わたしはいつの間にか虹髭やサオリのすぐ近くにまで来ていた。

「なにしてるの、下がって!」

「イブさんが、サオリよりわたしのほうが良い子だって」

 サオリは虹髭を蹴り飛ばし、地面に転がすと小さく息をつく。

「了解、サポートする」

 それでサオリはあっさり納得してくれた。わたしが良い子だと本当に信じてくれているのか。

 虹髭はわたしとサオリから距離を取り、大量のトナカイを生み出す。物量でこちらを押し潰すつもりのようだ。

「雑魚は任せて」

 そう言いながらサオリは近くにいるトナカイを次々と薙ぎ倒していく。わたしはすかさず虹髭に近付き、こちらに向かってくるトナカイに覚悟を決めて拳を打つ。

 本来ならわたしが一方的にはね飛ばされる速度だが、吹き飛んだのはトナカイのほうだった。その戸惑いも一瞬で飲み込み、拳を構えた虹髭よりも早く懐に飛び込むと、がら空きのボディに拳を叩き込む。以前と違って虹髭は吹き飛ぶように転び、鈍い呻き声をあげた。イブさんの見立て通り、わたしの攻撃のほうがよく効いている。信じ難いことだがこの状況を変えられるのはわたしなのだ。

 虹髭はよろよろと立ち上がり、再び拳を握る。イブさんの言う通り、力は強いが構えはなっていない。わたしに暴力を振るう父のようにぎこちなく、やろうと思えば簡単にいなせそうだった。

 威力だけある拳を受け流し、突きを容赦なく打ち込む。不用意に距離を取ろうとしたので、更に一歩踏み込んで足を打ち、膝をついたところで顔面に思いきり蹴りを叩き込む。虹髭は再び地面に転がり、受け身も取れず無様に倒れた。

 普通の人間なら立っていられないほど痛めつけたはずだが、虹髭はのそりと立ち上がる。先程よりも回復が早いのか、痛みを感じなくしたのか、今度は呻き声すらあげなかった。

 今のわたしはゲームで言えば、バフと特効がもりもりにかかったようなものなのに、それでも倒しきれないほどの底なしなのだ。

 サンタ帽から覗く目がギラギラと光り、わたしではない遠くを見る。僅かに振り返れば、イブさんの後ろで倒れているナツキちゃんがいた。

「なんでだよ! サンタは子供の味方だろ!」

 どうして子供であるナツキちゃんを執拗に殺そうとするんだろう。そんなことをしたらキョウイチくんは悲しんで……。

 もしかして、ナツキちゃんがキョウイチくんを自殺に追い込むほど苦しめたから? 良い子を苦しめた悪い子だから殺そうとしているのか?

「馬鹿かよ!」

 拳を握ってワンパターンで殴りかかってくる虹髭を軽くいなし、突きと蹴りを容赦なく浴びせる。感触からして攻撃は効いてるはずなのに虹髭は素早く立ち上がり、平然としていた。

 そしてこれまでにやってこなかった行動を取った。低く響き渡る絶叫をあげたのだ。すると虹髭の右腕がみるみる氷結し、まるでハンマーのようになった。どういう理屈かは分からないが、氷の力を子供にも使えるようにしたらしい。

 虹髭は無骨になった右腕をやたらめったら振り回す。それだけで皮膚を切るような冷気が駆け抜け、思わず震えが走る。わたしは慎重に間合いを詰め、大振りの一撃をかわしたところで回し蹴りを胴に当てる。だが先程とは違い、吹き飛ぶことはなく持ちこたえ、そのまま氷の右腕で殴りかかってきた。

 慌ててかわしたが左腕をかすり、服が僅かに裂ける。間一髪と思いきや、氷結がそこから左腕全体に広がっていく。このままでは全身が凍りつき、動けなくなってしまう。

 その前に距離を取ろうとしたところで、氷の上に火が点いて瞬く間に溶かしていく。勢いあまって袖まで焼いたが、痛みはほんの一瞬だった。

「裸になるのが嫌ならちゃんと攻撃をかわしなさい!」

 イブさんのアドバイスに従い、慎重に距離を取ると氷の右腕をかわしながら拳や蹴りを当てていく。イブさんの力はまだ効いているはずだが、虹髭はやはり怯むことがないし、当てるたびに手足がどんどん冷えていく。攻撃だけでなく守りにも氷の力を使っているようだった。

 体温を奪われ続ければまともに動けなくなる。その前になんとか虹髭を倒さなければならない。だが、わたしの力だけでできるのか。もっと強い力をどうにかしてぶつけることはできないか。

 そこまで考えたところで妙案を思いついた。いや、いい思いつきではない。きっと死ぬほど痛いに違いない。だがほかに方法を閃きそうにない。

「イブさん! 火傷って治せる?」

「治せるわ。呆れた、人間のくせにわたしと同じことをするつもりね?」

 土壇場だというのに思わず笑みが漏れる。わたしの思いつきは実現できるということだからだ。

「やめて、ユウコ。そんなことしたらただじゃすまない!」

 そしてサオリからは激しい叱責が飛んでくる。わたしが何をしようとしているのかを理解したのだ。けど、こちらに来ることはできない。次々と現れるトナカイの相手で精一杯だからだ。わたしも虹髭の相手で手一杯、イブさんは炎の車輪をいくつも召喚し、サオリよりも遥かに多くのトナカイを塵に返してなお余力を残しているようだが、虹髭とは相性が悪くて戦えない。

「サオリはああ言ってるけど、どうする?」

「良いよ、やって」

 わたしはサオリの言葉を退け、イブさんにお願いする。そしてやると決めたら容赦はなかった。

 右腕に炎が纏わりつき、これまでに味わったことのないような痛みが荒れ狂う。ぎりぎり気絶せずに耐えられたのは暴力に慣れているのと、イブさんの強化のお陰だろう。

 それもきっと長くは保たない。だから酷い痛みを堪え、虹髭との距離を詰める。わたしの炎を脅威と感じたのか、虹髭は一際大きな雄叫びをあげて右腕の氷を一回り大きくし、力任せに振り回してくる。こちらに近付けまいと必死なのだろう。

 だから距離を取らず、一気に前に出た。虹髭は慌てて横薙ぎの一撃をふるい、わたしを弾き飛ばそうとしてきたが、そうするのは分かっていた。

 わたしはイブさんの動きを思い浮かべ、全力で地面を蹴ると氷柱だけでなく虹髭をも一気に飛び越し、その背後に立つ。慌てて振り向こうとする動きに合わせ、拳を叩き込むと虹髭は派手に吹き飛び、倒れた体を炎がなめていく。

 それでもよろよろと立ち上がり、再び雄叫びをあげようとした。わたしは虹髭に近付き、渾身の力を込めて拳を振るう。

 虹髭の口から強烈な寒気が放たれ、炎を消そうとしたが、その行動は僅かに間に合わなかった。拳が顔面に当たると虹髭は再び吹き飛び、力なく倒れたまま起き上がることはない。辺りを走り回るトナカイも全て消えてしまった。

 右腕の炎は消えており、ところどころ凍りついていた。本当にあと一瞬遅れていれば、やられていたのはわたしだったに違いない。

 虹髭の右腕の氷が溶け、サンタの衣装や帽子は音もなく消えていく。あとにはスーツ姿の、痩せぎすの男が残された。

 どんなやつなのかと思いながら、そっと顔を覗き込む。

 その正体はわたしを心の底から驚愕させた。

 何故なら、目の前で倒れているのは……わたしの、父だったからだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る