第三話 汝の隣人を愛せよ(3)

 はたして三時間の夜回りは空振りに終わったが、キララはそこまで気落ちしていなかった。虹髭には遭遇しなかったが幽霊を何度か発見し、どれも上手く撮影することができたからだ。ナンパを仕掛けてきた男たちは体良く追い払い、寒空だというのにコートの下の裸体を見せつけてきた男はサオリのお粗末という感想に泣きそうな顔をしながら去っていった。

 本命は釣れなかったが雑魚はよく釣れた、といったところだろうか。

「虹髭は出なかったですね。わたしたちは良い子ではないということでしょうか?」

「良い子はこんな夜遅い時間に歩き回ったりはしないだろうな」

 先月の天邪鬼の件が頭を過ったけど、それはキララ本人が重々承知しているだろう。無鉄砲で時間にルーズだけど、反省できない子ではない。

「善行を積み重ねてる自信はありますけど」

「マニ車一万回転の徳を積んでも、夜更かしする子の所にサンタは来ない」

 サオリの珍しく分かりやすい冗談はキララへの軽いフォローのつもりなのだろう。本人に伝わっているかどうかは疑わしいが。

「目標達成はできませんでしたが収穫はありましたね。そちらは配信向けとして、次の夜回りはどうしますか? 明日はキララちゃんねるの日なんですが、もうすぐクリスマスですし、虹髭退治は優先事項ですよね?」

「次は明後日で良い。そもそもクリスマスまでに捕まえなければいけないという決まりはないし、サンタのほうでも日程は守らないと思う」

「そっか、クリスマスの大分前からプレゼントを配ってるサンタなんだから、終わっても活動を続ける可能性は高いですよね」

「放置し続けたら色々と煩いことになるけど、まだその時ではないし、どのみち情報が足りない」

「更なる目撃証言、あとは虹髭がプレゼントを贈りそうな良い子の発掘も必要ですね」

「発掘ってそんなオーディションみたいに……」

 呆れたように言うとサオリがわたしに一瞬だけ視線を寄せる。心当たりがあるだろうと訊かれているみたいだが、ここでも何も言わなかった。

「少し難題ですがトライしてみます。というわけで今日は撤収ですかね」

 わたしとサオリがほぼ同時に頷き、今日の夜回りは終了となった。

 キララを家まで送り、両親に軽く挨拶すると、あとはお互いの家に帰るだけだったが、今日に限ってはサオリがついてきた。

「わたしに護衛は必要ないけど」

「少し前にも言ったけど、サンタは本当に強い。なにせ現代における最大最強の幻想なんだから。あの天狗とサシで戦って勝ったおじいちゃんでさえ一対一の勝負を選ばなかったほど」

「わたしのことを心配してくれてるのか?」

「ええ、ユウコは良い子だから」

「喧嘩好き、夜更かし常連、胡乱な活動のメンバー。これだけ積んで良い子は通らない」

 下手な同情はやめて欲しかったが、サオリは割と本気で信じているようだった。

「あとは隠しごとしてるようだったから。本当は良い子を知ってるんでしょ?」

 少し迷ってから頷くとサオリも軽く頷き返す。それだけで納得した様子だった。

「何故か訊かないんだな」

「ユウコが敢えて語らないならちゃんとした理由があると思った」

「色々とあるやつだからそっとしておきたかった。でも虹髭のサンタを見たかどうかくらいは訊いてみるよ」

 それくらいなら軽い冗談で受け流してくれるだろう。

「それにしてもイブさんとサシで戦って勝てるなんて、サオリのじっちゃんは凄いな」

「おじいちゃんは超人だから」

「サオリも大概な気はするけどな」

「わたしはおじいちゃんの一割くらい。あの天狗に鍛えられて二分くらい増えたかも」

「いやはや、とんでもないな」

 それほどの人物でも年を取れば耄碌もうろくするし、軽く転んだだけで骨にヒビが入る。諸行無常という言葉をしみじみと実感できた。

「サンタを見かけたらわたしに報告して。一人で立ち向かっちゃダメ。わたしとユウコ、イブの三人ならなんとかなるかも」

「え、イブさんも入れてやっとなの? というかあの人もサンタを探してるんだ」

「ええ、空を見張ってもらってる。サンタはトナカイに乗って空からやってくるものだから」

「どうやら空からは現れないみたい」

 横から声がして、慌てて振り向くと黒づくめのイブさんがすぐ隣に立っていた。

「ずっと見張ってたけど収穫なし。とっとと倒して花婿様の足元にも及ばないと示したいのに」

 キララの前ではお祖父様だが、わたしとサオリしかいない時は花婿様呼びをする。イブさんはサオリのじっちゃんを攫って山で一緒に暮らすのが目的なんだそうだ。最初はびっくりしたが、何百年も生きてきた天狗にとっては四十も九十もさして変わらないと言われ、辛うじて納得した。

「これだけ煩雑として、しかも異国の祭りであらゆるものが騒々しいと気が散ってしょうがない。本来の力が出せれば少しはマシになるんだけど」

「え、あれで本来の力じゃないのか?」

 わたしにとっては驚きの事実だが、イブさんにとっては至極当然のことらしく、さらっと頷いてみせた。

「この辺はまだマシなの。お山からそう遠くないし、割と閑静だから。もっと東の開発が極まってる辺りだと吉田沙保里三十人分くらいの力しか出せないのよね」

 それは十分に超人だが、人の域に近づくのであればわたしの打撃や蹴りも効果はありそうだ。

「秋葉原だけ例外でかなり力が出せるんだけど。天狗の人気キャラが何人もいて、薄い本が大量に出回ってる影響かな」

「薄い本ってどういった……」

 気になって訊こうとしたらサオリがわざとらしく咳払いする。だから話を本筋に引き戻した。

「でもサンタって凄く強いんだろ? 気配とか探れないの?」

「家に侵入してプレゼントを配る程度だったら大した力は使わない。だから探しだすのが面倒」

 サオリの答えにイブさんが苦い顔をする。

「やることに対して持っている力が無駄に大きいってわけか。下品ねえ」

 イブさんの容赦ない評価に、わたしは苦笑するしかなかった。

 そうこうしているうちに社員寮まで到着し、二人と別れることになった。

「サオリはわたしが責任を持って連れ帰るから安心して頂戴」

「やめてよ、そういうの。一人で大丈夫」

 二人の会話はまるで親子、あるいは年の離れた姉妹のようだ。指摘したらサオリが機嫌を損ねそうだから口にはしなかったけど。

 そんな二人に背を向け、わたしは一人で自宅に戻る。

「それにしても薄い本ねえ、どんなやつだろ」

 サオリが嫌がったので訊かなかったけど、割と気になっていた。父がたまに薄い本をわたしに勧めてくるからだ。

 お酒を飲んでいない、父に娘と話をする気力がある、わたしがまだ起きている、この三つの条件が重なった時だけごく簡素なコミュニケーションが発生する。学校のこと、勉強のこと、友達付き合いなどを訊かれ、わたしは父が安心できそうなことを答える。喧嘩とか夜回りとかそういった話は一度もしたことがない。

 そして会話が滞ると、父は決まってこう訊いてくる。

『本とか読んでるか? 漫画じゃなくて字だけのやつ』

 読書はよく履歴書の余白を繕うために持ち出されるが、父にとっては本当の趣味だった。

『ネット小説とかは時々読んでるよ』

 いつも途中で読むのをやめてしまうのだが。短編はいいが、続き物の長編を読むのはあまり得意ではない。

『ネットの文字は目が滑るだろ、紙ならすっと頭に入ってくる』

 わたしはネットと紙でそれほどの差を感じないのだが、父は気にするようだ。これが世代間ギャップってやつなんだろう。

『わたしの部屋にある本を勝手に持っていって良いから。薄い本なら読みやすいだろう』

 父の言う薄い本は二百ページから三百ページの文庫本を指すし、がちがちの推理ものばかりだ。わたしは物語から感情を読みたい。ロジックに興味を持てない。だから推理ものには苦手意識がある。それ以外の本になると訳に難がある海外小説だったり数学やプログラミングの専門書だったりで、わたしには到底歯が立たない。サオリだったら喜んで読むかもしれないけど。

 酒がない時の父は論理の人だ。数字を重んじ、あらゆる感情を理屈に解体する。だから煙たがられもするし、いざという時の判断を任される。そしていつも結果を出してきた。

 機械のようだとも言われるが、理屈の通る範囲で感情を尊重する。だから慕っている人も多いし、実は意外ともてたりもする。

 その中の一人と仲を深め、新しい家庭を築けば良かったのだ。父も理屈ではそれが分かっていたはずだ。でも、できなかった。唯一理屈でどうにもできなかった母のことが傷になっているから。

 できなかったから、会社は、大人は父を重く用い続けている。

 できなかったから、酒に溺れてわたしに暴力を振るうのだ。



 家の中に入ると父の靴があった。わたしは物音を立てずに靴を脱ぎ、廊下を歩き、そっとドアを開けてリビングに顔を出す。父の姿はない、だがほんのりと料理の匂いが残っている。つい先程までは起きていたのだろう。

 机の上には書き置きがあった。

【夜遅く外に出るならメモくらいは残していくように】

 この程度の内容ならメールでも良いのに、手書きなのが父らしかった。

【友達と遊んでた、ごめん。お仕事お疲れさま。体に気をつけて】

 自分を傷つけるのはもうやめて欲しい。

 そう書きたいのをなんとか堪えた。代わりに願い事を一つ、付け加えておいた。

【クリスマスプレゼントはアクションカムが欲しいかな】

 キララは配信用の機材も買いたいだろうし、わたしがカメラ担当になろうと考えてのことだ。

 それにわたしの我侭は父を安心させるかもしれない。

 歯を磨き、パジャマに着替えるとベッドに横たわる。結構歩いて汗もかいたからもう一度シャワーを浴びたかったけど、音を立てて父を起こしたくなかった。

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